第70話 唯斗、命令通りに動くだけのマシーンと化す

「はい、これ」


 そう言って唯斗ゆいとが着替えを手渡すと、夕奈ゆうなはニヤリと笑いながら見つめてくる。


「一緒に入る?」

「僕は濡れてないから大丈夫」

「少しは照れろやおら」


 彼女は軽く唯斗を小突くと、そのままぷいっとそっぽを向いてお風呂場へと消えていく。

 今は浴場も閉まっているらしく、部屋風呂で海水を流すしかないのだ。


「あ、唯斗君」


 今のうちに寝ようとベッドへ体を向けると同時に、扉から顔だけを覗かせた夕奈が声をかけてくる。


「なに?」

「ジャージ、いつ返せばいい?」

「今」

「濡れてるし、それは悪いかなー」

「じゃあ、始業式の日」

「それまで夕奈ちゃんと会うつもりは無いと?」

「当たり前じゃん」


 唯斗は大きなあくびをすると、「じゃ、おやすみ」とベッドに向かって歩き出す。そんな彼を、夕奈はまた「待って待って!」と呼び止めた。


「あのさ……忘れ物したんだけど」

「取りにくれば?」

「もう脱いじゃったから無理」

「着ればいいじゃん」

「こんなびしょびしょなの、気持ち悪くて着れないよ」


 唯斗が「自爆したくせに……」と呟くと、彼女は「あれー?何か言ったかな?」と言いながら出て来ようとして、慌てて扉の向こうへと引っ込んだ。


「と、とにかく、私のパン……下着を取って!」

「いや、それは無理があるよ」

「可愛い女の子の下着だよ? 無理ってどゆこと?!」

「だって使用済みだもん」

「……別に汚れてないかんな?」


 昨日は一日中水着だったから、下着を身につけたのは寝ている時だけ。寝汗くらいはかいたかもしれないが、それだけで嫌がられるとさすがの夕奈も傷ついてしまう。


「いいから触ってくれよ!」

「断る」

「お願いします、唯斗様」

「ふっ、いい気分だ」

「それなら……」

「だが断る」

「くそぉぉぉぉ!」


 夕奈が見えない場所で座り込んだのが、唯斗にもなんとなくわかった。少し気の毒に思えてきた彼は、「夕奈は僕が触ってもいいの?」と聞いてみる。

 彼も意地悪で断っている訳ではなく、普通に人のカバンの中を漁ることに抵抗があるだけなのだ。あと、少し面倒臭いのもあるが。


「唯斗君なら平気だから!」

「なるほど、僕は男ではないと……」

「違うよ?! なんでそっちに捉えちゃうかなー?!」

「まあいいや。騒がれても困るし、探してあげる」

「おお、神よ……」

「僕は人間ではない。そう言いたいの?」

「それもういいから。早く探して!」


 唯斗は「探してもらう立場のくせに偉そうだ」と思ったが、そこはグッと堪えて彼女のカバンの前に立つ。


「あ、目は閉じてね。恥ずかしいから」

「じゃあ、どうやって探すの?」

「何か手に取ったら、私に見せて。『それ!』って言ったら渡して」

「……面倒臭いよ」

「美少女のカバンだよ? 少しは興奮しなよ」

「いや、人を内面で判断するタイプだから」

「誰が性格ブスやねん」


 夕奈に「いいからいいから!」と急かされ、唯斗は目を閉じたままチャックを開けたカバンに手を突っ込む。

 下着と言っていたから、布製の感触を探せばいいだろう。唯斗はそれを頭の片隅に起きながら、ドライヤーやポーチのようなものをかき分けた。


「……あ、これ?」

「それはスクみz……いや、違うかなぁ」


 布っぽいと思ったけど、確かに持ち上げてみると少し大きい気がする。それに長さもそれなりにあるし……あれ、これは名札だろうか。


「ちょ、触りすぎ!いいから次行って!」

「はいはい。じゃあ、これは?」

「それはブr……違うから! 少しは触った感じで分からないの?」

「いや、女の子の下着なんて触ったことないし」

「……そ、そうだよね」


 夕奈が小さくガッツポーズしたことも知らず、唯斗は新たな布らしきものを手に取ってみた。


「これ?」

「あー、それは一昨日のパン……下着かな」

「うわ、ばっちい」

「おい、何投げ捨ててくれてんねん」


 めちゃくちゃ怒られた唯斗は仕方なく一昨日の下着を拾うと、それまで取り出したものを置いてあるところを手探りで探してポンと乗せた。


「あと、これしか残ってないみたいだけど」

「それ! それが昨日のやつだよ!」


 持ってきて!と言われ、声を頼りにそちらへと向かう唯斗。「ちょ、近い近い!」という声がすぐそばで聞こえるようになると、彼は下着を持った手を前に差し出した。


「あ、ありがと」

「もう目開けていい?」

「いや、今唯斗君が居るのお風呂場だからね?」


 「目開けたら、私お嫁に行けなくなるから」と言われ、唯斗は働かされた仕返しにそうしてやろうかとも思ったが、「責任取って貰うことになるよ?」の一言で一層まぶたが重くなった。

 例えるなら、閉店した店のシャッターである。ネジで固定してあるかのごとく、開く素振りすら見せやしない。


「まあ、どうしても見たいって言うなら……」

「結構です」

「特別に見せてあげても……」

「お断りします」

「私から見てって頼んだら……」

「え、そういう趣味あったの?」

「引かないで?! 傷ついちゃうから!」


 夕奈は口の中だけで「好きな人に見せて何が悪いの……」と呟くと、下着を受け取るなりすぐに唯斗を風呂場から追い出した。

 背後で扉を閉められ、ようやく自由の身になった唯斗は、ふと扉越しに聞いてみる。


「もう目開けていい?」

「いいよ、見られないし」


 一応了承を得てから、彼は重かったまぶたを持ち上げる。ずっと暗闇状態だったせいか、部屋の中が少し明るく感じるね。


「僕もそろそろ寝ようかな」


 そんな独り言を零しながらベッドに向かうと、唯斗はふと視界の端に何かを捉えた。見てみるとそこには―――――――――――。


「……まだ開けちゃダメだったかな」


 彼はカバンの横に積み上げられたいくらかの布など見なかったことにして、布団の中へと逃避したのであった。

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