第79話 裁判は公正に

 海から帰ってきた2日後のこと。


「静粛に」


 裁判官瑞希みずきが、辞書を机に打ち付けてゴンゴンという音を立てると、部屋の中から一切の話し声が消えた。


「これより被告人小田原おだわら 唯斗ゆいとの裁判を開廷する」


 彼女がそう宣言すると同時に、後ろ手に縛られた唯斗が連行されてくる。彼はとんでもない罪を犯してしまったのだ。


「被告人、お前は何の罪でここに連れてこられたのかわかってるか?」

「罪なんて大袈裟だよ。紛れ込んでただけでしょ」

「聞いていることに答えるんだ」


 瑞希がゴンゴンと音を立てて自白を促してくる。

 それでも唯斗がだんまりを決め込んでいると、検事風花ふうかが紙袋を持ってきた。


「これはあなたが持ってきたものだよね〜?」

「そうだよ」

「では、中身は何かな〜?」

「それは……」


 検事風花からの質問に、唯斗は少し答えるのを躊躇ためらってしまう。彼が現在地である夕奈の家に来たのは、その中身を返しに来て欲しいと頼まれたからなのだ。

 それなのに、玄関に入るなり夕奈と瑞希に縛られ、このような扱いを受けていることに、唯斗はまだ納得出来ていなかった。


「それより解いてよ」

「先に質問に答えるんだ。どうして小田原のカバンの中に、こんなものが入っていたんだ?」


 瑞希の合図と同時に風花が袋から取り出したのは、ピンク色の綺麗な下着(上)。オブラートに包まずに言うと夕奈のブラジャーだ。

 確かにそれは、唯斗が海に持って行っていたカバンの中から見つかった。

 しかし、それを盗んだ覚えもなければ見かけた記憶すらない。どうして入っていたのか彼自身も分からないのである。


「僕はそんなの知らない。夕奈が間違えて入れたんじゃないの?」

「そんなはずないよ! 唯斗君が我慢できなくて盗ったに違いない!」

「……はぁ」


 疑いの目は明らかに自分に向いていた。が、やっていないことを証明するのは、やったことを証明する何倍も難しい。

 両手を縛られた今の唯斗には、準備時間も無しに疑いを晴らすことは不可能に等しいのだ。


「待ってください!」


 しかし、そんな状況でも手を差し伸べてくれる人がいた。傍聴席に座っていた花音かのんだ。

 彼女はトコトコとこちらに歩いてくると、唯斗の隣で裁判官瑞希に向かって物申した。


「唯斗さんはそんなことをする人じゃありません!」

「花音……」

「彼は女の子に興味がありません! なので、夕奈ちゃんから盗む意味が無いんです!」

「……興味が無いわけじゃないよ? 誤解されちゃうからやめて」


 唯斗は異性に興味が無い訳では無い。単に夕奈のようなタイプが苦手な上に、一人でいることが好きなだけなのである。

 別に男が好きだとかそういう意味では無いので、勘違いしないでいただきたい。


「確かにな。夕奈を枕としか思っていない小田原にとって、布切れ同然のものを盗む価値もないか」

「裁判官、被害者が胸を押さえてうずくまってるよ〜?」


 風花の言葉に視線を移動させると、確かに床に倒れている夕奈の姿があった。

 彼女はこまるに助けられながら立ち上がると、よろよろと瑞希に歩み寄って机をバンと叩く。


「とにかく唯斗君が盗んだの。有罪にして」

「それで何をするつもりなんだ?」

「罰としてデートしてもらう」

「……下着泥棒と、か?」

「世界中が彼の敵になっても、私だけは味方でいるの!」

「現時点で敵対してるぞ」


 的確なツッコミをした瑞希は、しばらく考え込んだ後に風花から下着を受け取ると、それを唯斗に見せながら質問をした。


「被告人は本当に身に覚えがないんだな?」

「全く」

「どうして昨日のうちに持ってこなかったんだ?」

「使ってない内ポケットに入ってたから、気付かなかったんだよ。天音あまねが見つけてくれたんだ」

「なるほど……」


 裁判官はメモに何かを書き込み、ウンウンと頷いてから「念の為に聞いておく」と言って、唯斗へ最後の質問を投げかけてくる。


「匂いを嗅いだりはしたか?」

「するわけないじゃん」


 彼の即答の直後に飛んでくる「いや、普通嗅ぐやろ!」という声。瑞希はそれを聞いて確信したようにメモを閉じると、再度ゴンゴンという音を立てた。


「被告人は無罪、被害者を有罪とする」

「なんで?!」

「夕奈、自分で紛れ込ませただろ」

「な、なんのことかなー?」

「嘘下手か。人様に冤罪かけておいて、ただじゃ済まないぞ?」

「し、仕方ないじゃん! こうでもしないと唯斗君来てくれないし……」


 夕奈の言葉に唯斗が「来てくれないって、今日は何かあるの?」と聞くと、彼女はやたら得意げな表情を見せる。


「ふふん♪ 今日は夏祭りの―――――――――」

「その前に罰を下さないとだな」

「か、勘弁してくだせぇぇぇぇ!」


 その後、瑞希と風花によってクローゼットへ連れ込まれた夕奈は、出てきた時には何故か顔が真っ赤になっていた。

 あの中で何が行われていたのかについて、本人に聞いても教えて貰えなかった唯斗には知る由もない。

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