朝靄の中、閑話。

「まったく……朝早くからこんなこと……俺らは警備隊じゃないんだが」

「はぁ……。仕事ですし、別に何とも思わないわよ、私は」


 軍人のように精悍な男が、口の端から紫煙を吐き出しながら文句を垂れる。それに対して、隣の女は、特に何も不満はない様子で欠伸を返した。女の方は、早朝にも関わらず夜の歓楽街を飛び出してきたように大胆な服装だが、上品な出で立ちをしている。この相反する雰囲気の二人が職場の同僚であるということに、大半の者は一目見た限りで考え至らないだろう。


「良いじゃないの、お給料貰えない訳じゃないんだし」

「君は現金だな。それに、朝から頓智気な格好をして……」

「頓智気って感想、すごく面白いけれど……。王宮に属する者として、何より淑女として、どんなに朝が早くても身だしなみは整えるものよ。……あなたは朝くらい自分の肺を休めてみたら?……それ、おいしいの」

「君も吸ってみるか?」

「結構。いらないわ」


 朝靄もまだ晴れない時分、王都の住宅街を歩くこの男女は、男が口にした通り警備として雇われた身分ではない。王宮の上部に位置し、魔力や特定の分野において才能のある若い者が選ばれる組織〈星宮〉に属する、いわばエリートである。〈星宮〉の体系、『星になぞらえた12の席』にはかつて王宮内の多くの者が憧れた。しかし、それも遠い昔の話である。

 この他の組織も単純に魔力の強い者を寄せ集めたように成り果て、瓦解寸前であった王宮内部は、つい半年前に一人の若き指導者の下で見直され始めたばかりであった。その効果はもちろんのこと、良き指導者を得て組織内の意識改革も進み、長年の間ハリボテに過ぎなかった〈星宮〉の地位は回復しつつある。ただし未だ根を張る上院には力及ばず、若き者たちには、誰も受けたがらない曰くつきの仕事を細々と処理をする日々が続いていた。


「朝早いのは、諦めたことだけれど。あなたは何をそんなに嫌がるわけ?」

「俺は、お偉いさんが俺たちを木偶だと勘違いしているのに腹を立てているのさ」

「まぁ、今に始まったことじゃあないわね。仕事を与えてもらえるだけ、まだ良いことだと思いたいわ」

「リブラが物申さなきゃ、ロクな仕事もできねぇってか」

「そればかりは、いま出しゃばったところで余計に立場が悪くなるだけよ。リブラに任せて、私たちはまだ黙っているのが得策」


 リブラとは、「若き指導者」の渾名である。彼はある日彗星の如く現れた……と言っても過言ではないほどに革命的な思想を持った青年だった。宮内の制度諸々を全て刷新していく、と声高らかに上院へ告げた時には〈星宮〉を含めた宮中上部の皆が卒倒しそうな勢いであったが、いざ始まって見れば悪くないものだった。遠き理想のようなその改革は、意外にも現実的な道のりであったのだ。老人たちの食い物にされかけていた王宮の誰もが求めていたことであり、必要な時代の流れとも言えた。


「しかし、あのリブラが血相変えて飛び出していくとは、アレは余程な代物だな」

「確かにそうね。私たちの見回りって、アレの監視が目的でしたっけ」

「あ~……そうだったかもな」

「まぁ、ここ数日の様子では、何か変化がありそうには思えないけれどね」


 空を仰ぐ二人の目線の先には、天高くに浮かぶ円柱の物体がある。重々しく、石造りで無機質なソレは、朝靄の向こうにある晴天に張り付けたように非現実的だった。王宮ではこれを簡単に『塔』と仮称して調査と観察を進めている最中であるが進展は無いに等しい。

 この未知の塔は、数日前に突如として王都上空に現れたもので、人々を大いに混乱させた。人に害を及ぼすことがあった訳ではないが、あまりにも唐突で無感情で、今にも落ちてきそうなその塔は、晴れやかで華々しい王都の空を静かにゆっくりと不吉な様相に塗り替えているようだった。


「あの中、どうなっているんだろうなぁ」

「案外、何もなかったりしてね」

「空っぽか?面白くねぇな。じゃあリブラがわざわざ探し回ってるのは何になる?」


 リブラは塔が現れるやいなや、半日も経たずに組み上げた『塔』対策本部の指揮系統を全て補佐へ放り投げて何処かへ行ってしまった。どんなに完璧な指揮系統であれど、塔は微動だにしないため睨み合っている事しかできず、残された者たちはどうしたものかと頭を抱えている。


