第177話 それは生贄か、身代わりか
こまると別れてから少しして、階段下から出てきたところを
彼女は
「唯斗君が誘拐されたのかと思ったじゃんか!」
「いくら僕でもそんなに弱くは……」
そこまで言いかけて、先程のはある意味誘拐なのではと言葉を止めてしまったが、「……まあ、心配してくれてありがと」とお礼を口にした。
「罰としてポテト奢りね」
「まだ食べるの?」
「売り切れる前にもう一つだけ!」
「太るよ?」
「その時は唯斗君連れてランニングすればいいし」
「絶対付き合わないから」
「あー、唯斗君居なくなって不安だったなー?」
「……はいはい、奢ってあげるから」
夕奈が「最近、唯斗君甘くなったよね」と言うと、彼は「そっちの方が疲れないって分かっただけ」と返して歩き始める。
しかし、その数秒後には2人の背後から駆け寄ってきた人物によって行く手を阻まれてしまった。
「少しお待ちを!」
突如目の前に立ち塞がった彼女は、魔女のような格好をしている。文化祭という雰囲気のおかげで中和されているけれど、街中にいれば補導案件だ。
「あれ、今日ってハロウィンだっけ?」
「それじゃあスクランブル交差点に……って違いますから! 私は演劇部の
夕奈に「知ってる?」と聞いてみるも、首を傾げられるだけ。どちらの知り合いでもないらしい。
ならばどうしてこんなジ〇リから出てきたみたいな人に話しかけられなければならないのか、尚更疑問だ。
「そこのあなた! あなたですよ!」
「……僕?」
「そう! 演劇に出てみませんか?」
「急に言われてもね。急じゃなくても出ないけど」
「仕方ありませんね、この誘い方はしたくなかったのですが……」
林原さんはそう言いながら身に纏うローブの内側に手を突っ込むと、1枚の紙を取り出して見せつけてくる。
「このポスターに写ってる人、知ってますよね?」
「?」
「ま、まさか知らないんですか? 演劇部一の美貌と美声を誇る
「確かにそれっぽい名前だね」
唯斗が「この人がどうかしたの?」と聞くと、彼女は得意げに胸を貼りながらポスターをヒラヒラと揺らした。
「引き受ければ高根先輩とキスができるんです。それも出演時間は最後のワンシーンのみ!」
「はぁ……」
「キスもしたことなさそうな地味な見た目なあなたには、とーってもいいお話だと思いません?」
あからさまに見下したような発言に唯斗がため息をつくと、隣にいる夕奈がふいっとそっぽを向く。
耳が赤くなっているところを見るに、キスというワードで思い出したのだろう。おそらく唯斗が思い浮かべているのと同じ瞬間を。
「夕奈はどう思う?」
「あ、えっと……やめといた方がいいんじゃない?」
「そうだよね、面倒臭いし」
話し合いによってその結論が出たことで、彼が「悪いけど他を当たって」と横を通り過ぎようとすると、突然林原さんがその場に崩れ落ちた。
「……大丈夫?」
「ああ、演劇部のみんなに怒られる。熱を出した王子の代役を必ず見つけるって約束したのに……」
「それは気の毒だけど、僕には向いてないからさ」
「どうせ私は役立たずですよ。演技も下手で、ガラスの靴を割った破片に毒を塗って姫を刺す役しか与えられない女ですし……」
「最近の魔女は殺意を隠す気ゼロなんだね」
床に這いつくばって泣き始める林原さん。これはさすがに通り行く人から引いた目で見られているし、何より自分が泣かせたと思われている。
何とか別の場所に連れて行ってから、もう一度丁寧に断ろうと思って肩を貸そうとすると、顔を上げた彼女が思い出したように呟いた。
「あ、給料として1000円出ますよ」
「よし、引き受けよう」
「ちょっと待て?!」
あっさりお金に釣られる唯斗を、大人しく話を聞いていた夕奈が引き止める。
彼女が「1000円で知らない女とキスしていいの?」と聞くと、「もう手遅れじゃん」と真顔で返された。
手遅れの原因を作った張本人としては何も言い返せず、もう指をくわえて見ていることしか出来ないのかと諦めかけた時、金魚レベルの脳みそに名案が舞い降りてきた。
「林原さん、王子役って女の子がやってもいいの?」
「胸が大きすぎず、男っぽい動きさえ出来れば問題ないですけど……」
「ふむふむ、なるほどね」
夕奈はブツブツと何かを呟くと、林原さんと唯斗を交互に見てから大きな声で宣言する。
「唯斗君の代わりに私がやる!」
「夕奈、でも胸が……あっ」
「勝手に納得するのやめてくれない? 自分でも辛いんだから!」
「だとしても1000円が……」
「1000円はあげるからそれでポテト買って?」
「お釣りは?」
「くれてやんよ!」
「よし、譲る」
そういうわけで、夕奈が熱に倒れて姫が生き返るためのキスシーンが出来ない王子の代役として、演劇の最後の10分間だけ出ることになったのだ。
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