第225話 風呂に入る時は心の殻も脱ごう

唯斗ゆいと君は信じてないと思うけど、私は本当に唯斗君のことが好きなんだよ?」

「でも、冗談だって……」

「恥ずかしいからに決まってるじゃん。こんなこと言わせるなんて、唯斗君の鈍感め」


 夕奈ゆうなはそう言って照れたように目線を少し逸らすが、彼からすればこの言葉さえ冗談としか思えなかった。

 だって、これまで散々邪魔されて嫌なこともさせられて、楽しいと思ったことがない訳では無いけれど、やっぱり信じきれないというか……。


「……さては、信用してないでしょ」

「ごめん」

「わかった、今なら何でも言うこと聞く」

「いきなりどうしたの」

「唯斗君のこと好きだって証明したげる。だから、いくつでもお願いごとしてみて」

「そんなことで分かるの?」

「もう、私だって好きな人にしかしたくないことくらいあるんだかんね?」


 今、唯斗は夕奈に面と向かっている。視線を少し下げれば見えては行けないものが見えてしまうため、ずっと顔から視線を動かしていないのだ。

 そんな現状で頼めることなんて数少ないと思ったが、本人がして欲しいと言うのならいくつかは案を出さなければならない。


「じゃあ、お手」

「わん! ……って犬ちゃうわ!」

「その割にいつもしてくれるよね」

「夕奈ちゃん、前世がハチ公なもんで」


 よく分からない理由でヘラヘラしている彼女に、今度は「おまわり」と命令してみると、これまた指示に従って回ってくれた。


「えらいえらい」

「信じてくれた?」

「まだかな」

「じゃあ、もっと命令してみて」


 どれだけ命令しても信じられる保証はないが、いい加減のぼせてきたので早めに満足させた方がいいのかもしれない。

 そう判断した唯斗は、「好きな人にしかしたくないことって何か教えて」と3つ目の指示を出した。


「そんな直球で聞いちゃう?」

「それを確かめないと意味ないからね」

「もう、積極的なんだからー♪」

「……そろそろ上がろうかな」

「待ってくだせぇぇぇぇぇ!」


 お湯から出ようとすると、夕奈に腕を掴まれて引き戻される。そして「わかった、教えたげる」という言葉を聞いて体の向きを元に戻す。


「えっと……キス、とか?」

「それはさっきした……いや、されたね」

「わざわざ言い直さないでよ」

「だって同意してないし」

「でも内心は嬉しかったよね?」

「いや」

「ミリも?」

「全く」

「…………」


 彼女はスっと感情が抜け落ちたように真顔になったかと思うと、突然俯いて目元を押さえた。

 どうしたのかと見つめていると、お湯にポタポタと水滴が落ち始める。泣いているのだ。


「……ごめんね、唯斗君」

「どうして謝るの」

「だって、嫌だったんでしょ?」

「別に嫌じゃない。嬉しくないってのも嘘、少しはドキッとしたし」

「ほ、ほんと?」

「涙を見せられたら嘘つけないよ」

「……えへへ、やっぱり優しいね」


 潤む瞳を持ち上げて微笑んだ夕奈。唯斗はそんな彼女の目元を、頭に乗せていたハンドタオルでそっと拭ってあげる。

 この時、大人しく閉じられた瞳と長いまつ毛に、彼が少し胸の奥の何かがくすぶるのを感じたことは秘密だ。

 ただ一つ言えるのは、唯斗の中に先程の告白を信じられる気持ちがちょっぴりとだけ芽生えてきたということ。


「ねえ、もっとお願いして」

「そんなにたくさんは無いよ」

「夕奈ちゃん、まだ犬の真似しかしてないよね?!」

「じゃあ、今度は猫の真似して」

「にゃぁ♪」

「はいはい、かわいいかわいい」

「ぼ、棒読み……」


 唯斗は『やっぱり猫は本物に限るな』と心の中で呟きつつ、「そろそろ満足でしょ」と彼女の頭を撫でながら風呂から上がった。

 今度は引き止めてくることはなく、「うん、満足!」と笑っている。それほどまでに動物のモノマネがしたかったんだね。


「ところで唯斗君」

「なに?」

「私がお願いを4つさせた理由は何だと思う?」

「さっき自分で言ってたでしょ」


 浴槽に浸かりながらじっとこちらを見つめる夕奈に、「僕に信じてもらうためじゃないの?」と聞くと、彼女はニヤリと笑いながら首を横に振る。


「お願いを4つ。つまり、貸しを4つ使用させたということだよ!」

「と言うと?」

「これまでのは全部演技! これまで積み重ねられた貸しを消費する作戦だったんじゃ!」

「へえ、やっぱりね」

「あれ、反応薄くない?!」

「さすがにお馴染みの展開だもん」


 真剣な表情、弱々しい声、涙。さすがの唯斗も半分くらいは信じてきていたところだが、やはりすぐに信じなくてよかった。

 夕奈が自分を好きになる理由なんて無いだろうし、もし受け入れていたら『騙されるとかダサい』的なことを言われるのがテンプレルート。

 夕奈なんかに囚われていないで、こまるへの返事を優先する方がいいのかもしれない。彼女はどこかの誰かと違って嘘だなんて言わないだろうし。


「……でも、少し傷ついた」

「へ?」

「僕だって人間だよ。好きだと言われれば嬉しいし、騙されるとそれなりに落ち込む」

「いや、そういうつもりじゃ……」

「ただ、夕奈に仕返しをする方法はある。僕への貸しの個数っていくつか覚えてる?」

「え、4つじゃないの?」

「違う、5つだよ」


 そう、ずっと前から使う機会が無くて残り続けた4つと、先程追加された1つを合わせた5つ。

 夕奈はどこかで数え間違いをしたのだろう。要するに、唯斗にはまだ命令権があるのだ。


「じゃあ、今すぐに命令するよ」

「ゆ、夕奈ちゃんは従わないし!」

「いいや、絶対に従ってもらう。嘘をついた罰だよ」


 彼はそう言いながら彼女を見下ろすと、くるりと背中を向けて浴室の扉を開ける。

 冷たい空気が入り込んできてヒヤリとする中、唯斗は顔だけを振り返らせながらその『命令』を口にするのだった。


「次に告白する相手は、本気で好きな人にして」

「え、それだけ?」

「僕みたいに騙される人が現れて欲しくないからさ」

「あー、そっか。ごめんね」


 にっこりと微笑みながら「わかった、従うよ」と答える夕奈に、彼はそれ以上は何も言わないまま扉を締める。

 浴室に一人残った彼女は唯斗が服を着て出ていくのを待ってから、大きなため息と独り言を零すのだった。


「……またやっちゃった」


 恥ずかしくなるとつい誤魔化してしまう自分の悪い癖を、夕奈はのぼせるまで湯の中で悔やみ続けたそうな。

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