第242話 親しき仲にも緊張あり

 部屋に入ってから今でちょうど15分が過ぎたことを、壁にかけられた時計が示している。

 その間、カーペットの上であぐらをかいている唯斗ゆいとの膝の上に腰掛けていたこまるが、ようやくスマホから顔を上げてこちらを見た。


「……」

「……」


 彼女は特に何を言うでもなく、唯斗の腕を掴んでハグする形になるよう移動させると、満足げに頷いてもう一度スマホに視線を落とす。


「何をやってるの?」

「SNS」

「へえ、呟いたりするの?」

「ちがう」


 彼の言葉に首を横に振った彼女は、スマホのメモアプリを開くと、『さしてSなにもNしてないS』と打ち込んで見せた。


「どこかのDAIG〇みたいなことするんだね」

「3文字、疲れない」

「けど、伝わらないと意味ないね」

「それな」


 小さく頷いてから唯斗の胸に背中を預け、スマホをいじり始めるこまる。

 彼がそんな彼女に「何もしてないのにスマホ見てるの?」と聞いてみると、少し予想外な返事が返ってきた。


「少し、緊張、してる。スマホ、無いと不安」

「なるほど。確かに初めて2人きりでのお泊まりだもんね、緊張するのが普通なのかな」

「唯斗、緊張してない?」

「僕はあんまりかな。すごく楽しみだったから、来れて嬉しい気持ちの方が強いよ」

「……ほんと?」

「嘘つく意味ないでしょ」

「確かに」


 彼女はそう呟いてしばらく手元を見つめた後、意を決したようにスマホを机の上に置きに行く。

 そしてもう一度唯斗の膝の上に座り直すと、顔だけを振り向かせながら言った。


「私も、楽しみだった。同じ気持ち」

「そうだね、同じだ」

「嬉しい」

「僕も嬉しいよ」


 気持ちをちゃんと言葉にし合えば、目で訴え合うよりもちょっぴり喜びが増す気がする。

 唯斗がこまるの頭を撫でてあげると、彼女はもっとと言わんばかりに頭を胸に擦り付けて来た。


「あ、いい匂いがする」

「どんな?」

「柑橘系かな。もしかして、僕が来る前にお風呂入ってた?」

「……バレた」

「そんな気を遣わなくてもいいのに」

「準備、大事。唯斗には、完璧を見せたい」

「素直に嬉しいよ、ありがとう」


 お礼を言いながら前髪を手櫛で整えてあげていると、彼女は体の向きを変えて向かい合う形で抱きついてくる。

 そして胸に顔を埋めながらスンスンと匂いを嗅ぐと、相変わらずの無表情なままどこか幸せそうな目でじっと見つめてきた。


「唯斗も、いい匂い」

「実は僕も朝にシャワー浴びてきたんだ」

「私に、会うから?」

「そんな感じかな」

「……」


 本当は天音あまねに言われて入ったのだが、それは言うなとも注意されているので黙っておく。

 すると、こまるは少しの間ボーッとしてから、「好き」と独り言のように呟いた。

 その数秒後にもう一度同じ言葉を囁き、それは段々とハッキリとした口調に変わっていく。


「唯斗、好き」

「どうしたの、何度も言って」

「やっぱり、好き。そう思ったから」

「素直なのはいいことだね」

「唯斗は、私のこと、好き?」

「もちろん好きだよ。こまるの好きとは違うかもしれないけど」

「それでも、大丈夫。嫌われて、ないなら」

「さすがに嫌いになることはないと思うよ」

「もし、強引に、キスしたら?」

「嫌いにはならないかな。こまるの気持ちは分かってるつもりだから」

「……そっか、安心した」


 彼女はそう呟くと、唯斗の肩に手を置いて腰を少し浮かせる。そして唇を軽く突き出すと、顔をグイッと近付けてきた。

 しかし、突然のことに驚いた唯斗が少し体を後ろに逸らした瞬間、ドアがコンコンとノックされる音でこまるは正気に戻る。


『お母さんだよ! 入っても大丈夫?』

「……少し待って」


 彼女は急いで唯斗の上から降りると、彼をベッドの縁に座らせて自分もその横に腰を下ろしてから「もう大丈夫」と声をかけた。


「失礼するね。お茶とお菓子を持ってきたから!」

「わざわざありがとうございます」

「ふふ、気にしなくていいよ。お義母さんだもん!」

「誰がお義母さんですか。勝手に話を……」


 唯斗はそこまで言いかけたものの、こまるが何やら意味深な目で見つめてきているのに気がついて言葉を止める。

 さすがに否定するのはやりすぎかもしれない。咄嗟にそう判断すると、「可能性はありますからね」と言ってお茶を一口飲んだ。


「どの道、この家にいる間は私が母親だよ! だから、言われたことはちゃんと守ること!」

「分かりました」

「えらいえらい、さすがマルちゃんのお婿さん♪」


 心底嬉しそうに笑いながら、小さな手で頭をわしゃわしゃと撫でてくるマコさん。

 まあ、家にいる間くらいは好きに言わせておこうかと半ば聞き流す精神でいた唯斗だが……。


「じゃあ、お母さん命令で結婚しなさい!」

「さすがに暴君過ぎません?」


 さすがに突拍子も無さすぎて、初めから反抗したことは言うまでもない。

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