第228話 約束は逃げるより早めに従うほうが軽傷
ハロウィンパーティーから数日後の放課後、《ゆいと》は自分の席に座っていた。
教室に残っているのは彼一人……ではなく、向き合うような形で膝の上に乗り、抱きついてきているこまるもいる。
「……いつまでこうしてればいいの」
「ずっと」
「それは無理だよ」
「約束、した」
「そうなんだけどさ……」
約束というのは、ハロウィンの夜に寝させてもらう交渉として同意したアレのことだ。
あの時に『続きは明日』と言ってしまったこと。そして、数日の間忘れたフリをして逃げ切ろうとしていたこと。
これにより、唯斗は今のような状況で拘束されることになってしまったのである。
「この体勢はまずいんじゃないかな」
「なにが?」
「いや、だから……ね?」
「わからん。ちゃんと、言葉に」
「……」
今、ここに先生が入ってきたなら、不純異性交友を疑われても仕方が無い。
首を傾げる彼女がそんなことを理解した上で乗ってきていることは明らかだったが、それでも純粋な瞳に泥水を垂らすことは出来なかった。
「どうしたら許してくれるの」
「結婚して」
「直球に見せかけた変化球だね」
「無理ならキスで我慢する」
「ドアインザフェイスしようとしてない?」
ドアインザフェイスとは、大きなお願いごとを断られてから、要求のレベルを下げることで『まあ、それくらいなら』と思わせる心理術である。
この場合、両方要求の達成難易度が高すぎて、開いてないドアに顔から突っ込んでるけどね。
「ハグで解決してよ」
「唯斗、逃げた。だからダメ」
「何でも買ってあげるよ?」
「サイン入り、婚姻届」
「……ちょっと無理かな」
「不満?」
「そんなことないよ。でも、自分の気持ちも分からないのに答えられないでしょ?」
「後悔、させない」
「違うよ。こまるに後悔させないために、僕の気持ちを確かめたいんだ」
かつては人生に一度と言われた結婚だが、近年『やっぱり価値観合わなかったわw』と別れる人は少なくない。
それはつまり、相手にバツを1つ付けることになってしまうということ。
目に見えなくとも重くのしかかるそれに対して、自分がどれだけの責任を取れるかどうかが問題なのだ。
「後悔、しない。絶対に」
「じゃあ、僕が他の人を好きだって気付いたら?」
「…………」
「結婚じゃなくても、付き合ってから余所見されたら嫌でしょ? かっこ悪いのはわかってるけど、僕はそうならない自信が無いよ」
「……調教、必要?」
「怖いこと言わないで」
余程ショックだったのだろう。クラッと揺れる彼女の体をそっと支えてあげつつ、唯斗は少し強めに抱き締め返してあげる。
「だから、今はこれで我慢して欲しい」
「我慢、無理なったら?」
「その時は不意打ちでも何でもしてよ。僕は全力で逃げるし止める。押し負けたらこまるの自由、そういうルールにしよう」
それはつまり、いつでもキスしていいという言葉であると同時に、絶対に拒むという意思表示でもあるのだ。
こまるのことだから、どこかの誰かと違って時と場合は配慮してくれると信じている。だからこそ、こうして踏み込んだ条件を出せた。
「わかった。じゃあ……」
小さく頷いて見せた彼女は、今こそと言わんばかりに早速唇を近付けてくる。
唯斗はそれを上半身の動きだけで避けると、再度こまるの体をギュッと抱き締めた。
「こまるが求めてくれる分、僕は出来る範囲で返すよ。気持ちだけにはなっちゃうけど」
「……大丈夫、嬉しい」
「難しくないお願いなら、ちゃんと聞きたいとも思うから。遠慮なく言ってね」
彼がそう言ってこまるを見つめると、彼女は既にお願いを持っていたようで、「しても、いい?」と聞いてくる。
「いいよ」
「じゃあ、私の家、泊まりに来て」
「……こまるの家に?」
「2人で、お泊まり。するの、夢だった」
確かに難しい話ではないし、夕奈の家に泊まっている時点で断ることは出来ないはずのお願いだ。
ただ、唯斗には叶える上で心配なことがひとつだけあった。彼女の両親についてである。
「ご両親は……?」
「もちろん、いる」
「いない日とか無いの?」
「……何か、企んでる?」
「そういう意味じゃないよ。ただ、あの二人に会うとちょっと騒がしくなりそうだからさ」
こまるの両親には色々とお世話になったこともあるが、逆にお世話をかけられたこともあった。
例を出すなら、たかいたかいや昨日の夜のことなどである。これらを加味すれば、お釣りが来てもいいような気がしなくもないのだが……。
「求める、返す。難しくない」
「そうなんだけどね、問題があるからさ」
「……夕奈と、した。私は、イヤ?」
「だから違うってば。楽しそうだし、こまるとだってしたいと思ってるよ」
傷つけたくなくて、慌ててそう口にしてから『やってしまった』と思った。
何も嘘はついていないし、正直な気持ちが漏れただけ。ただ、その正直さがゆえに自ら逃げ道を潰してしまったのである。
「なら、来る?」
「……うん」
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