第200話 バラバラになった記憶は混ざりやすい

 唯斗ゆいとがベッドの縁に腰掛けてから15分ほど経った頃、晴香はるかはまだ眠っていた。

 こうして真っ白なベッドに寝ているのを見ると、彼女が1年間も病院のベッドで目覚めなかったという話を思い出してしまう。


「ハルちゃん……」


 卒業式の日に搬送されたのだ、普通なら知り合い以上の人間には情報が入ってくるはず。

 自分が卒業式の翌日に全員の連絡先をブロックしたからか、それとも誰かが意図的に知らせないようにしたのか。

 答えはどれだけ考えても分からないが、ただただ忘れようとしていた自分の薄情さが悔やまれた。

 夕奈にハルちゃんの事を聞かれるまで、思い出そうともしなかったのだから。


「ごめんね、知ってたら見舞いに行ったんだけど」


 晴香に向けてでは無い、自分に言い聞かせた言葉だった。こう思うことで、悪いのは自分じゃないと思い込みたいだけだと言うことはわかっているのだ。


「ハルちゃんが全部思い出すまで、責任を持って付き合うから。それで許してくれない、かな……」


 それが彼女の願いを受けいれるという選択をし、何も知らずにいられる幸せを奪うことへの償いになるのなら、唯斗はいつまでも彼女が目覚めるまで待っていられる気がした。


「……ん……?」

「ごめん、ハルちゃん。起こしちゃった?」


 座り治そうとしてベッドについた左手が晴香の手に触れ、それと同時に彼女はパチッと目を覚ます。

 唯斗は意識がなくても触れるだけで何か影響するのだろうかと考えつつ、ベッド横に置いてあった水入ペットボトルを手渡してあげた。


「……ゆーくん?」

「そうだよ。あ、寝顔見てたのまずかった?」

「そうじゃないわ。……ていうか、どうして当たり前みたいな顔してここにいるの?!」


 晴香はこちらを見ながら何故か取り乱し始める。まるでお化けでも見たような表情だ。

 おかしいのはそこだけじゃない。今の彼女の口調は、記憶を失う前の彼女そっくりだった。


「まさか、全部思い出したの?」

「思い出したも何も、記憶喪失になったのはゆーくんの方でしょ?」

「何言ってるの。ハルちゃんが不良の喧嘩に巻き込まれて入院したんだよ」

「違うわ、ゆーくんが屋上から――――――――」


 そこまで言いかけて、晴香の口がピタリと止まる。そして見開いていた目がスっと閉じたかと思うと、もう一度開いたそれは辺りをキョロキョロと見回し始めた。


「ハルちゃん……?」

「ゆーくん、ここはどこですか?」

「……戻った?」

「何がです?」


 どうやら先程のことは何も覚えていないらしい。

 アルツハイマー等でも、時々記憶と思考のプラグがカチッとハマったように、一時的に全て思い出すことがあると聞いたことがある。

 きっと先程のはハマるプラグがズレて、記憶が混同しちゃったんだろうね。僕が屋上で何をしたのかは分からないけれど、そんな場所に行った記憶もないし。


「はっ?! もしかして私、いびきうるさかったですか? そ、それで様子を見てたんじゃ……?」

「違うよ。幸せそうだなって思ってただけ」

「えへへ、楽しい夢を見からですかね?」

「楽しい夢?」

「中学生の私が出てくる夢です。顔は覚えてませんけど、仲のいい男の子もいたんです♪」

「仲のいい男の子……」


 晴香によると、名前も顔も覚えていないけれどすごく温かい夢だったらしい。

 夢の中で温度を感じることがあるのかは分からないが、2人で本を読んでいたと言われれば『男の子』が誰なのか察しはついた。


「もしかすると、夢じゃなくて記憶なんですかね?」

「そうかもしれないね」

「なら、明日から枕元にメモを置いておくことにします。起きてすぐに夢の内容を書くんです!」

「夢を書き残し続けると狂うって噂あるよね」

「や、やややややめておきます……」

「怖がりすぎだよ」


 こんな他愛もない話をしている晴香から、もう昔の彼女の姿は垣間見えない。本当に一瞬だけのプラグインだったんだね。

 残念なようなホッとしたような。やっぱり段階を踏んで思い出させてあげた方が、こちらとしても気持ちの準備がしやすいのかもしれない。

 唯斗がそんなことを思っていると、4時間目終わりのチャイムが鳴ると同時にドアが勢いよく開く音が聞こえてきた。


「たのもー!」


 夕奈ゆうなだ。授業が早く終わって、戻ってこない彼を迎えに来たのかもしれない。

 まあ、カーテンの中から顔を出そうとする前に、先生によってあっさりとつまみ出されてしまっていたけど。


「騒がしくするなら出禁にするわよ!」

「いやいや、今の先生の声の方が騒がし―――――」

「ブラックリストに登録しておくわね」

「ど、どうかご慈悲を……」

「……ふぅ。今回だけよ?」

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