第109話 お互いの距離を忘れさせるのが電話

『さあ、山に行こう!』


 早朝、突然電話してきたかと思えばそんなことを言う夕奈ゆうなに、唯斗ゆいとは思わず「……は?」と声を漏らした。


『夏と言えば山! 私はまだ山を見ていない!』

「いや、夏休み早々に監禁されてたじゃん」

『……』


 唯斗が赤点保持者のための補習のことを言った瞬間、スピーカーからツーツーと通話の切れた音が聞こえてくる。

 その数秒後、再度かかってきた電話に出ると『さあ、山に行こう!』と元のテンションで言われた。


「ループしてる?」

『さあ、山に行こう!』

「これはループしてるね」


 唯斗がうんうんと頷いてから「夕奈のばーか」と言うと、『バカ言う方がバカだしー!』と普通に返された。どうやらループは終わってしまったらしい。


「夏休みあと3日だよ、なんで家から出るの」

『唯斗君は相変わらず引きこもり思考だね』

「わざわざ疲れるために行きたくない」

『やれやれ、そんなんじゃ彼女できないぜ』

「じゃあね」

『待って待って、切らないで!』


 引き止めてくる彼女の声が割と本気っぽいからと、唯斗は仕方なく話だけは聞いてあげることにした。

 あまり疲れそうな内容なら断ればいいし、今回は無理に引っ張り出されるような理由もないからね。


「それでどこに行くの?」

『来てくれるのかい?!』

「一応聞いとくだけ。遠いならやめる」

『場所は隣県のそんなに大きくない山なんだけど、マルちゃんのおじいちゃんが所有してるところ』

「へぇ、いいね」


 唯斗はそう言いながら、自分の曾お祖父ちゃんも山を持ってたらしいという話を思い出した。

 亡くなってから売ってしまったためもう思い出でしかないが、松茸が生えるちょっといい山だったらしい。


『マルちゃんの両親、その山でいくつかのペンションを運営してるらしくて』

「そんなところに泊まってもいいの?」

『今期の営業は一昨日で終わったんだってさ。長期休みの最後には、毎年家族でくつろいでるみたい』

「そこに今年はお呼ばれしたと」

『そういうこと。私じゃなくてマルちゃんが唯斗君に来て欲しいって言ったんだよ』


 なるほど、夕奈が勝手に巻き込んでいる訳ではなく、あの無口なこまるがわざわざ誘ってくれている。

 そう考えると、唯斗も引きこもりたいという理由で断るのを少し躊躇い始めた。


「でも、ペンションってことはお風呂ないの?」

『部屋風呂があるよ』

「トイレは?」

『部屋についてる』

「冷蔵庫はさすがに無いよね」

『去年から置いたって言ってた』

「……それはもうコテージだよ」


 ペンションというのは生活に必要な整備がない宿のこと。そこにトイレや風呂が取り付けられればロッジになり、冷蔵庫やテレビ等の娯楽が増えればコテージとなる。

 もしもペンションとして貸し出しているのなら、科学の進歩から離れたくて宿泊しに来た人からすれば、クレームを入れるほどのものなのでは……。


「まあ、わかちこも細かいことは気にするなって言ってるじゃん?」

「あの人わかちこって名前じゃないからね」

「なんて名前なの?」

「……なんだっけ」


 とりあえず細かいことは自分で調べてもらうことにして、唯斗は「何泊するの」と聞いてみた。


「1泊2日だよ」

「そんなに長くはいないんだね」

「ちゃんと部屋は分けられてるから安心して」

「そこが一番心配だったよ」


 海では天音あまねはともかく、夕奈とまで一緒に寝る羽目になったからね。

 彼はあの時のことを思い出しながら身体を震わせると、今回はそれがないことを約束されたと胸を撫で下ろした。


「まあ、せっかくだから行くよ。自然に囲まれれば、むしろのんびり出来るかもしれないし」

「ほんと?! なら、マルちゃんにそう伝えるね!」


 やたら嬉しそうに弾んだ声でそう言った夕奈。唯斗はふと彼女に『何日に出発なのか』と聞き忘れていることを思い出す。

 しかし、すぐに電話に向かって話しかけよう耳に当て直したスマホからは、ツーツーという音だけがが聞こえていた。


「あれ、いつの間に――――――――へ?」


 おかしいなと思いながらも、早めに準備を始めるかと部屋の扉を振り返ろうとした瞬間だった。


「ねえ、いつまで耳にスマホ当ててるの?」


 まるでそこにいるのが当たり前かのように、大きなリュックを背負った夕奈がベッドに腰掛けていたのだ。

 一体いつの間に入ってきたのか。いや、思い返してみれば途中で声質が変わったと思った瞬間があった。……そう、『わかちこ』の時だ。


「ほら、早く荷物まとめちゃってよ」


 動揺している唯斗を急かすようにそう言った夕奈は、彼の腕を引っ張りながらキラキラした笑顔であの質問の答えを教えてくれた。


「さあ、山に行こう!」

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