第162話 可愛いは正義、故に邪悪を呼び寄せる

「ねえ、着替えていい?」


 あれから30分後、メイド服姿のまま追加ポスターの色塗りをさせられていた唯斗ゆいとは、そろそろ限界だと夕奈ゆうなにそう聞いた。

 しかし、返ってきた答えは当たり前のように「ダメにきまってるじゃん」で、逃げようとするもあっさりとイスに戻されてしまう。


「飴ちゃんあげるからさ」

「私はもうお子ちゃまじゃないよ」

「じゃあ、何でも買ってあげる」

「私が欲しいのは金じゃ買えねぇものなんだZE☆」


 なんだかカッコつけているが、とにかく唯斗をここから出す気はないらしかった。

 夕奈と自分以外は制服に着替え直しているため、浮いてる感の重圧がものすごいよ……。


「いい加減諦めて楽になりなよ」

「楽になるって?」

「自分が可愛いって認めれば女装も楽しくなるから、ね?」

「『ね?』じゃないよ。僕はそんなの望んでない」

「その割にはちゃんと着たやん?」

「皆が無理矢理着せたんだよ、自分の意思じゃない」


 彼がそう言って夕奈を睨むと、今度は「あ、本当はドキドキしてるんだな!」なんて訳の分からないことを言い始める。


「バレたくないから早く脱ぎたいんでしょ!」

「んなわけないでしょ、僕にそっちの気はないし」

「でも、今の唯斗君ってめちゃんこ可愛いよー?」

「僕は男だから。可愛さなんて求めてない」

「まあまあ、一旦周りのみんなの声を聞いてみな?」


 彼女の言葉を拒否して色塗り作業を続けようとしたものの、すぐ強引に顔を上げさせられてしまう唯斗。

 そうなれば自然とこちらを見ているクラスメイトたちと目が合ってしまい、珍しく羞恥心メーターが急上昇していくのがわかった。


「普段は良くわからない奴だったけど、あの格好で隅にいると……なんか良いな」

佐々木ささきさえ居なきゃ、普通に話しかけに行ってたわ」

「やめとけって、女子から睨まれるぞ」


 コソコソ話している意味が無いほど、自分に対する評価がはっきりと聞こえてしまう。

 普段はぼっちだのなんだの言われても気にする事はないと言うのに、どうして女装についてはこんなにも気にしてしまうのだろうか……。

 唯斗がそんな理解できない感情に心の中で悶え苦しんでいると、コソコソ話をしていた男子の一人がこちらへと近づいてきた。


「お、小田原おだわら。ちょっといいか?」

「……何?」

「男か女かなんて関係ない、一目惚れしたんだ!」


 手元のポスターを見ている視界の中へ、突然彼の手が入り込んでくる。

 教室には歓声やらどよめきやら、色々な声が飛び交う中、唯斗は訳が分からず首を傾げた。


「で、何が望み?」

「俺と付き―――――――」

「ごめん、無理」

「ぐふっ?!」


 唯斗からすれば、自分は嫌がらせで女装させられているだけの身。

 可愛いと言われる程なのかも分からない上に、自分の恋愛対象ではない人物からの告白は御免だった。

 それでも恋愛感情というのは厄介なもので、一時的なものに過ぎないくせにその瞬間を根強く生きる。


「もう少しだけでいいから悩んでくれよ、な?」

「僕、しつこい人は嫌い」

「そんなこと言わずに!」

「っ……」


 あまり事を大きくしたくもないからと、淡々と言葉を返すことに徹していた彼は、その男子生徒に腕を掴まれて驚いてしまった。

 すごく久しぶりに感じた自分以外の男の力、それが記憶にあるものよりも遥かに強くなっていたから。

 ベッドの上で夕奈を押し倒したあの時、彼女が怖さ故に泣いた理由が今なら自分の事のように理解出来る。


「……ら……して」


『お願いだから離して』と言ったはずの声は、喉元で掠れて空気に変わってしまう。

 クラスメイトたちを見ても助けてくれる様子はなく、微笑ましい青春の1ページとでも思っているような顔をしていた。


「悩んでくれるだけでいいから、な?」

「…………」


 だから恋愛なんてろくな事がないんだ。何の罪もないはずの僕にいつも刃を向ける。

 そう胸の内の黒い塊を燻らせた唯斗は、こうなったら藁にもすがる思いで夕奈に助けを求めようと俯かせていた顔を上げて――――――――――。


「……え?」


 そんな声を漏らした。だって、隣にいたはずの夕奈はそこには居らず……。


「唯斗君を困らせていいのは私だけなんだけど?」


 蛇も逃げ出しそうな鋭い睨みを利かせながら、目の前の男子生徒に掴みかかっていたから。

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