第176話 言葉で示さない気持ち
「美味しいものも食べたし、アトラクションも楽しんだし、労働も終わった。さあ、次は何をしよう!」
廊下を歩きながらそんなことを言う
正直、彼にとってこの昼と夕方の間の時間というのは、一日の中で最も眠気を感じる時間なのだ。
「文化祭終了まであと2時間くらいはあるね」
「寝たい」
「むっ、文化祭でしか出来ないことをしようよ」
「文化祭でしかできないこと?」
「例えば、あのステージに立ってみるとか」
彼女がそう言って指差した窓の外に目を向けると、校庭に作られた特設ステージの上でマイクを握っている女子生徒の姿が見えた。
看板には『大暴露大会〜言いたいことを言おう!〜』と書いてあるから、昔にあったらしい屋上から学生が叫ぶ某番組的な企画なのだろう。
「私、実は……B型じゃなくてO型なんです!」
叫ばれていることはそんなどうでもいいことばかりで、まさにパリピのノリが満載の舞台。
唯斗のような種類の人間からすれば、あそこに登るのは清水の舞台から飛び降りるよりも危険な行為だ。
「ねえ、私たちも行こうよ」
「嫌だよ、叫びたいことなんてないし」
「なんでもいいからさ、ね?」
「一人で行って」
グイグイと腕を引っ張ってくる夕奈に抵抗するも、単純な力の差でズリズリと引きずられ始めた頃。
先程の血液型詐称ガールと交代で舞台の上に立った女の子を見た2人は、同時にピタリと動きを止めた。
「あれ、マルちゃんじゃん」
「こまるってああいうタイプだっけ?」
「普段なら嫌がるはずだけど」
共通認識の通り、唯斗の頭の中では勧められても『イヤだ』の3文字で拒む彼女の様子が再生されている。
それなのにわざわざあの非パリピ処刑台のような場所に立ったということは、余程世間に物申したいことがあるのではないだろうか。
「わ、私……
緊張しているのか声が震えている。舞台のすぐ下では
その先には偶然か必然か、2人が顔を覗かせている窓。こまるは深く息を吸い込むと、その小さな体から大きな声を―――――――――――。
「っ……」
―――――――――――――出せなかった。
彼女は悔しそうに下唇を噛み締めながら、司会者にマイクを渡してその場から走り去ってしまう。
観客がザワつく中、校庭から校舎の中へと駆け込む様子を眺めていた唯斗は、隣で首を傾げる夕奈の方を見た。
「何か悩みがあったのかな?」
「マルちゃんに限ってそんなことは……」
「よく考えたら、夕奈とか瑞希のことは知ってるけど、こまるのことって何も知らないかもしれない」
「私でも今のマルちゃんの気持ちは分からないかな」
そんなことを言い合いつつ、再び歩き始める2人。少し進んでトイレの前に差し掛かった時、「お花詰んでくる!」と夕奈が駆け込んで行ってしまった。
ここは待っていることしか出来ないので、彼が大人しく景色でも眺めながら時間を潰していると、突然グイッと腕が引っ張られる。
「……あれ、こまる。どうしたの?」
彼女の額には汗が滲んでいて、どうやらここまで走ってきたらしかった。
唯斗が「さっきは何を……」と言いかけるも、無言のまま腕を引っ張ってどこかへ連れていこうとするこまる。
さすがに勝手に離れることは出来ないからと止まるように言ったが、階段下の薄暗い場所に連れ込まれて「しー」と唇に人差し指を当てられると反射的に黙ってしまった。
「唯斗君? 勝手に逃げるなんて……」
夕奈の声が近付いてきて、またすぐに遠ざかっていく。ここにいることは気付かれなかったのだろう。
こんなことまでしたのには理由があるはずだと感じた彼は、とりあえずこまるに事情を聞くことにした。
「どうして夕奈から僕を離したの?」
きっと一緒に回りたいとか、そういうことなんだろうと思い込んでいた唯斗。しかし、その質問に対する答えは想像とは全く違うものだった。
「5分だけ、一緒に、いたい」
こまるはたった5分間だけ、この薄暗い場所に一緒にいて欲しいと言うのだ。動くでも遊ぶでもなく、ただここに座っているだけ。
「……わかった」
「ありがと」
夕奈には悪い気もするけれど、5分くらいなら後で言い訳で誤魔化せる範疇だろう。
そう判断した彼は、お願い通り彼女の横に座ると時折何でもない話をしつつ、大半の時間をゆったりとくつろいだ。
少し離れたところから聞こえる文化祭の騒がしさに耳を傾けているだけだと言うのに、不思議とその無言に気まずさや苦を感じない。
文化祭が大好きな人間が見れば、時間を無駄にしていると言われかねないこの行動だが、唯斗は自然と心が安らぐのを感じていた。
「ん、5分」
「意外と短かったね」
「……うん」
微かに聞こえてくる夕奈の声を聞いて少し寂しそうに俯いたこまるは、ゆっくりと首を横に振って顔を上げると。
「思い出、できた」
そう言って慣れない笑顔を見せてくれる。唯斗はそんな彼女の頭をポンポンと優しく撫でながら、同じく慣れない笑顔を返した。
「ありがとう、こまる」
「……ありがと」
声のする方とは反対側に逃げていったこまるが、去り際に見せてくれた少しはにかんだ表情は、時間が経ってもしばらく彼の記憶に残り続けたらしい。
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