第78話 家に帰るまでが旅行

 ガタンゴトンと一定のリズムで刻まれる音に耳を澄ましながら、唯斗ゆいとは流れる景色を眺めていた。

 向かい側の3人がけの座席に座った瑞希みずき風花ふうか、こまるは仲良く肩をくっつけながら眠っている。

 そして唯斗の隣には夕奈ゆうな花音かのんがいて、夕奈の膝の上には天音あまねが座っていた。

 この3人も少し前に寝息を立て始め、唯斗はひとりで夕日のオレンジに染まった車内の心地よいまどろみに包まれていたのである。


(本当は僕も寝たいんだけど……)


 唯斗は心の中でそう呟きながら、右側に座っている花音へと目をやる。彼女は先程からこちらへと体を倒してきているのだ。

 もちろんわざとではなく、単に寝相が悪いタイプらしい。何度か押し戻してあげてはいるものの、ぶつかってくるせいで唯斗は寝落ちる寸前で止められているのだ。


「……ん、唯斗さん?」


 彼がもう一度肩を押した時、花音はうっすらと目を開けてこちらを見た。

 唯斗が「ごめん、起こした?」と聞くと、彼女は「いえ、大丈夫です」と微笑んでくれる。


「倒れてきてたから真っ直ぐにしようと思って」

「ごめんなさい、こっちに倒れるようにしますね」


 花音はそう言って反対側に体を倒すが、まだ意識がはっきりしていなかったのか、窓にゴツンと頭をぶつけてしまった。


「い、痛い……」

「大丈夫?」

「へ、平気です! 石頭なので」

「いや、窓割れてないかなって」

「あ、えっと……大丈夫みたいです!」


 手で窓に触れてみて、傷一つついていないことを確認して安心したように頷く彼女。

 唯斗が「冗談だよ、花音の方が心配」と言うと、「なんだか照れちゃいますね」と後ろ頭をかいた。


「あ、目が覚めたついでに聞いてもいいですか?」

「ひとつだけね」

「はい、ひとつだけです」


 花音はにっこりと笑うと、唯斗の目をじっと見つめながら聞いた。


「唯斗さん、楽しかったですか?」


 その質問は、いつかの帰り道の時と同じもの。あの時は彼女が見えなくなるまで答えられなかったが、今は時間制限なんてあってないようなものだ。


「……家で暇になるよりは楽しかったよ」

「ふふっ、良かったです♪」


 花音はそう言って満足げに笑うと、大きなあくびをひとつして「おやすみなさい」とまた目を閉じる。

 彼女がすやすやと寝息を立て始めると、ゆっくりと傾いた頭が唯斗の肩へと寄りかかった。


「……まあ、いっか」


 真っ直ぐに戻そうかとも思ったが、また頭をぶつけても可哀想だからとやっぱりやめておく。

 すると、まるでタイミングを見計らったかのように、反対側にいた夕奈も肩に寄りかかって来た。


「すぅ……すぅ……」

「……」


 穏やかな寝息を立てている彼女。しかし、唯斗は天音を抱きかかえる腕に違和感を覚えた。

 眠っているなら力はあまり入らないはず。なのに、夕奈の体は傾きながらも腕が強ばっているのだ。

 まるで天音を落とさないようにするかのように。

 唯斗は不思議に思いつつ、そっと彼女の耳に口を寄せて小声で囁いてみた。


「赤点保持者」

「すぅ……すぅ……」

「英語0点」

「す、すぅ……すぅ……」

「美少女」

「そう、夕奈ちゃんこそ美少女JK!」

「褒め言葉にだけ反応しないでよ」


 唯斗が「寝たフリしてたんだね」とデコピンをすると、彼女は「だ、だってぇ……」と言いながら涙目でおでこを押さえた。


「カノちゃんだけズルくない?」

「定員オーバーだからね」

「肩は2つあるじゃん!」

「夕奈は僕には重すぎるよ」

「誰が激重ヤンデレ彼女じゃおら」

「いや、激重ヤンデレクラスメイトだよ」

「よりタチ悪くしないでくれる?!」


 唯斗が「だって彼女じゃないし」と言うと、夕奈は「どうせ彼女居ないくせにこだわる?」と呆れたように首を振って見せる。


「好きな人以外を彼女にする意味ないし」

「遠回しに私のこと嫌いって言ってるよね?」

「……」

「無視が一番辛いんだよ?!」


 唯斗が「みんな起こしちゃうから静かにして」と言うと、夕奈は不満そうに頬を膨らませるも黙ってくれる。

 しかし、それも長くは持たなかった。彼女は何かを思いついたようにニヤッと笑うと、彼の耳元へと口を寄せてくる。


「唯斗君、かっこいいー」

「……そりゃどうも」

「照れる?夕奈ちゃんの甘々ボイスに照れちゃう?」

「MyTubeのA○MRの方がいい」

「リアルでやったろかおら」

「今度頼もうかな」

「……やっぱ無理かも」


 夕奈は何だか気まずそうな顔を見せると、寄せていた体を元の位置に戻す。しかし、ここで事件が起きた。


 カチャッ


 彼女が座ると同時に、足元からそんな音が聞こえてくる。おそらく座席を回転させるためのペダルを踏んだ音だろう。

 この路線の電車は、前に転んだ客がおでこを切るという事故があってから、これが側面ではなく下につくようになったそうだ。


「ど、どうしよう?!」

「立って座席を押せば固定できるよ」

「わかった!」


 夕奈がそう言って立ち上がった瞬間、電車が少しスピードを緩めた。そのせいでフラついた彼女は、膝に乗せていた天音の体重にも耐えきれず座席へと座り直してしまう。


「……あっ」


 ロックの外れた回転座席は、その衝撃で唯斗たちを乗せたままゆっくりと回転し始めた。そして。


「「「「……あっ」」」」


 逆側に座っていたあの時の2人組ナンパ男と、しばらく無言で顔を見合わせることになったのだった。


「……二度と顔を見せるなって言ったよね」

「「いや、そっちから見せましたよね?!」」


 うん、今回はこの人たち何も悪くないよ。それにしても、よほど夕奈が恐ろしかったのか敬語になってるし。


「こ、今回は見逃してあげる」

「だから、そっちから……」

「見逃してあげるって言ってるんだけど?」

「「あ、ありがとうございます!」」

「ふふん♪」


 唯斗は、余裕の表情で席を元に戻しながらも耳たぶを真っ赤にしている夕奈を見て察した。

 自分はこの旅行の中で、この瞬間が一番長く記憶に残るんだろうな……と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る