第71話 歩く騒音機も夜中は騒音を気にする
「
風呂から上がってきた
今度は肩を揺すりながら声をかけてみると、うっすらとまぶたが開いた。
「ねぇ、唯斗君」
「……起こさないでよ」
「聞きたいことがあるんだけど」
「……答えたら寝させてくれるの?」
唯斗は夕奈が頷くのを確認して、溜息をつきながら体を起こした。見てみれば、彼女の手にはドライヤーが握られている。
「どこで髪乾かせばいいかな」
「コンセントならどこかにあるよ」
「そうじゃなくて、音立てたら周りの人を起こしちゃうじゃん」
「僕を起こしてる時点で手遅れなんだけど」
夕奈は「唯斗君はどうせ明日も寝てるだけだから大丈夫」とよく分からないことを口にすると、唯斗の腕を掴んでベッドから下ろした。
「何するつもり?」
「脱衣場に行くの。あそこなら音立てても大丈夫だから」
「一人で行ってよ」
「可愛い女の子を夜中にひとりで歩かせるつもり?」
「夕奈なら大丈夫でしょ」
「おい」
彼女は「誰がどうせチカンに合わないレベルの顔だおら」と言いながらしっぺをしてくる。もちろん、唯斗はそういうつもりで言ったわけではないのだが……。
「ていうか、いるかもわからない不審者のために僕が行く必要ある?」
「かもしれないの精神が大事なんだよ! いつ何が起こるかわからないんだから」
「そんなこと言ってたら家から出られないよ」
「いいから来いや」
ついには強引に唯斗を引っ張ると、無理矢理靴を履かせて部屋から連れ出した。
夕奈に貸したジャージのズボンが無いせいで、廊下ですら震えるほど寒い。ついさっきまで暖かい布団にいたからその差のせいもあるかもしれないけど。
「今何時なの?」
「2時半くらいかな」
「……僕、倒れるよ?」
「倒れたら夕奈ちゃんの好き放題されちゃうね」
「不審者はこっちだったか」
「いや、帰ろうとしないで?!」
正直、夕奈の身を心配するほど馬鹿らしいことは無いし、睡眠時間を削る価値があるとも感じられない。
しかし、彼女が足にしがみついて離れようとしないせいで、唯斗は一歩も動けない。これではどちらにしても帰れないので、仕方なくついて行ってあげることにした。
「あれ、そういえば脱衣場ってこんな時間に空いてるの?」
「空いてると思うよ。脱衣場は海に行く時の着替え場所にもなってるからね」
なるほど、それなら空いてる可能性はあるのか。唯斗は心の中で頷くと、廊下の奥の方に見えてきた入口に目を凝らす。
「本当だ、電気ついてる」
「どやぁ♪」
「何変な顔してるの、早く行ってきてよ」
「変な顔って言うなや。てか、唯斗君も入るんだけど」
夕奈の言葉に唯斗が「いや、女湯に入れるわけないじゃん」と返すと、彼女は「女湯じゃないよ?」とかけられた
「……ん?」
見てみれば、男湯が青色、女湯が赤色の暖簾だったはずなのに、何故か女湯の方だけが紫色になっていた。
夕奈は不思議に思っている唯斗の顔を覗き込みながらニヤニヤと笑うと、ポケットから何やら紙を2枚取り出して見せる。
どうやらチェックインの時に貰った宿泊チケットの控えらしい。そんなものをどうしようというのだろう。
「このホテルの浴場、深夜だけチケット宿泊者専用の混浴になるらしいんだよね♪」
「混浴?」
「そう、合法的に男女が同じ湯に浸かることの出来る空間だよ」
「知ってるよ。それがどうかしたの?」
夕奈は「これだから鈍感男は……」と呆れたように首を振ると、ピシッと人差し指で紫色の暖簾を指差した。
「夕奈ちゃんと一緒に入れるチャンスだよ?」
「いや、興味無い」
「随分とはっきり言うね?!」
「そもそも、この時代に混浴なんてあるものなの?」
「普通はないからこそ気になるっしょ!」
彼女はそう言うが、唯斗はにわかには信じられなかった。そもそも何故夕奈がそんなことを知っているのかも分からない。
その疑問を率直にぶつけてみると、彼女は「実はね……」と先程とは逆のポケットからスマホを取り出した。
「
「真穂さん?」
「あ、瑞希のお母さん。チケットくれた人」
「ああ、福引回すだけで満足する人か」
「……まあ、間違っちゃいないけど」
夕奈は苦笑いしながら、チラッと見せたRINE画面を閉じ、スマホをポケットへと戻す。
混浴を知っていながら何故部屋風呂に入ったのかという疑問もあったが、着信時間がついさっきなのを見て納得した。
あの真面目な瑞希の親なら嘘をつくような人だとも思えない。何かの勘違いか、もしくは本当に秘密の混浴があるのだろうか……。
「どう? 気になってきた?」
「でも、きっと他に来てる人なんて居ないよ」
「夕奈ちゃんがいるではないかー♪」
「うん、物足りないね」
「胸見ながら言うのやめてくんない?」
別に胸を見てたわけじゃないんだけどなぁ。眠気が戻ってきたから、あくびを堪えてただけなのに。
「まあ、とりあえず入ろ! どうせ髪は乾かすんだし!」
「それもそうだね」
「よしっ! それではゴーゴー♪」
これが世にいう深夜テンションと言うやつなのだろう。夕奈はやたら陽気に唯斗の手を引き、暖簾をくぐって中へと入っていった。
「おや? お客さんかい?」
その先にはおばあさんが一人、穏やかな表情で立っていた。片手にモップを持ちながら。
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