第120話 すれ違いと重なり

「さあ、キャンプファイヤーをしよう!」


 みんなで食べた夕食後、うたた寝をしていた唯斗ゆいとは、飛び込んできた夕奈ゆうなの膝が脇腹に食い込んだことで目を覚ました。

 史上最悪の目覚ましで機嫌が悪くなった彼は、「勝手にやってよ」と二度寝しようとするものの、布団の中に潜り込んで引っ付いて来られるせいでなかなか寝付けない。


「邪魔なんだけど」

「来ないならずっとこうしてるから」

「……あっそ」


 睡眠を邪魔された今の唯斗は、何があっても彼女の思い通りにさせるつもりは無かった。

 彼はくるりと寝返りを打って夕奈に背中を向けると、もぞもぞとベッドの端っこまで避難する。


「背中がガラ空きだぜ!」

「うっ……夕奈、苦しいよ」

「えー? 夕奈ちゃんはそんなことないけどなー?」


 わざとらしくそう言ってみせる彼女は逃げられた距離以上に詰め寄ってくると、唯斗のお腹に腕を回して後ろから抱きしめた。

 その力が強すぎるせいで締められる度に某音の出るチキンのような声が出てしまう唯斗は、下手をすれば夕食に食べた魚が飛び出してきそうな状態である。


「待って、本当に危ないから」

「なら一緒に行こうよ!」

「それは無―――――――――」


 無理だとはっきり言おうとした瞬間、ギリギリに寝ていた彼の体がバランスを崩してベッドから滑り落ちてしまう。

 それに抱きついていた夕奈も反射的に手を離したものの耐えられず時間差で落ち、彼女を咄嗟に受け止めた唯斗は衝撃で抱きしめたままゴロンと転がってしまった。


「「……っ?!」」


 そのせいで先に落ちたはずの唯斗が上になり、受け止められたはずの夕奈が下になっている。

 2人は状況が呑み込めるまでのしばらく見つめ合った後、互いにサッと視線を逸らしてしまった。


「ごめん、すぐ離れるから」


 思い出してしまったのだ。反省させる為の嘘とはいえ、互いが異性であることを意識し泣かせ泣かされたあの日のことを。

 今でもあの時の自分が許せていない唯斗は、すぐに体を起こして距離を取ろうとした。しかし……。


「―――――――――だめ」


 夕奈はスッと伸ばした腕を彼の背中に触れさせ、自分の方へと引き寄せる。

 自分よりも重くて少しばかり頼りない体格の体がのしかかってくるが、彼女の胸の中にあるのは苦しさよりも満たされた何かだった。


「唯斗君、私もう泣かないよ」


 すぐ側にある耳に向かってそう囁くと、彼は「慣れたの?」と聞いてくる。

 それに対して夕奈はゆっくりと首を横に振ると、自分の鼓動がよく伝わるように胸を彼に強く押し付けながら言った。


「聞こえる? 私の期待してる音」

「……少しだけ」

「じゃあ、唯斗君に伝わってる分だけでいい。夕奈ちゃんの期待してることをしてよ」

「期待してること……?」


 つまり、押し倒されている女の子が、押し倒している男の子にされたいと思うこと。

 唯斗は健全な男子高校生の脳をフル回転させてみるも、この状況から導き出せるものはどれも行動に移せるようなものではなく―――――――――。


「……わかった、言い方変えるね」


 躊躇っている唯斗を見つめていた夕奈は、彼の背中を押すためにあえて言葉を選んだのだった。


「唯斗君が期待してること、全部していいよ」

「ゆ、夕奈?」

「顔が嫌いなら隠すし、声が嫌いなら我慢する。私じゃ本気になれないなら遊びでもいいから……!」


 泣かないと言ったはずの彼女の目から零れた涙。その意味があの時と違っていることは、動揺している唯斗にもハッキリと分かる。


「重ねてよ、私たちの期待を……」


 夕奈の流した涙が床を濡らす。勇気を出してくれた彼女を笑顔にするのなら、言われた通りに全てを重ねてしまうべきなのだろう。

 そうすればお互いに得られるものがあって、そしてお互いに失うものもあって―――――――――。


「……ごめん、無理だよ」


 結局、彼には何も出来なかった。勇気がなかったからじゃない、欲望を感じなかったからでもない。


「夕奈を一瞬でも『都合のいい相手』だって感じちゃった僕に、手を出す資格なんてないよ」


 彼女を友達としてでも、カイロをくれるいい人でも、隣の席のウザイやつとしてでもない。

 自分にとって『都合のいい人間』と思ってしまったことが、その暗い何かを見ることが堪らなく恐ろしかった。


「別に私はそれでも……」

「お互い頭を冷やした方がいいみたいだね」

「……」


 唯斗はまだ夕奈と友達でいたい、それは本当の気持ちだ。けれど、健全な本能はいつ暴走するか分からない。

 だからこそ、そんなおかしなもので関係を変えたくなかった。要は怖いのだ、その先の知らない未来が。


「キャンプファイヤー、僕も参加するよ。火を見て落ち着きたい気分だからさ」

「……わかった、先に行ってて」

「うん、また後で」


 唯斗は体を起こすと、出口へと向かって歩き出す。が、すぐに足を止めて振り返ると、起き上がったばかりの夕奈をそっとハグして微笑んで見せた。


「これくらいなら期待していいよ」

「……ふふ、ありがと♪」


 笑った時に閉じられた彼女の瞳から、また一粒涙が零れ落ちてぴちゃりと弾けた。


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