第194話 本当に欲しいものは努力でも届かないかもしれない

 時は流れ、二学期の中間テストが終わった数日後。放課後の教室にて、唯斗ゆいとは向かい合うように座った夕奈が差し出してきたテストを見ると、思わず驚いてしまった。


「どうよ!」

「……結構頑張ったね」

「でしょでしょー?」


 一学期の中間テストでは最低点数0点、最高点数4点だった彼女が、全教科平均点前後を取ってきたのだから。


「さすが夕奈ちゃん♪」

「まあ、僕のと比べたら低いけどね」

「90点台の人と比べられたくないですよーだ」


 机から取り出した唯斗のテストは、迷惑そうに「シッシッ」とのけられ、後に残ったのは夕奈のドヤ顔だけ。

 今回は内容も難しかったし、それでこの点が取れたのなら普段はイラッとする顔も少しは許せる気がした。


「ところで唯斗君? テスト前にした約束のことなんだけどさ」

「み、瑞希みずきにスイーツバイキングの日を決めてもらわないと……」

「逃がさんよ?」


 廊下で待ってくれている瑞希たちのところへ行こうとした瞬間、制服を掴まれて捕らえられてしまう。

 テスト期間中必死に考えた逃亡作戦だったというのに、こうもあっさりと破綻してしまってはもうお手上げだよ。


「僕も男だ。覚悟を決める時は決めるよ」

「何それ、嫌がってるみたいじゃん」

「嫌だもん」

「よし、満足するまで付き合ってもらうかんね」


 夕奈はそう言いながら唯斗を引き寄せると、イスに座らせて彼の膝の上に跨って腰を下ろした。

 これで立ち上がることも出来なければ、ほとんど上半身の抵抗も出来なくなったわけである。

 おまけにカーテンで周囲の視界を遮ってしまえば、廊下から一番遠い窓際のこの席からでは助けは呼べない。


「夕奈、やっぱり良くないよ。こういうのってお互い好きだからすることだし……」

「キスから生まれる恋もあると思うよ?」

「少なくとも僕からは生まれない」

「ほんとかなー?」


 彼女はそう言いながら唯斗の胸に手を当ててくる。ドクッドクッと伝わってくる鼓動は、平常よりも明らかに早く、強くなっていた。


「バレバレだよ?」

「別に夕奈だからじゃない。花音かのんにされてもきっとこうなるよ」

「カノちゃんにこの体勢は無理じゃない?」

「うん、無理だと思う」


 ド〇キで売っている18禁グッズをお掃除道具だと誤魔化したら、あっさり信じて買いたいなんて言ってしまうような純粋な子なのだ。

 いや、むしろ純粋過ぎてこの格好をなんとも思わない可能性もある。それはそれで問題なわけで、ある程度の指導は瑞希にしてもらった方がいいのかも。

 唯斗がそんなことを考えているうちに、夕奈は彼の首に腕を回して少し前のめりになった。

 そろそろ本格的に危機感を覚え始める時間だ。


「夕奈、他のご褒美に変えない?」

「例えば?」

「飴玉」

「却下」

「マッサージ」

「え、エロいやつか?!」

「普通のやつだよ」

「なら却下」

「わかった、メイド服着るから」

「あ、女装しながらキスもありかもね」

「これ以上、僕の負担を増やさないで」

「まあ、とりあえず却下」


 その後も『ゲームで負けてあげる』だとか、『ベッドでゴロゴロする権利』なんてものを挙げたが、全てあっさりと却下されてしまう。

 天音あまねを一日自由にできる権利なんてものも考えたけれど、妹の自由と将来のためにもそれだけは心の中だけに留めておいた。


「じゃあ、1秒だけでいいよ」

「えぇ……」

「0.5秒?」

「出来れば0秒にしてくれない?」

「無理に決まってるでしょ?!」


 彼女は不満そうに頬を膨らませると、「10秒に延長!」と勝手に宣言して顔を近づけてくる。

 それを見て慌てた唯斗は、反射的に手で夕奈の口を塞ぐことで回避したが、手のひらを撫でる生温かい感触に手を離してしまった。


「舐めないでよ、ばっちい」

「夕奈ちゃんの舌は綺麗だし!」

「だからって舐めていいわけないでしょ」

「もう、ごちゃごちゃうるさいよ!」

「あ、ちょ……!」


 今度こそ本気でするつもりなのか、夕奈は両手で彼の顔を包み込むようにして自分の方を向かせる。

 そして軽く突き出した唇を近付け、必死に抵抗しようとする彼と強引にキスを―――――――――。


「……っ?!」


 ――――――――――出来なかった。

 唇の触れ合う直前で聞こえてしまったのだ、窓の外のベランダにいる者の囁き声が。


『まずい、バレたか?』

『だから覗き見は廊下からって言ったのに〜』


 カーテンで教室内や廊下からの視線は隠せても、ベランダから見られればバレバレだ。

 囁き声の主である瑞希、風花ふうかはそんなベランダの窓の下に隠れ、目だけを覗かせて唯斗たちの行動を観察していたのである。

 ちなみに、花音は瑞希に目元を覆われて『真っ暗ですぅ……』と困惑しており、こまるは風花が両手で視界を遮っているものの、無言でじっとしていた。


「み、みんな廊下で待ってたんじゃ……?」

「つい、展開が気になっちまってな」

「……ちなみに、いつから見てたの?」

「『キスから生まれる恋もある』の辺りだな」

「一番恥ずかしいところだね?!」

「でも、やっぱりキスできなかったな」

「なっ?! い、今からするし!」


 そう宣言した夕奈がみんなに見つめられながらできるはずもなく、「唯斗君、絶対に許さん!」と八つ当たりした後に落ち込んでしまったことは言うまでもない。


「帰りにアイスでも食べてくか」

「……いらない」

「奢るぞ?」

「……いる」

「おう、甘い物食べて明日からも頑張ろうな」

「瑞希のせいだかんね?!」


 そう叫ぶ夕奈からすれば邪魔者でも、唯斗からすれば救世主である。やはりミズエルは堕天してミズモデウスになったりはしていなかったわけだ。


「ところで……アイスって2段まで?」

「3段でもいいぞ」

「さすが瑞希! 愛してる!」


 そんな風にコロッと評価を変えた夕奈が、アイスの食べすぎでお腹を壊し、翌日学校を休むことになることを知る者はまだ居ない。

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