第199話 保健室の先生は何だかんだ優しい

 唯斗ゆいとが目を覚ましたのは、3時間目の授業が半分ほど終わった頃だった。

 彼は体を起こすと同時に額に違和感を感じ、そこに貼られていた熱さまシート、通称冷えピタを剥がす。


「……わざわざ貼ってくれたのかな」


 自分で触れてみる限り、額に腫れもなければ痛みもない。このシートのおかげだろうか。

 唯斗はカーテンの隙間から外に出ると、机に向かって作業をしていた先生に声をかけた。


「先生」

「ん? あら、ようやく起きたのね」

「いくら寝ても眠い体質なので」

「よく寝るのはいいことだけど、今のうちに体を動かしておかないと将来は動かしたくても動けなくなるわよ?」

「先生はまだそんな歳じゃないですよね」


 唯斗がそう言ってみると、彼女はあからさまに嬉しそうに微笑んで、何かを思い出したように「あ、これ聞いてみたかったのよ」と少し前のめりになる。

 どこかの誰かと違って、自己主張の激しいとある部分に本能が吸い寄せられそうになるが、そこはなんとか質問の返事を考えることで踏ん張った。


「若い子から見て、先生っていくつに見える?」

「92くらいですかね」

「ふざけてるの?」

「あ、年齢の話ですか?」

「……逆に何の数値を答えたのかしら?」

「知らない方がいいこともありますよ」


 危ない危ない、気付かないうちに先生の自己主張が思考回路の中に入り込んでいたとはね。

 唯斗は心の中で自作の『落ち着け音頭』を再生して気を確かに持ち直すと、先生の顔をじっと見つめて年齢を導き出す。


「19ですか?」

「お世辞も行き過ぎるとイラッとするわね」

「18?」

「最終学歴中卒でここに座ってたら驚きよ」


 さすがの唯斗もそこまで若いとは思っていないが、女性がこういう質問をしたら若く言った方がいいとテレビで聞いたことがあるのだ。

 言った年齢と事実とが離れていれば離れているほど、女性は満更でもない顔をしてくれるんだとか。まあ、嘘情報だったみたいだけど。


「こう見えてもう35よ」

「……自慢ですか?」

「じ、自慢出来ることがこれくらいしかないのよ!」


 指摘されたのが恥ずかしかったのか、強引に視線を外して作業に戻ってしまう先生。

 確かに見た目だけなら20代半ばくらいだと思っていたし、むしろ事実の方を疑いたくなるレベルの若々しさではある。


「というか、25って言ってもバレませんよ」

「カラオケに行ったらバレるわ」

「そこだけは隠せませんからね」


 魔法少女と言えば?という質問に対し、赤ずきん〇ャチャと答える人と、まど〇マギカと答える人がいるのと同じ現象だ。

 ……ついつい先生の年齢トークに花を咲かせてしまったが、本来の目的を忘れてはいけない。

 唯斗は軽く首を振って気持ちを切り替えると、半分に折った冷えピタシートを先生に見せた。


「これは先生が?」

「念の為にね。養護教諭として、生徒のおでこを腫れさせるわけにはいかないでしょう?」

「ありがとうございます。おかげで赤くなってたところも治りました」

「ふふ。午後からは授業に出るのよ?」

「ま、また頭が……」

「……いい加減怒っていいかしら」


 先生のこめかみがピクっとし始めたところで、唯斗もサボり作戦は諦めて教室に戻ることにする。

 しかし、授業の途中に戻るというのは少し気が引けた。一瞬でもクラスメイトからの注目を浴びるわけだし。

 そこは譲歩してくれるようで、先生も「午後からって言ったでしょう?」とこの時間の終わりまではここにいていいことにしてくれる。物分りのいい先生で助かるね。

 彼女は唯斗が「先生みたいな人が社会に増えたらいいのに」とお世辞を言うと、「嫌われ役も必要なのよ、社会にはね」と深そうなことを呟いた。


「あ、もうひとつ聞きたいことがあったのよ」

「92のことですか?」

「だから、それは何のこと?」

「分からないならいいんです」


 先生はしばらく首を傾げていたが、やがてまあいいかという風に頷いて考えるのをやめてくれる。

 胸元に手を当てられた時は危なかったよ。ついにバレたかと思ったもん。


「あなた、小田原おだわら君よね。文化祭でちょっと有名人だった子、さっき思い出したのよ」

「それがどうかしたんですか?」

「もうひとつのベッドで寝てる子、知り合いよね? 眠る前に君のことを話してたの」

「僕のこと?」

「『ゆーくん、小田原 唯斗さんのことを考えると、時々気を失いそうになるんです』って」


 その言葉を聞いて彼は確信する。隣のベッドに眠っているのが誰なのかを。


「あの、覗いても大丈夫ですか?」

「何かトラブルが起こっても、あなたの自己責任ってことにしてくれるならいいわよ」

「それでも養護教諭ですか?」

「私みたいな大人になっちゃダメよ」

「説得力がありますね」


 まあ、何はともあれ誰なのかもわかりきっているし、トラブルになることは恐らくないから大丈夫だろう。

 唯斗はそう判断すると、カーテンの隙間から中へと入って枕の上の寝顔を覗き込んだ。


「……やっぱり、ハルちゃんだ」


 彼は『倒れたってことは思い出しかけたってことだよね』と心の中で呟きつつ、起きるまで待っていようとベッドの縁にそっと腰を下ろした。

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