「『根本的な原因』ですって。……聞いた話では、あの塔に居た、えぇっと……そう。魔術師を探しているらしいわ」


 魔術師という単語に、男は首を横に振る。魔術師とは世界を滅ぼせるほどの圧倒的な魔力と、知恵と美貌と長寿を兼ね揃え、千年に一度、人以外から生まれ落ちる存在のことである。何人もの魔術師が、この世界を滅ぼしては作り直しているという言い伝えがあり、古今東西の御伽噺や信仰に根付く偶像、架空の存在であるとも言われている。


「魔術師って……お伽噺かよ。世界を滅ぼすような化物が存在するって信じている訳か、リブラは」

「あくまでも噂程度よ。あの塔との関係性も検討がつかないし……」

「噂が本当だったときが、末恐ろしいな」

「なぜ?」

「魔術師なんて伝説の首根っこ捕まえて持ってきたら、リブラは本当の英雄になれるかもしれない」


 二人は、真面目で現実主義者なリブラが、御伽噺の中に描かれる恐ろしい魔術師を捕まえ凱旋する姿を想像し、悪くないと考える。民には伝わりにくい王宮の内情を、知らせる良い機会にもなるかもしれない。


「へぇ、あなたってリブラのこと、割と好きでしょ」

「…………嫌いではないな。飯おごれば素直に喜ぶし」

「何それ!いつそんなことしてたの?私も連れてってよ」

「リブラが戻ってきたら、考えておくよ」




 ・




「……どうしましたか。道に迷われたなら、私は力になれそうにありません。その、具合が悪くて……。他を当たってください」

「……驚いた。こんなに分かりやすく、見つかるなんて」


 西の辺境の地にて。廃墟も同然の家が立ち並ぶスラム街の、細い路地裏。リブラは、息を呑んだ。

 まだ夜が明けて間もない時分だというのに、纏わりつくような暑さを含んだ風が肌を撫ぜていく。湿気で跳ね上がった髪が鬱陶しく頬に張り付くが、それさえも忘れるほどに彼は興奮していた。──懸命に魔力の残滓を辿ってきた甲斐もあったというものだ。

 目の前でぐったりと壁にもたれかかる旅装束姿の青年は、『彼女』に聞いた特徴と一致している。頭巾から覗く顔は、このような砂埃にまみれた場所とはあまりにも不釣り合いな美しさで、こちらを見上げる弱った瞳は濁りのない銀色に輝いている。空の色をうつした群青の長い髪は、だらしなく胸のあたりまで垂れていて、新雪のような肌に良く映えた。


「すみません……、何のことでしょう……?」

「……あなたを、探していました」

「そうなんですか……?私は、いつの間にお尋ね者に……。あぁ、もしかして」


 青年の身体がぐらりと揺れ、顔が苦しげに歪む。


「あれ、みつかっちゃった、かな……だから私、どうも……力が」

「……!」


 『あの馬鹿が無事に帰って来ることを、期待してるわ。……貴方のことを、信用しているからね、リブラ』


 慌てて身体を支え、声をかけるが気を失っていた。熱があり、よく見ると顔色も悪い。この青年には、魔力も体力もほぼ残っていなかった。しかし、これだけ弱っていても、彼には染みついたあり得ない数の確固たる生命の息吹と旅の加護、そして祝福が渦巻いている。誰が見ても明確に、彼は世界に守られ、愛されている証だ。

 リブラは違和感を覚える。『彼女』のことを疑ってはいないが、この青年が魔術師であるならば、このように魔力を消耗することはあり得ないだろう。上級の魔法使いであれば自然と、魔力の消費はコントロールすることができる。それを人を凌駕した魔術師が行えないことがあるとは考えられない。

 それに、世界を滅ぼすと恐れられ、全てから忌み疎まれる伝説が、祝福まみれのまるで天の使いのような扱いで生きていることを、誰が想像できるだろうか。

 とにかく、ここで死なれては困ると慌てて青年の身体を抱き起し、拠点にしている宿屋への空間移動のパスを繋ぐ。本来であれば魔力の残滓が辿られることを案じて徒歩で移動するところだが、そうも言っていられない。残念なことに、加護や祝福というのは命の問題になれば信用するに足らない。何故なら、全ては隣人たちの気まぐれであり、自然の産物に近いため性質が変化しやすいのだ。


「死なれちゃ困るんですよ……彼女のためにも……」


 思い出すのは、ほんの数日前の出来事。


「……俺は、君のことを信じたし、君も俺のことを信じている。でも、いざ目の前にすると、怖いな。アレだ、皆の前に出て行って、革命を起こそうと、そう言った時よりも、怖いよ。……ウィステリア」


 が、あの『塔』の中でリブラの名を呼んだときから、この世界の命運は決まっていた。


『リブラ。……どうか、魔術師アエスを、助けて。貴方にしか、できないこと、だから』

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