第100話 道のりはまだ長い

夕奈ゆうな……」

「んぅ、素直でよろしい♪」


 彼女の細い体を強く抱き締めると、一層胸の内に湧き出てきた感情が強くなって、熱がぶり返してきたように頭がクラクラとする。

 唯斗ゆいとに触れられて嬉しそうに微笑んだ夕奈が、「さっき私が言ったこと、本当に全部本気――――――――」と言いかけたその瞬間だった。


 プルルルル♪プルルルル♪


「ほわぁぁぁぁ?!」

「……電話?」


 彼女は自分のポケットから聞こえた着信音に驚き、奇声を上げながら唯斗から離れる。

 そして何を血迷ったのか、唯斗を指差しながら「ほ、本気なわけないじゃん!」と前言撤回。

 夕奈が離れたことで正気を取り戻した唯斗は、「……やっぱりね」と深いため息をつきいて首を横に振った。


「だ、騙されてやんのー!」

「いいから出なよ」

「え、あ……もしもし?」


 指摘されてようやく耳にスマホを当てた彼女は、「瑞希みずき? え、ビデ通にするの?」と首を傾げながら言われた通りにする。

 その直後、画面に映し出されたのは4人の顔。

 夕奈は風花ふうかの『ほら、おだっちにも見せて〜!』という言葉で、唯斗の隣に腰かけて肩をくっつけた。


『みんな、そろそろ来るぞ』

『夏はこれがなくちゃね〜♪』

『それな』

『どーんと綺麗に咲きますよ!』


 背後で聴こえるアナウンスの声が終わると共に、瑞希はカメラをインからアウトに変更する。その瞬間、スマホの画面には綺麗な星空が映し出された。

 そして黒いキャンバスに、地上から伸びていく一本の線が描かれる。ユラユラと揺れながら昇って行ったそれは―――――――――――――。


 パァァァァァァン!


 体の芯にまで響くような音を立てながら、そこへ大きな光の花を咲かせた。


「唯斗君、花火だよ!」

「うん、綺麗だね」


 画面越しでもわかる迫力と感動。天上に無数の美しさを散りばめては、あの時の線香花火のように暗闇の中へ馴染むように儚く消えてゆく。


「部屋で見れるなんて……」

「みんなに感謝しないと」

「特に唯斗君がね?」

「……そうだね、ありがとう」


 唯斗が真剣な眼差しで夕奈を見ると、彼女もまた同じように見つめ返してきた。

 花火に横顔を照らされながら、夕奈はほんの少しだけ顔を近付ける。唯斗に離れる様子はない。


「ねえ、貸しひとつ。ここで使ってもいい?」

「それは内容による」

「何でも頼んでいいんじゃないの?」

「……わかった、ひとつだけだよ」


 了承を得た夕奈は一度深呼吸を挟むと、スマホを持っていない方の手を唯斗の後頭部に回した。

 そしてそのままさらに顔を寄せ、頬を真っ赤に染めながら命令を下す。


「1分間だけ、唯斗君を私の好きにさせて」

「……」


 唯斗は首を縦に振らない。しかし、拒むということもしなかった。

 それが今からされることを分かっていてのことなのかはわからないが、どちらにせよ夕奈に引き返すつもりは無い。


「……い、いくよ?」


 無意識に声が震える。彼よりも身長が低い分、届かない距離は唯斗の後頭部に当てた手で引き寄せなければならなかった。

 それなのにその手さえ震えてしまう。一線を超えてしまうことが、どうしようもなく不安で仕方がないのだ。


「……い、いくからね?」

「それ、さっきも聞いた」


 唯斗はそう言いながら、もうほとんど無い距離を自ら詰めてくる。早く終わらせたいからなのか、それとも彼も自分と同じ気持ちなのかは分からない。

 それでも、逃げそうになる気持ちをぐっと前に乗り出して、夕奈は思い切って唇を―――――――。


「お兄ちゃん! 冷えピタ交換の時間だよ!」

「ほわぁぁぁぁぁぁ?!」


 突然飛び込んできた天音あまねに驚き、またも唯斗から飛ぶように離れる夕奈。

 不思議そうに首を傾げる弟子を前に、耳まで真っ赤に染めた彼女は、「じょ、冗談だから! 全部冗談だからぁぁぁぁぁ!」と叫びながら部屋から飛び出していってしまった。


「師匠、どうしたの?」

「……さあね。夕奈のことはよく分からないよ」


 彼女が落としていったスマホを拾い上げると、画面の中には呆れたような顔をした4人が映っている。

 唯斗は花火が終わったことを確認すると、「ありがとう、楽しかった」と伝えて通話を切った。


「冷えピタ取り替えるね」

「うん、お願い」


 愛する妹に新たな冷えピタを貼ってもらうと、冷たさのおかげか段々と冷静さを取り戻した。

 思い返してみれば、今日の夕奈はおかしかったのだ。いつもより優しくて、いつもより夕奈っぽくなかったから。


「きっと、ずっと僕をからかってたんだね。そうじゃないと説明がつかないよ」

「お兄ちゃん、本当にそう思ってる?」

「もちろん」

「……はぁ、道のりは長いね」


 天音は意味深にそう呟くと、使い終わった方の冷えピタを折りたたんでゴミ箱へ捨てた。


「妹よ、もう少しお兄ちゃんのそばにいておくれ」

「ごめんね、師匠の様子見てこないとだから」

「あ、天音……」

「安静にして元気になってね」


 彼女はそう言い残して部屋から出ていってしまう。その背中を見送った唯斗は、ベッドに横になりながら心の中で呟くのであった。


(妹を取られるなんて……やっぱり夕奈は危険だよ)

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