第96話 大魔王は偵察に来る
「……ん、あれ……?」
傍には
「夕奈師匠、目覚めのキスを!」
「いや、もう目覚めてるよね?」
「夕奈ちゃん、頑張ってください!」
「カノちゃんまで?!」
2人から背中を押されるものの、それでも抵抗する夕奈は「せめて話は服を着てからにして!」と顔を赤くした。
その言葉で布団をちらりと
「……あ、まだ裸だったんだ」
「起きた時に気付いてよ!」
「頭が寝ぼけてるから分からなかったんだよ」
天音が言うには、夕奈も花音も恥ずかしがって服を着せるのを拒んだらしく、母親は「子供は風の子よ」と言い残してどこかへ出かけたんだとか。
そのせいで天音がひとりで部屋まで運ぶことになり、彼女の力の限界がパンツを履かせるところまでだったらしい。
「天音、お兄ちゃんがハグしてあげよう」
「きゃぁぁ! せめて服着てからにして!」
「……痛い」
兄として頑張った妹を讃えようと思っただけなのに、思いっきりビンタされてしまった。
唯斗はヒリヒリする頬を撫でながら、用意してもらった服を着て、外で待ってくれていた3人を部屋に呼び戻す。
「ほら天音、ハグは?」
「……仕方ないなぁ」
照れているのか渋々という感じを装いつつ、おそるおそる細い腕を腰に回してくれる彼女。
そんな可愛らしい妹に兄心をくすぐられていると、花音がトントンと天音の肩を叩いた。
「師匠もハグしてもらっていいですか?」
「うん! お兄ちゃんを川から助けてくれたお礼!」
「んぅ……師匠として当然ですよぉ♪」
唯斗は仲睦まじい2人の様子に癒されつつ、横にいる夕奈にちらりと視線を向けると、彼女は羨ましそうな顔をしていた。
「天音ちゃん、こっちの師匠にもハグを!」
「……夕奈師匠はダメだよ、何もしてないもん」
「ぐぬぬ……」
悔しそうに下唇を噛む夕奈。そんな様子から唯斗が師匠間での格差の大きさを実感していると、部屋の扉を開けてハハーンが入ってきた。
その手には大魔王に似つかわしくないレジ袋が握られている。どうやら出かけた先はコンビニだったようだ。
「2人とも、うちの息子がごめんなさいね。これ、みんなで食べて」
「あ、ありがとうございます!」
花音が受け取った袋の中身は、バニラ、チョコ、抹茶、クッキー&クリーム味のカップアイス。しかも少しお高いやつだ。
そこから何か黒い陰謀の匂いを嗅ぎつけた唯斗は、ハハーンの鋭い目付きを見てそれを確信に変える。
「それにしても2人とも美人さんねぇ」
「わ、私なんてそんな……」
「お母様もまだピチピチですよー♪」
オドオドしながら謙遜する花音と、人の母親を持ち上げる夕奈。ハハーンは2人の言葉に満足気に頷くと、ついにあのセリフを口にした。
「こんな可愛い子が唯斗と結婚してくれれば、私も文句なしなんだけどねぇ」
そう、ハハーンは単なるクラスメイトに向かって、結婚というワードを発してしまうアニメでよく見かけるタイプの母親である。
息子の立場からすれば、そこにいる相手にどんな感情を持っていようとも、頭を抱えてしまう一言であることは間違いない。
「け、結婚だなんて……」
「花音、母さんは冗談が好きなだけだよ。あまり本気にしないで」
「わ、わかってます! 私みたいなのが結婚だなんておこがましいですし……」
「花音は優しい子だから、きっといい人が見つかるよ。結婚詐欺には気をつけてね」
「は、はいです!」
少し傷つきかけた彼女をフォローし、すぐにハハーンを部屋から追い出す。大魔王がいると色々と面倒事が起こって困るのだ。
「ついでに夕奈も出て行ってもいいよ?」
「なぜに?!」
「いや、眼科行った方がいいなって」
唯斗が「どう見ても母さんはピチピチじゃないよ」と言うと、彼女は「お世辞やん! どう考えてもお世辞やん!」とべしべし叩かれた。
ハハーンがこんなことを言われたと知れば、きっと夕奈はこの家に出禁になるだろう。
唯斗は告げ口してやろうかとも思ったが、天音との関係もあるのでやめておいた。
「お兄ちゃん、アイス食べていい?」
「いいよ。天音が好きなのを選んで」
「やった! じゃあ、クッキー&クリーム!」
嬉しそうにカップを手に取る妹に、夕奈が一瞬何か言いかけた気もするがきっと気のせいだろう。
純粋な小学生からアイスを取り上げるなんてこと、絶対に許されることでは無いのだから。
「私はチョコがいいです……ダメですか?」
「いいよ、花音はチョコね。僕は――――――」
バニラに手を伸ばそうとした唯斗は、ふと視線を感じて顔を上げた。
嬉しそうにカップを開ける天音、みんなが食べ始めるまで待とうとする花音、そしてこちらをじっと見つめる夕奈。
「……何?」
「せめてバニラを恵んでくだせぇ」
「抹茶嫌いなの?」
「嫌いって言うか、苦手って言うか……」
唯斗が「それを嫌いって言うんだよ」と言いながらバニラを取ると、彼女は「私に人権は無いのかぁ!」と机をバンと叩く。
その瞬間に何かを思いついたのか、夕奈はニヤリと笑うと耳元に口を寄せてきた。
「あの件、2人に話していいのかなー?」
「あの件?」
「貸しひとつのこと」
「……わかったよ」
さすがに夕奈を泣かせたことを言われると、兄としても友達としても立場を失ってしまう。
唯斗は仕方無くバニラを明け渡すと、ちょうどいい具合に柔らかくなってきた抹茶アイスを手に取った。
「それじゃあ、いただきますね♪」
「いただきー!」
「いただきます」
先に食べ始めている天音を追いかけるように、他3人もそれぞれ手を合わせてアイスを食べ始める。
味の感想を一言で述べるとすれば、それは夕奈がごちそうさまの代わりに呟いた一言に尽きるだろう。
「いやぁ、お高い理由はありますなー♪」
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