第140話 仕方の無い一大事

「ほら、もっと強く揉んでよ」

「……はい」


 倉庫に閉じ込められたことが発覚してから約10分後。唯斗ゆいと夕奈ゆうなを言いなりにして、マッサージをさせていた。

 少なくともここから出るまでの間、彼女は罪悪感で縛られて滅多なことは言えないはず。この時間を大切にさせてもらおうという考えだ。


「もう少し上」

「暗くてよく見えないんだけど」

「それくらい手探りでやってよ」

「……ふふふ、ここか!」


 前言撤回、思いっきり脇腹をこちょこちょとしてきたので、しっかりとやり返しておいた。

 僕にこそばしは聞かないって知ってるくせに、調子に乗るからこうなるんだよ。

 唯斗はそう心の中でため息をつきつつ、寝転んだまま動かない夕奈を見下ろした。


「……夕奈、どうしたの?」

「ゆ、唯斗君……」


 何やら深刻そうな顔をしている夕奈に、彼も釣られて真顔になる。もしかすると脱出する方法が見つかったのかもしれない。

 そんな期待を抱きながら、手招きをされて彼女の口に耳を寄せる。そして――――――――。


「……も、漏れそう」


 予想外の言葉が聞こえてきた。漏れそうということはつまり、トイレに行きたいということだ。

 しかし、ここにトイレなんてものはなく、おまけに外に出ることすら出来ない。

 尿意を解決する方法といえば、この場で致してしまう他になかった。


「唯斗君がこちょこちょしたせいだかんね!」

「先にしてきたのは夕奈でしょ」

「うっ……」

「ちょっと、漏らさないでよ?」

「そ、そんなこと言われても!」


 本人も相当焦っているらしく、スカートの裾を掴んでモジモジとしている。相当限界が近づいているようだ。

 しかし、それでも扉には南京錠がかかっている。自分でかけた罠にハマり、尿意によって苦しめられるというのはどんな気分なのだろうか。


「も、もう無理……」

「部屋の隅に排水溝があったから、出すならそこで出して」

「いくら夕奈ちゃんが可愛いからって、その間だけはこっち見ないでね?」


 心配そうにこちらを見てくる夕奈に「向こうの部屋に行ってる」と言うと、彼女は何故か唯斗の腕を掴んで引き止めた。


「ひ、一人にしないでよ……」

「あれ、夕奈って暗いの苦手だっけ?」

「ううん、倉庫で一人になるのが不安なの」


 どうやら平然としていたから分からなかったが、夕奈も夕奈で冷凍倉庫での一件がトラウマになっているらしい。

 確かに一人だったら助からなかっただろうから、怖がる気持ちも分からなくはなかった。

 ただ、そうは言っても同じ部屋にいては色々と問題が発生するわけで……。


「お願い、ここにいて」

「……わかったよ」


 しかし、こんな弱々しい顔を向けられてしまえば、断ることなんて出来なかった。

 唯斗だって優しさは持ち合わせている。たとえ相手が夕奈だったとしても、同じ状況を経験した者として、見捨てたくないと思ったのだ。


「耳は塞いでるから、終わったら肩叩いてね」

「うん、ありがと」

「あ、これいる?」


 男と違って女は小でもトイレットペーパーを使う。そんな話を思い出してポケットに入っていたティッシュを差し出すと、夕奈はホッとしたような表情でそれを受け取った。

 今朝ティッシュを配っていたお兄さん、やたらしつこく渡してくる人だったけど、今となっては感謝しないといけないね。


「じゃあ、さっさと済ませてきて」


 唯斗は夕奈からそう遠くない場所に腰を下ろすと、両耳をきっちりと塞いで外界の音をシャットダウンする。

 聞こえてくるのは自分の心臓の音、それから呼吸音と手の中を血が流れる音。どれもセラピー効果のあるものばかりで、こうしているだけでウトウトも眠ってしまいそうになった。


「……」


 トントンと肩を叩かれて、夕奈が背後に立っていたことに気が付いた。どうやらお花摘みは終わったらしい。


「お待たせ」

「終わった? ならマッサージの続きしてよ」

「そんなに夕奈ちゃんに触れて欲しいの?」

「よし、部屋分けようか」

「っ……やだ……」

「いや、冗談だから。……なんかごめん」


 結局排水溝の臭いをどうするかよりも、くっついてきて離れようとしない夕奈の対応の方がもっと手間取ることになってしまった。

 この時、唯斗は学んだのである。彼女の前で余計な一言は絶対に言わないようにしようと。

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