第227話 感情がないわけではないから

「……そろそろ離れてくれない?」

「イヤだ」


 ベッドに入ってから、唯斗ゆいとの体内時計で30分ほどが過ぎた頃。

 こまるはまだ彼に抱きついたまま、胸に顔を埋めてきていた。さすがにこの状態では、ベッドであっても寝づらい。


「こまる、ハグならいつでもしてあげるから」

「今がいい」

「それ以外で」


 少し怒ったようにわざと声を低くして言うと、彼女は一度腕を離したかと思えば、「3秒後」と宣言して3つ数えてから再度抱きついてきた。


「せめて後ろからにしてよ、ちょっと息苦しい」

「これが好き。唯斗の胸、安心する」

「……困っちゃうなぁ」


 甘えてくれることは嫌ではないし、普段気持ちを口にしないこまるがこうして伝えてくれることも嬉しいとは思う。

 しかし、昼寝ならともかく夜の睡眠は彼女の相手をするよりもひとつ上の優先事項だ。

 いつまでも構っていられる体力があるわけではないため、早めに決着をつけておかなければならないのだが……。


「なら、こうしよう。今、ひとつ別のお願いを叶えてあげる。それでハグの続きは明日にしてよ」

「お願い、何でも?」

「この場でして問題ないことならね」

「わかった、そうする」


 こまるは小さく頷いて腕を離すと、自分の胸の前で両手をギュッと結びながら見つめてくる。

 そして、「お願い、言う」と呟いてから、視線を逸らすことなく真っ直ぐに伝えた。


「キス、して」

「……ん?」

「ちゅーの方が、好き?」

「いや、そういう問題じゃないよ」


 確かにこの場でキスをしたところで、寝ている2人にバレることは無いだろう。人様の部屋と言えど、数秒のことだから問題は無い方かもしれない。

 しかし、場所に関係なく発生する問題もある。唯斗はこまると付き合っている訳では無いからだ。


「こまるの気持ちは嬉しいよ。でも、少し先走りすぎだと思う」

「今に全力、それが大事」

「そんなアグレッシブなキャラだっけ?」

「唯斗、特別」

「それ言えば済むと思ってない?」

「全く」


 フリフリと首を横に振った彼女は、「する? しない?」と急かすように聞いてくる。

 唯斗の本心としては断りたいところではあるが、天秤にかけられているのは睡眠時間。彼にとって命の次に大事なものだ。

 かと言って、こまるの要望に飛びつけるわけでもない。『キス』というワードにフラッシュバックする光景があるから。


「やめようよ、そういうのは。恋人同士がすることでしょ?」

「なら、夕奈と唯斗、恋人?」

「どういう意味?」

「知ってる、二人の秘密。私だけ、不公平」

「まさか見てたの?」

「ちがう。帰ってきた時、様子おかしかった」

「……こまるに隠し事は出来ないね」


 要するに、こまるは初めからこの状況を想定して、わざと一人でベッドに寝ていたのだろう。

 唯斗が布団では寝付けないことを、山に行った時に知っていたから。あえて自分の方へ来るよう誘導したのだ。


「夕奈、した。私は?」

「あれはされたの。僕の意思じゃないよ」

「それでも、キスはキス。ずるい」

「そう言われても……」

「私とは、イヤなの?」

「嫌ではないよ。でも、友達だから」

「私は、出来る。唯斗も、気楽に」

「そう簡単にはできないかな」


 彼女への返事ができていない今、明確な理由もなしに断り続けるのは正直辛い。

 無表情な瞳からでも、たくさんの『好き』を感じるから尚更だ。だとしても、理性を失うわけにはいかない。……あの時のように。


「なら、ほっぺ。それなら、ゆるす?」

「……1回だけね?」

「うん」


 唇でないなら、まだ可愛らしい行為だろう。それで今日のところは落ち着いてくれるのなら、唯斗にとって許容出来る範囲内のことだった。


「……」

「あれ、しないの?」

「前置き、必要」

「前置きって?」

「……唯斗、好き。すごく、好き」

「あ、そういうことね」

「ずっと、こうしてたい。ずっと、好きでいたい」

「ちょっと長く――――――いや、何でもない」


 早めに終わらせて欲しいと急かそうかと思った唯斗だが、こまるの表情を見てやっぱりやめた。

 いつでも無表情、極たまに微笑する程度の彼女が、目を潤ませながら自分のパジャマをギュッと掴んでいたから。


「取られたく……ない……」


 結局、約束を終えた後も唯斗は、彼女が抱きついてくることを許してあげることにした。

 おかげでほとんど眠れなかったものの、嫌な気持ちは全く残っていない。

 ただ、初めてこまるの涙を見た瞬間、二度と見たくないと心に刻んだのだった。


「……ああ、眠い」

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