第76話 一寸の布にも五分の安心感
「みずきぃぃぃ!」
彼女の名を叫んだ
何とか胸元は隠したものの、起き上がると同時に激しくむせた。海水を飲んでしまったのだ。
「けほっけほっ……ん?」
その手に何かが触れるのを感じた夕奈は、目元を拭いながら布のようなものを拾い上げる。見てみれば、つい数分前まで自分の体を覆っていた水着ではないか。
「波で流されてきたのかな……」
「夕奈、大丈夫?」
「ちょ、
夕奈はそう言うと、体を折り曲げながら何とか誰にも見られないように水着を付け直す。
ようやく隠されている安心感に浸れると思った矢先、先程と同じくらいの波が押し寄せ、水着とは別の漂流物を残して帰っていく。
「み、瑞希!大丈夫?!」
「ああ、体はなんともない。でも……」
「……あっ」
視線を下へ向けた彼女につられて夕奈も同じようにすると、明らかに瑞希から無くなっているものがあることに気がついた。
「わ、私の水着を取りに行ったのに……」
「ああ、今度は私のが流されちまったよ」
ぐったりとしている彼女を前に、夕奈は拳を握りしめて立ち上がる。そして、決心したような表情で海に向かって走り出した。
「今度は私が取ってくる!」
「ま、待て! 波がもう来ないとは限ら―――――」
「おわぁぁぁぁ!」
「…………はぁ」
この後、砂浜にうつ伏せ状態の女子高生が追加されたことは言うまでもない。
最終的には自分たちではどうしようもないと、ライフセーバーの人に頼んで水着の捜索をしてもらったことで、一行は事なきを得ることが出来たのであった。
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「あー! やっぱり布って偉大なんだね!」
「あるとないとでは大違いだからな」
ようやく正規の方法で隠すことができるようになった
「そんな紐で繋いでるから外れるんじゃないの?」
「女の子はこれが可愛いの! 唯斗君にはわかんないさ!」
「可愛さより安全性の方が大事だと思うけど」
唯斗は少し前の夕奈の姿を思い浮かべてみる。
手で必死に隠しているせいで形を変形させた二つの山……いや、あのレベルだと丘かな。
ああ言うのを世の男性は好むのだろうが、クラスメイトが公共の場であのような格好を晒すのは、見ていて気持ちのいいものでは無い。
そう考えると、学校のプールではそういうトラブルは起こらないよね。唯斗はその理由に思い至ると、つい反射的に呟いてしまった。
「やっぱりスクール水着って強いんだね」
「スク……って、まさか見たの?!」
「……あっ。ううん、何も見てないよ」
「本当に?」
「本当だよ」
唯斗が真面目な表情で頷いて見せると、夕奈は安心したようにため息をこぼす。
彼は『下着を取って』と頼まれた時に、スクール水着の存在を見ていないことにしているのだ。
バレればまた責任だとか言われそうだからね。しかし――――――――。
「いやぁ、もし見られてたら恥ずかしくて二度と話せないところだったよ」
「夕奈がスクール水着持ってきてたって話だよね。ちゃんと見たよ」
「……おい、二度と話せないで嬉しそうな顔すな」
むしろ彼女の存在を遠ざけられるのなら、唯斗は喜んで見たことを打ち明けるのだ。その覚悟、白い物もお望みとあらば黒と言えるほどである。
「……一生ウザ絡みしてやるかんな」
「話が違うんだけど」
「人の持ち物を勝手に見た罰! 自業自得だから!」
「理不尽過ぎる……」
ガクッと肩を落とす唯斗。夕奈はそんな彼に歩み寄ると、ニヤニヤ笑いながら顔を覗き込んだ。
「私、しつこいんだからね?」
「知ってるよ」
「ふふん♪ 覚悟しておくといいさ!」
彼女はそう言って海の方へと歩き出す。
しかし、「さあ、帰る時間までめいっぱい堪能しようぜー!」とはしゃぎながら海に入ろうとした瞬間、パキッという何かが割れる音が聞こえた。
「…………」
「夕奈、どうした?」
「顔が青いよ〜?」
「やばそう」
みんなが見守る中、彼女は何やら口をパクパクとさせると、消え入りそうな声で「……痛い」と呟いて崩れ落ちてしまう。
慌ててみんなが駆け寄ると、夕奈はプルプルと震える手を動かして、自分の足を指差した。
見てみると彼女の足裏にはガラス片が刺さっていて、そこからツーっと赤い血が流れている。先程の波で流れ着いたものかもしれない。
「めちゃくちゃ……痛い……」
その後、歩けない夕奈をホテルの医務室まで連れていくと、傷口に菌が入らないように海には入るなと言われてしまった。
「まあ、時間もいいくらいだしな」
「か、帰る準備もあるもんね〜」
「……戻るか」
3人それぞれから気遣いの目を向けられ、「もう十分楽しめましたから!」「そうそう、十分だよ!」と
「まあ、部屋でゆっくりできるからありがたいよ」
「本当にごめんなさい……」
その優しさの重さに耐えきれず、しばらく廊下で崩れ落ちたまま俯いていた。
これに関しては唯斗ですら、夕奈を責める気にはなれない。だって悪いのはガラスのようなものを海に捨てた人なのだから。
ポイ捨て、ダメ絶対。
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