第189話 過ちが現実に繋がることもある

「あ、あはは。まさか、ゆーくんと佐々木ささきさんがそういうご関係だとは……」

「だから違うんだってば」

「隠さなくて大丈夫です! 私、お邪魔でしたよね」


 ベッドの上で寝息を立てている夕奈ゆうなへチラッと視線をやった晴香はるかは、教科書とノートを入れたカバンを肩に掛ける。


「私は一人でも勉強できるので……」

「待ってよ」

「では、また学校で」

「待ってってば!」


 唯斗ゆいとは逃げるように部屋から出ようとする彼女の腕を掴んで引き止めると、多少強引に自分の方を振り向かせた。

 しかし、その瞳が小刻みに震えているのを確認すると、「……ごめん、痛かった?」と手を離してしまう。


「そういうわけじゃないんですけど……唯斗さんに触れられると、何故かすごく動揺しちゃうんです」

「もしかして、また何か思い出しそうなの?」

「おそらくは」


 晴香は掴まれたばかりの右腕を見つめると、「不思議な気持ちなんです、すごく」と笑っているのか悲しんでいるのか曖昧な表情を見せた。


「全部思い出したいはずなのに、記憶が出てくることを怖がっている自分がいます。私はそんなに悪いことをしたんですか?」

「そうじゃない、ハルちゃんは悪くないから」

「ならどうしてそんな悲しい顔をするんですか。思い出すと都合の悪いことがあったんですよね?」

「……本気で知りたいの?」


 唯斗の言葉に体を硬直させる彼女。目が右へ左へ行ったり来たりしているのを見るに、自分の中で葛藤が起こっているのだろう。

 彼がこんなことを聞くのは、確かに全てを話す覚悟はしたが、本人が本気で知りたいと思った時でなければきっと受け入れきれないと思ったのだ。

 案の定晴香はこちらに伸ばした手をだらんと垂らし、ゆっくりと首を横に振って見せる。


「やっぱり、もう少し時間をください」

「そうした方がいいよ。いつでも待ってるから」

「ありがとうございます、では」


 足早に出ていく晴香の背中を見つめていると、代わりにジュースのお代りを持ってきてくれた天音あまねが部屋に入ってきた。


「ハルちゃんさん、もう帰っちゃうの?」

「うん。驚かせちゃったみたい」

「夕奈師匠との熱いキスで?」

「っ……待って、どこから見てたの」


 その質問に彼女はニヤリと笑いながら部屋の奥へ向かうと、本棚の一角から3cm×2cmほどの黒い物体を取り出した。


「こ、小型カメラ?」

「本当は体育が上手な子のをこっそり録画するからって、お母さんに買ってもらったんだけどね」

「あの人、何てものを買い与えたの……」

「天音、お母さんを守れる子になりたい!って言ったら3秒でポチってくれたよ?」

「……お兄ちゃん、天音が怖いよ」


 とりあえず録画したものはすぐに消してもらうよう頼んだが、果たして本当に消してくれるかは怪しいところではある。

 天音が拡散するような悪い子じゃないことは知っているけれど、万が一ということもあるから心配だ。


「まあ、せっかく師匠と二人っきりだよ? もうカメラは外しておくから、後は若い二人に任せるとしましょうかね♪」

「どこでそんな言葉覚えてくるの」

「最近の小学生ならみんな知ってるもん」


 彼女はそう言って鼻歌を歌いながら部屋から出ていくと、足音を聞く限りそのまま階段を下りて行った。

 ただ、唯斗からすればこれ以上夕奈に変な気を起こすことなんてありえないし、おかしな期待をされても困るのだが……。


「ん、唯斗君……?」

「やっと起きた。僕はここにいるよ」

「あれ、もうこんな時間?! 勉強途中なのに!」

「手を付けてすらいなかったけどね」

「ちょ、人のいるところで……あれ、居ない?」

「ハルちゃんならもう帰ったよ」

「そっかそっか、帰ったのかー!」


 いつも通りに見える会話も、少し気まずく感じていた。つい数時間前、眠っていた夕奈からすれば先程、あれだけのキスをしてしまったのだから仕方ない。

 恋人同士ならまだ良かったが、2人ともフリーである。いくら唯斗でも今回ばかりは意識せざるを得なかった。


「……あのさ!」

「う、うん」

「キスのことなんだけどね、私気にしてないから!」

「ほんと?」

「モテモテの夕奈ちゃんだよ? キスの一度や二度、どうってことないさ!」

「じゃあ、7回も気にしないの?」

「うっ……そんなにしたっけ」

「何その反応、覚えてる僕がバカみたいじゃん」


 自分から2回、夕奈から5回。意識の途切れることがなかった彼ははっきりと覚えている。というより、忘れたくても忘れられないのだ。


「あのね、勘違いしないで欲しいんだけど……」

「わかってる、キスは本気じゃないんでしょ?」

「そうじゃなくて! もしも唯斗君がキスのことを忘れたくないなら、覚えててもいいんだよ?」

「どういう意味?」


 あんな黒歴史、自分は忘れるというのに人には覚えていろなんて鬼畜にも程がある。

 そう思って唯斗が眉を八の字にしながら首を傾げていると、背伸びをして彼の頬に唇を押し当てた夕奈は意地悪な笑みを浮かべて見せる。


「ふふ、ずっと夕奈ちゃんに困っちゃえって意味♪」

「はぁ、やっぱり悪魔だね」

「可愛い悪魔でよかったじゃん?」

「……否定はしないよ、面倒だし」


 そんなこんなで、テスト一週間前の勉強会は夕奈が一切勉強しないまま終わりを迎えたのであった。

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