第95話 お風呂場パンデミック

「……夕奈?」

「よくわかったねー♪」


 名前を当てられた夕奈ゆうなは、飼い犬を褒めるように唯斗ゆいとの頭をわしゃわしゃと撫でた後、ワントーン声を低くして聞く。


「……んで、どうして混浴してるのかな?」

「これには理由があって――――――」

「死罪を求刑する」

「まだ何も言ってないよ」


 無実の被告からの抗議に耳も貸さず、夕奈は「女の子とお風呂なんて、それだけでアウトだよ」とお湯をかけてきた。

 唯斗からすれば、ホテルでありもしない混浴に胸を躍らせていた人の言葉だとは思えないと、首を傾げざるを得ない状況である。


「違うんです、私から誘ったんです!」

「カノちゃん、変態を庇うのは良くないなー」

「本当なんです!」


 花音かのんが「目隠しも私がお願いしたんです」と言うと、それまで決めつけていた夕奈も「……マジ?」と表情を歪ませた。


「カノちゃんってそっちの趣味があったの?」

「ち、違いますよぉ……」

「隠さなくてもいいぜ、私が全部受け止めてやんよ」

「かっこよく言われても違うんですってば!」


 湯に長く浸かっているせいか、それとも恥ずかしがっているのか。顔を真っ赤にした花音はお湯から出ると、軽く握った手でポカポカと夕奈を叩き始める。


「夕奈ちゃんはからかいすぎなんですよぉ!」

「痛い痛い! 謝るからもう許して!」

「許さないです!」

「ちょ、カノちゃんの18禁が……18禁がぁ!」


 これほど騒いでも、唯斗には何が起こっているのかは見えない。ただ、花音が夕奈を懲らしめているであろうことだけは何となく分かった。

 夕奈と花音の攻防は5分ほど続き、夕奈がギブを宣言したところでようやく2人が風呂から上がっていった。


「僕も上がろうかな」


 それから少し経って、唯斗も浴槽から出る。さすがにのぼせてしまったのか、少し頭がクラクラした。いつもより体を動かしたせいもあるだろう。

 そんな彼が心の中で昼寝計画を立てつつ、ようやく自由になった視界でドアノブを掴んだその瞬間だった。


 ガンッ!


 そんな音が頭の中に響き、同時に痛みも走る。外にいた人物が扉を開いたせいで、それが唯斗の額にぶつかったのだ。


「お兄ちゃん、着替えを……お兄ちゃん?!」


 よろよろと後ろに後ずさり、ストンとその場に座り込んでしまう唯斗。

 兄の異常に気が付いた天音あまねは、持っていた着替えを放り投げて駆け寄ってきてくれる。


「だ、大丈夫?」

「平気だよ、ちょっと痛いだけだから……」


 心配そうに顔を覗き込みながら、天音は意識チェックのためか「何かわかる?」と人差し指を立てて見せた。


「1じゃないの?」

「違う、天井だよ」

「はは、騙されちゃった……」

「お兄ちゃん、ここは『今はそんな場合じゃない』って突っ込むとこだよ!」


 妹の要望に応えようとするも、体力が尽きてしまった唯斗はもう体を動かせなかった。

 額をぶつけた時に視界が真っ白になったのが、睡眠に落ちる引き金になったのかもしれない。彼はそれほど疲れていたのだ。


「死なないで、お兄ちゃん!」


 目に涙を浮かべた天音が、「妹を犯罪者にするつもりなの?!」と肩を掴んで激しく揺らす。

 その際に浴槽の縁へ後頭部をぶつけたのがトドメになったのか、唯斗は「あ、そっちか……」という言葉と共に意識が抜けていくのを感じた。


「師匠、お兄ちゃんが死んじゃうよぉ!」

「ダニィ!? 今すぐ処置を――――――――」


 そんな彼の視界に最後に映ったのは、やたらダボダボなシャツを着ている花音と、鼻血を垂らしながら慌てている夕奈の姿。


(もしかして、花音を見て鼻血を……?)


 そんな疑惑を胸に抱えながら、唯斗の意識はプツリと途切れてしまった。

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