第87話 演じるのなら心まで

唯斗ゆいと君、人のベッドで熟睡とは感心しませんね?」

「ん……夕奈ゆうな?」

「はい、私です。起きてください」


 背中を支えられながら、ベッドの上で体を起こす唯斗。ゴシゴシと擦られた寝ぼけ眼に映ったのは、黒いスーツにタイトスカートを履いたOL夕奈だった。


「今度のは仕事出来そうだね」

「ふふ、私は元々できる女ですよ?」

「英語0点なのに?」

「……ふふ、なんのことでしょう?」


 明らかに頬が引きっている夕奈は、ポケットからハンカチを出すと、わざとらしく「暑いですね」と胸元のボタンを外し始めた。


「別に暑くないけど」

「私は熱いんです。あー、暑い暑い」


 彼女はそう言いながらイスに座り、見せつけるように脚を組む。

 タイツとタイトスカートの間から覗く色白の太ももが交差し、女性的な魅力を存分に引き立てていた。


「冷房つけようか?」

「ふふ、そんなこと言って、唯斗君が熱くなってきたんじゃないですか?」

「どうして僕が暑がるの?」

「顔が赤くなってますから♪」


 落ち着いた笑顔を見せる夕奈は、唯斗に歩み寄るとそっと腰を屈めて前のめりになる。

 もちろん見つめたその顔に赤みはなく、彼女は心の中で『少しは興奮しろよ!』と愚痴りつつ、胸元のボタンをもうひとつ開けた。


「……あっ」


 その瞬間、シャツの中からポロッとこぼれ落ちたドーム状の何か。唯斗はそれを拾い上げると、夕奈の胸元を見てみた。


「あれ、さっきより小さく――――――――」

「わぁぁぁぁ! そう言えば仕事がまだ残ってました!」

「それって胸の大きさを詐欺する仕事?」

「……はて、一体なんのことでしょう?」


 夕奈はにっこりと営業スマイルを浮かべると、唯斗の手からソレを取り上げて、さっさと部屋から出て行ってしまった。


「確かに厚かったね」


 彼の呟きは、扉の外までは聞こえなかったらしい。夕奈は逃げるように隣の部屋へ駆け込むと、待機していた姉に抱きついた。


「お姉ちゃん、胸が!」

「シャ〇クスみたいに言わないの。こうなるから盛らない方がいいって言ってあげたのに」


 陽葵ひまりは呆れ顔でそう言いながらも、次の衣装を差し出しながら妹の頭を優しく撫でてあげる。


「次は胸がなくても大丈夫な役だから安心して」

「全くフォローになってないよ!」

「私には持たざる者の気持ちはわからないの」

「姉のくせに残酷なこと言わないで?!」


 大人の魅力を見せつけるつもりが、大人の事情をポロリすることになった夕奈は、さらに深く抉られた傷を慰めながら新たな服に着替え終えた。

 彼女は深呼吸をして心を落ち着かせたあと、与えられた役に心を同化させてから唯斗の元へと飛び込んでいく。


「失礼するよ」

「……あれ、今度の服はなかなかだね」

「あ、あまり見ないでくれ……」


 黒髪ボブのカツラを被った夕奈は、へそが見えるほど短い服をぎゅっと握りながら、恥ずかしそうにモジモジしてみせる。

 もちろん本人に照れなどの感情は一切なく、与えられた『女の子らしい服装が苦手なボクっ娘』になりきることで、頬の赤みまでも出しているのだ。


「ど、どうだろうか。ボクはあまりこういうのは好きじゃないのだが……」

「照れてる感じ、すごい演技力だね」

「唯斗が好きだと言ってくれるなら、ボクはこれからも頑張って着ようと思えるよ?」

「寒そうだからやめといた方がいいよ」

「……服装について何か言ってくれないかな?」

「服は可愛いよ」


 「服装?」と首を傾げる夕奈に、唯斗が「夕奈にはあまり合ってないかな」と答えると、彼女は「そ、そうかい? じゃあ、やめとこうかな」と肩を落としてくるりと背中を向けた。


「あ、夕奈」

「何かな?」

「綺麗だとは思ってるよ」

「……ありがとう」


 夕奈はそう言い残して部屋を出ると、後ろ手に扉を閉めると同時に壁へ思いっきりおでこをぶつけた。


「痛い……夢じゃねぇ……!」


 ていうか、私のこと『綺麗』って言ったよね? いきなり過ぎてキャラ崩壊するところだったんだけど!

 彼女は心の中で「ツンデレかよ!」と歓喜すると、留まることを知らず緩み続ける頬をムニムニとマッサージしながら、姉の待つ部屋へと戻ったのであった。


「夕奈ちゃん、次はこれを付けてくれる?」

「これってまさか……」

「ふふ、コスプレと言ったらこれじゃないの♪」

「え、ちょ……お、お助けぇぇぇぇ!」

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