第93話 思い出よりも大切なもの

唯斗ゆいとさん、危ないからもういいです!」

「ここまで来たら、どうせ戻るのも危ないよ」

「そうですけど……」


 心配して声をかけてくれる花音かのんを背に、唯斗はキーホルダーに向かって進み続ける。

 あれから何度も転びそうになったが、まだ踏ん張ることは出来ていた。あともう数歩進めば手が届きそうなのだ。


「花音、拾ったらそっちに投げるから」

「わかりました! ゆっくりでいいですからね」


 途中で転んで流れてしまっては、努力が水の泡になってしまう。それだけは避けるためにそう言ったのだが、一つ問題があることを唯斗は見逃していた。


「……取れた。花音、行くよ」

「は、はい!」


 彼女が掴む準備をしたのを確認して、キーホルダーを握った手を後ろに振りかぶる唯斗。彼は腕を前に出すと同時に足を踏んば―――――――――ることが出来なかった。


「おわっ!」

「唯斗さん?!」


 あれだけ歩くのに苦労した滑りやすい川底で、遠くに物を投げられると考えたことが間違いだったのだ。

 崩れた体勢から放たれたキーホルダーは、中途半端な位置に落ちて流されていく。

 唯斗は慌てて立ち上がろうとするも、転んだ時に膝を打ったせいで力が入らず、川の水に飲まれそうになっていた。


「花音、キーホルダーをお願い!」


 彼女からの距離ならまだ間に合う。そう判断してそう叫んだものの、花音は不安そうにこちらを見つめたまま動かない。


「唯斗さんの方が大変です!」

「先にキーホルダーを……」

「イヤです!」


 花音はブンブンと首を横に振ると、どんどん離れていくキーホルダーには目もくれず、バシャバシャと川へと入ってくる。

 何度も転びながらも、彼女は何とか唯斗の元へ辿り着くと、水か涙か分からないほどびしょびしょに濡れた顔に笑顔を咲かせた。


「えへへ、拾いに来ちゃいました♪」

「キーホルダーの方が近かったのに……」

「大事な方を優先しただけですよ?」


 花音はそう言いながら唯斗の手を取り、二人でゆっくりと川辺へ戻っていく。支え合ったおかげか、今度は一度も転ばなかった。


「ありがとう、助かったよ」

「いえいえ♪」

「ごめんね、キーホルダー流されちゃって」

「いいんですよ、唯斗さんが無事なら」


 そう言って笑う彼女だが、自分の濡れた服と寂しくなったカバンを見ると、少し表情を曇らせてしまう。


「そうだ、花音。少しだけ待ってて」

「は、はい!」


 唯斗はがま口財布を取り出すと、花音をその場に残してスーパーへと走った。全身濡れたまま、過ぎ行く人に二度見されることも気にせず。

 猫のキーホルダーをなくしたなら、猫のキーホルダーをプレゼントすればいい。失敗という罪悪感を払拭し、今の彼女を笑顔にするにはそれしかないと思ったのだ。


「花音、これ」

「……それは?」

「少しブサイクだけど、代わりにどうかと思って」


 花音の元へ戻った唯斗が差し出したのは、スーパーの入口前に置かれていたガチャガチャの景品。

 クオリティも可愛さも元のより低いが、唯斗の所持金で手に入れられるのがこれしか無かったのである。


「えっと……」

「ごめん、ダメだよね。本物を探してくるよ」

「そんなことないです!」


 そう言ってキーホルダーを受け取ろうとした瞬間、花音は拒絶反応を起こしたように手を引っ込めると、「あ、いや……嬉しかったです……」と顔を赤くした。


「唯斗さんの優しさが……嬉しいです。自分で取ったものより、ずっと嬉しいです!」

「……そっか、それなら良かった」

「この猫ちゃん、必ず幸せにします!」

「その言い方、猫を嫁入りさせるみたい」


 その言葉にクスリと笑った花音は、「そうなると、唯斗さんは私のお義父さんですね♪」と言って嬉しそうに微笑む。

 話の流れ的には確かに間違ってはいないものの、同級生がお義父さんという設定は、色々と複雑な気がするのでやめてもらいたい。


「花音、僕の家で乾かしていきなよ。そのまま帰るのも大変だろうし」

「それならお言葉に甘えさせてもらいますね!」

「うん、風邪引いたら大変だし」


 そんなこんなで、花音のキーホルダー事件は無事解決したのだが、唯斗が帰宅後にびしょ濡れな二人を見た母親から怒られることは言うまでもない。


「女の子をこんな格好で歩かせて何考えてるのよ!」

「それは仕方ないよ」

「母親に口答えするのね? はい、1週間夕飯抜き」

「……理不尽だ」


 何とか花音に事情を説明してもらい、事なきを得たそうな。

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