第146話 心に響かない詫び

「うんめぇ!」

「ふふ、たくさん食べていいかんね」


 十円玉勝負の翌日、「渡したいものがあるから」と家まで強引に着いてきた夕奈ゆうなは、家に上がるなりすぐに天音あまねに箱を手渡した。

 中身はメレンゲクッキーと平凡ではあるが、数個食べただけで既に餌付けが完了してしまっている。


「こんなもの持ってきて、また何か企んでるの?」

「いつも私が悪巧みしてるみたいじゃん!」

「実際そうでしょ」

「ぐぬぬ……」


 言い返せない彼女は下唇を噛み締めながらプルプルと震えた後、「なら唯斗ゆいと君は食べなくていいですぅー」と顔を背けた。


「別に自分で作れるからいいけど」

「な、なんやて?」

「前に飴あげたでしょ。あれの数倍は簡単」

「夕奈ちゃんは3回もやり直したのに……」


 劣等感に打ちひしがれてる夕奈を眺めていた彼は、ふと思い出して「そう言えば、シュークリームは?」と聞いてみる。

 昨日の勝負を終えてから、いつ買いに行くなんて話もしていないし……もしかして有耶無耶にしようとしているのでは?

 そんな風に疑いの目を向けていると、彼女はブンブンと首を横に振って見せた。


「買いに行くつもりはあるよ? ただ、少し問題が発生しまして……」

「問題?」

「あのね、怒らないで聞いて欲しいんだけどね」

「おかしなこと言わなければ怒らないよ」

「えっと……金欠になってしまいまして……」


 金欠、つまりはお金が足りないということだ。家にシュークリームを買うお金すらないという訳では無いだろうが、表情から察するに相当ピンチなのだろう。


「どうして金欠なのに奢るなんて言ったの?」

「昨日はあったんですよ。ええ、ちゃんと」

「それが一晩にして消えたと」

「そういうことになりますかね、あはは……」


 やけに腰の低い、それでいて程よくイラッとする話し方をしてくる夕奈。

 唯斗も困っている相手から搾り取ろうなんて思ったりはしないし、今回ばかりは許してあげるつもりでいた。

 しかし、シュークリームくらい食べたきゃ自分で買いに行こうという優しさは、彼女の次の一言で見事にひっくり返ることになる。


胡桃くるみちゃんが欲しかったんだよぉ!」


 胡桃ちゃんというのは、今流行っているらしいオープンワールドRPGに出てくるキャラクターのことだ。

 唯斗もクラスで話している人がいたり、天音がそのゲームをプレイしているから聞いたことがある。


「……は?」

「あれ、胡桃ちゃん知らない?」

「驚いてるのはそこじゃないよ。まさか、お金が無くなった理由って課金?」

「普段はしないんだけど、あの子だけは是非我が軍隊に迎え入れたくてね!」

「……」

「え、ちょ、何で引っ張るの?!」


 唯斗は課金する人を悪いと思っている訳では無い。自分のお金をつぎ込むのなら、いくらやっても構わないとさえ思う。

 しかし、まだ小学生の天音に悪影響なのは間違いないし、何より人との約束をゲームのために蔑ろにしたことが許せなかった。


「シュークリームの件はもういいよ。その代わりしばらく家に来ないで」

「ま、待ちたまえ! 唯斗君も胡桃ちゃんの魅力を知れば気が変わるよ!」


 玄関から追い出される直前に手を振り払い、慌ててスマホの画面を見せつけてくる夕奈。

 そこに映っていた胡桃というキャラクターを見た彼は、思わず排除行為を止めてしまった。


「あ、確かに可愛い」

「でしょ?」

「太ももがいいね」

「へぇ、唯斗君って太ももフェチなんだ?」

「男の願望が詰まってるから」

「そう言えば、風花ふうかに膝枕されて喜んでたっけ」


 何とか追い出されるのを免れた夕奈はホッと胸を撫で下ろすと、「そうだ、いいこと思いついた!」と唯斗を連れてリビングへと戻る。

 そしてソファーに腰を下ろすと、スカートの裾をピンと引っ張ってからポンポンと叩いて見せた。


「クッキーの代わりに膝枕をしてあげよう♪」

「あ、間に合ってます」

「……え、これ断られることあるの?」

「だって今度風花がしてくれるし」

「わ、私よりも風花を取るとは……」


 その後、「夕奈ちゃんも味わってみない? ちょっとでいいからさ」なんてしつこく誘ってこられたので、折れた唯斗は仕方なく使ってあげることにしたのだった。


「……んー、やっぱりちょっと硬い」

「私の何が不満なんじゃ!」

「夕奈はもう少し太った方がいいよ。細すぎて高さ合わないし」

「痩せてる女の時代は終わった……?」


 その日の夜、夕奈は姉から借金をしてまで買ってきた大量のお菓子を前に、散々葛藤した挙句一つも手をつけられなかったということを唯斗は知らない。

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