第197話 衣服は人類の大きな発明だと思う

「じゃあ、僕たちはもう帰るね」

「来てくれてありがと。すごい楽になったし」

夕奈ゆうなが素直だ、まだお腹痛いのかな」

「どういう意味かな、唯斗ゆいと君?」


 拳を握りしめながら詰め寄ってくる彼女に後退りし、そのまま「またね」と帰宅という名の逃亡をする唯斗。

 こまるも「じゃ」とだけ言って軽く手を振りながら追いかけていく。完全にべったりだよ、あのマルちゃんがここまでとはね。

 夕奈は心の中でため息をつきつつ、部屋に戻ってベッドに寝転ぶ。朝から腹痛で悶えたせいで汗の匂いがする、シーツを洗った方が良さそうだ。


「……ついでに着替えようかな」


 シーツは予備が置いてある。洗濯に出すなら汗をかいたパジャマも一緒に洗いに出してしまおう。

 そう思ってパジャマを脱いだ彼女は、新しいのを着ようとしたところで体が何だかねっとりしていることに気がついた。


「お風呂入っちゃおっと」


 そんな独り言をこぼしつつ、シーツと脱いだパジャマを抱えて部屋を出る夕奈。着心地の悪さから解放されてすごく清々しい気分だ。


「お風呂お風呂〜♪」


 この状態で体を綺麗に洗えば、さらにさっぱりするだろう。そう思うと何だか足取りが軽かった。……階段を下り切るまでは。


「お風呂お風―――――――――」

「またお邪魔しま―――――――――」


 玄関を開けて入ってきた唯斗と、下着姿の自分の目がバッチリ合ってしまったから。

 どうして戻ってきたのか、なぜそんなにも凝視してくるのか。そんな疑問が頭を駆け巡って一気に顔が熱くなる。


「み、見世物や無いかんな?!」

「ごめん、予想外すぎてつい……」


 彼にも配慮する気持ちはあるのだろう。そっと視線を逸らすと、「やっぱり今度にする」と背中を向けた。

 しかし、夕奈も見られたからにはタダで帰すわけにはいかない。つまり、それ相応の理由があって戻ってきたのなら許せるのだ。


「要件を聞かせて」

「いや、でもお風呂なんでしょ?」

「いいから早く」

「……わかった」


 唯斗は仕方ないと言ったふうに諦めると、目は逸らしたまま靴を脱いでこちらへと近付いてくる。

 少し驚いたが重心を少し前に置いて彼を見つめ続けた夕奈は、ドキドキしつつも余裕を偽って「で?」と急かした。


「昨日、僕が食べきれなかったアイスを食べてくれたでしょ?」

「ああ、あの新作の……」


 昨日、唯斗も夕奈と同じく3段のアイスを頼んだのだ。そのうちの一つに期間限定の『レモンスプラッシュ』なるものがあった。

 しかし、あまりの酸っぱさに彼は二口目で限界を迎え、興味ありげに見ていた夕奈にそれを譲ったのである。


「あの4つ目のアイスが腹痛の原因かもしれないからさ。謝ろうと思ってたんだけど、いきなり様子がおかしかったから忘れちゃってて」

「そんなことで私は下着を見られたってこと?!」

「そんなことって言わないでよ。これでも今日一日どう謝るか悩んでたんだから」

「あ、ごめん……」


 夕奈はシーツで体を隠しつつ、にっこりと微笑んで「わざわざありがとう」とお礼を伝える。

 謝ったのにありがとうなんておかしい気もするが、本人が許してくれたようなので唯斗も深くは突っ込まないでおいた。


「でも、メッセージで言ってくれれば良かったのに」

「顔を見て伝えたかったから」

「むふふ、そんなに夕奈ちゃんの顔が好きかい?」

「いや、『謝罪は直接だろうが!』って明日の朝に殴られても困るし」

「……私はなんだと思われてるんですかね」

「でも、そんな格好で家の中にいるなら、腹痛の原因はアイスじゃなくてそっちだったかも」

「いや、今日だけだかんね?!」

「謝って損した」

「夕奈ちゃんの笑顔を返せやおら」

「笑顔って無限に湧くものだよ」

「やかましいわ!」


 夕奈は唯斗の背中をぺちぺちと叩くと、「許してあげるから帰った帰った!」と家から追い出す。

 彼が玄関から出る際に発した「じゃあ、また学校でね」という言葉に頬を緩めつつ、今度はしっかりと鍵をかけてから風呂場へと向かうのであった。


 一方その頃、夕奈を呼びに部屋に立ち入った陽葵ひまりは、床に落ちていた箱を手に取って頭を悩ませていた。

 これは先程こまるに『お薬、欲しい』と言われて彼女が薬箱を出し、その中から取って夕奈へ届けに行っていたものだ。

 しかし、妹は単なる冷えによる腹痛。この生理痛に効く薬が効くとは思えない。


「夕奈ちゃん、まさか……?!」


 しかし、陽葵には思い当たる節があった。実はこの薬、いわゆる低用量ピルと呼ばれる避妊薬なのだ。

 避妊というより、生理周期の安定や生理痛・排卵痛の軽減、そしてニキビ対策にもなると言うので使っていたのである。

 彼氏と万が一のことがあっても安心というのは、彼女の中でも少しはあったが。


「夕奈ちゃんもついに大人になったのね!」


 そう心を震わせる勘違い姉は、それにしてはおかしな点が2つあることに気がついた。

 まず、直前に服用しても効果は見込めないということ。そしてもうひとつが―――――――――。


「どうしてあの子じゃなく、こまるちゃんが取りに来たのかよね。……3人、ってこと?」


 自らの勘違い発言にポッと顔を赤らめた陽葵がその後、夕奈にちょっかいを出して「まだだし……って何言わせてんの?!」とめちゃくちゃ叩かれたことは言うまでもない。

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