第92話 おつかいは最速で
「
リビングでゴロゴロとしていた昼頃、唯斗は突如として現れたハハーンにそう命じられた。
「またでございますか」
「お母さんは毎日買い物に行ってるの。1日くらい息子を働かせたってバチは当たらないわ」
「……確かに」
今回ばかりは唯斗もハハーンの言葉に頷いてしまう。毎日食料を用意してくれているのは、この母親の顔をした大魔王である。
たまには親孝行なことをしてみるのもいいかもしれない。唯斗はそう心の中で頷くと、エコバッグを受け取って立ち上がった。
「それでお釣りは?」
「もちろん取っといていいわよ」
「よしっ」
彼はガッツポーズをしつつ、エコバッグの中のがま口財布を取り出して中身を確認してみる。
そこに入っていたのは、少し錆びた500円玉とピカピカの10円玉が1枚。そして買うものリストにはお醤油(212円)ときざみネギ(98円)。
合計310円のものを買って帰ってくるだけで200円が手に入る、何と簡単なお仕事だろう。
「早く行ってきてちょうだい」
「はーい」
唯斗は前回のお使いと違って、軽い足取りで玄関を出ると、そのまま最寄りのスーパーへと歩き出したのだった。
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スーパーへ到着すると、入口前に並べられているティッシュやらトイレットペーパーが目に入る。
ここに買うものは無いからとスルーしようとしたが、唯斗はふとその奥に置かれているガチャガチャが目に入った。
「隅にあるなんて親近感湧くね」
商品に隠れるように置かれているから、きっと誰も回していないのだろう。中に入っている景品もあまり可愛くないな猫のキーホルダーだし。
彼はそんなことを考えつつカゴを手に取ると、ネギが置いてあるコーナーへと真っ直ぐ進んでいった。
「醤油はいつも使ってるこれかな?」
順調に醤油も手に入れ、レジ前でカゴを2つもカートに乗せているおば様と鉢合わせし、目線で交渉した結果順番を譲ってもらうことに成功。
そのおかげもあって、唯斗は入店からわずか5分で200円を握りしめ、無事店から脱出することが出来たのであった。
「買い物RTAの大会があったら優勝だね」
彼はそんな独り言を呟きつつ、行きよりも重くなったエコバッグ片手に帰路に着く。達成感からか、吹き付ける夏の風すら心地よく感じられた。
そんな時、唯斗は何気なく見下ろした河原に見覚えのある顔を見つける。川の中央に向かって枝のようなものを伸ばしている彼女は――――――――。
「そんなところで、何してるの?」
「っ……唯斗さん!」
それに今の花音は目が潤んでいる。それだけで唯斗の本能は、何か彼女にとって良くないことがあったのだと察した。
「困ってるなら手伝うよ」
「本当ですか?! 実は――――――――」
花音の話によると、以前ゲームセンターで取った猫のキーホルダーをカバンに付けていたら、紐が切れて川に落ちてしまったらしい。
運良く岩に引っかかって止まってくれてはいるものの、そこそこ川の流れが早いせいで踏み込めないでいるんだとか。
「さすがにこれは無理だね」
「……そうですよね」
その言葉にしゅんと落ち込んでしまう彼女。こんな表情を見せられてしまえば、さすがに諦めさせるわけにはいかなかった。
「仕方ない、僕が取ってきてあげるよ」
「ほんとですか?!」
「うん、任せて」
「お、お願いします!」
唯斗はエコバッグを花音に預けると、慎重に川へと入っていく。夏と言えど気温と水温の差は大きく、ズボンが体に張り付く感覚が気持ち悪い。
裾を折っておけば良かったかもしれないなんて思っていると、次に踏み込んだ足がつるりと滑って転びそうになってしまった。
「危なかった……」
何とかギリギリ踏ん張ったものの、キーホルダーまでの距離は進んだ距離の倍は残っている。
唯斗はこの時悟ったのだ。その場の感情で手を差し伸べるべきではないんだな、と。
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