LOLIPOP:snow
@Trap_Heinz
LOLIPOP:snow
公園のブランコに腰掛けていた。青い支柱に二つぶら下がったブランコ。の、右側。
正面から観ているアンタからすれば左側。平日の昼間に成人女ひとり。GUで買った黒いシェフパンツに、GUで買った黒いパーカー。下品に股を広げ鎮座し、フィルター無しのPeaceを咥えて、無駄に青い十二月の空をぼけーっと眺めている。青い煙が、空色に溶け混じる。
私は、何をしていたんだっけ。
「京子(キョウコ)! この前のドラマもう始まるよ!」
杉並区の安アパートに住み始めて二年が経った頃の五月、一匹の女が転がりこんできた。
雪(ユキ)と名乗る女は、三ヶ月前とある映画監督のワークショップで出会い、その場でペアを組まされ一緒に即興劇をやっただけの仲だ。
テレビを前にウキウキしている彼女の横へ、私もハイネケンを左手に座る。
「なんで私よりアンタの方が出てるドラマちゃんとチェックしてんのよ」
「だって気になるじゃーん」
地元の田舎から役者を目指して上京して二年経っていた。エキストラや小さな役を経て、少しずつ役者を仕事としてこなし始めていた五月である。
雪とはそのワークショップ以来、何度か食事をしたりした仲であったが、それ程親密という関係でもなかった。ある日突然電話が掛かってきて『二、三ヶ月居候させてくれないか』と云ってきたので、とくに深く考えもせず私は承諾してあげた。
私は彼女を深く詮索したりもしなかった。興味がないというか、彼女は一緒にいて楽……と言うと彼女に失礼かもしれない。どう言い表せば良いか、波長が合う、とでも言うべきか。とにかく私は彼女が嫌いなわけでは無いが、深入りする気も無かった。
そういう訳で、三年目にして私は同居人を初体験中なのだ。
「来た! ここココ!」
雪が画面を指差す。
私も一応自分がどう映っているのか観ようとした。
「……ダッハッハッ!」
「……っぷは!」
二人とも同時に吹き出す。
「いや今の演技はオーバーすぎでしょ! アメリカのコメディじゃん!」
「いやいや、これくらいやらないと爪痕残せないっしょ」
「お笑い芸人かよ!」
そんなたわいない話をしながら、今日という日も終ろうとしていた。
「そのマーチンのブーツほんと好きだねぇ」
「んふ〜、国内版とは違うのだよ国内版とは」
と、雪は得意げにブーツ底を見せびらかしてくる。彼女曰く、日本版と英国版とではソールの色が違うらしいが、私には分からない。
「でもマーチン履いてる人多いから、私はなんかヤダ」
と、どうでも良い天邪鬼発言を返す。
「いやいや、ハラジュクとか歩いてるのは国内版ばかりだから」
とフンと鼻を鳴らす。お互い変に天邪鬼だ。役者だからか?
日曜はお互い空いてる事が多く、よく一緒に出かけていた。今日は雪のリクエストでとんかつを食べに来た。とはいってもチェーン店のだが。『明日から“勝つ”為に!』などと雪は意味不明な理由を云っていたが、彼女の向き先のわからない明るさというか、ポジティブさに私はどこか救われている気がする。でも、女二人で日曜の昼間からとんかつって……。
一食八百円もしないカツで割と満足した所で、近くのカフェに入った。
「雪は、最近役者の方どうなん?」
席に私はミルクティー、彼女はアイスコーヒーを置き、またどうでも良い話を始める。珍しく私から話題を振った。
「んー、全然。ネットの募集もノーギャラばっかでヤル気出ないし。事務所の仕事もエキストラみたいなのばっかで全然ヤル気になんない」
「そーだけど、やらないよりは良いんじゃない? コネ増えるかもしれないし、エキストラでも少しはお金になるし――」
「でもさー、そんなちっちゃい仕事で小銭貰う位なら、バイトした方が稼げるなーとか思っちゃうんだよね」
「雪にしては……ネガティブな発言だね」
「ネガティブじゃないよ、現実のハナシよ」
その事実に、チクリとした感覚が胸に走る。
「そうだけどさ〜……」
「京子はさ〜最近ちょこちょこドラマとか出てるからそういう事言えるんだよ」
「え? ……僻み? 雪らしくない」
「現実のハナシよ」
同じ言葉を返されてしまった。
私は何も言い返せず、ストローを啜った。机に置いたグラス周りの水滴が落ちて溜まる。
それからなんとなく下北沢をブラブラして帰宅した。初めてだ、雪とこんなぎこちない雰囲気になるなんて。私の言葉が、態度が彼女を変えてしまったかと少し反省した。
京子は、私にとって……かぐや姫に出てくるおじいさんみたいな存在。
あの沢山の役者で溢れていたワークショップの中で、私を選んでくれた。それはただの偶然だったかもしれない。だからかぐや姫のおじいさんみたいな存在。
私が殻から飛び出そうと思った時に、真っ先に思い浮かんだのは京子だった。そして京子は私を必要としてくれた。それだけ。
真っ白な空間。木製の椅子が二つ向かい合って配置してある。
右に京子、左に雪が座って向かい合っている。膝と膝がくっつきそうな距離。
白いTシャツに黒いパンツを履いた京子。黒い、がスカート部分だけ美しい白のドレスを身に纏う雪。
「え……?」
「いってきまーす。寝坊すんなよー」
ソファで寝ぼけている雪を尻目に、私は撮影現場を目指して少し肌寒い朝へ出ていく。
アイツ、今日もバイト遅刻しそうだな。と心の中で呟いた。
電車を乗り継ぎ、神奈川との県境付近にあるスタジオに着いた頃にはもう暖かい十一時前だった。予定通りの到着。
「おはようございまーす!」
今日のCMの撮影が行われるスタジオに入り挨拶をする。何事も元気な挨拶が肝心、私はそう思っている。
「あ、京子さんですね。よろしくお願いします〜。上の部屋で衣装合わせお願いします」
と案内され控室へ通される。こういう扱いを受けると、私も芸能人っぽい! という安直で、でも嬉しい気持ちになった。
とはいっても、私がメインで映るCMな訳もなく。今日も有名な女優の後ろに立つモブキャラでしかないのだが。
昨日は雪にあんな事言ったが、私だってこういう小さな仕事を通して、監督やプロデューサーに気に入ってもらって、コネを作って、そこから出演を勝ち取ってきた……なんてかしこい芸能界の生き方を実践出来ている訳も無く。ただ片っ端から応募して、そこそこ受かっているだけである。酷な言い方をすれば、小さな劇団で小さな劇場で毎年舞台に立って『私は役者をやっています』と自称している人種と、私も変わりないのだ。
控室で新社会人が着ている様な安っぽいスーツに袖を通す。スタイリストの女性がウェストや裾丈をチェックしている。私も普通に働いていたらこういうスーツに身を包み、毎日必死に会社に勤めていたのだろうか。いや、私にはムリだな。なんて想像していた。
「京子さん、何か良い事あったんすか?」
若い女のスタイリストが不意に話しかけてくる。スーツのチェックは終わった様だった。
「え? なんでですか?」
「いや、鏡見て笑ってたから〜」
「あー……」
私が社会人妄想をして口角が上がっていた事に気付き、顔が熱くなるのを感じる。
「な、なんでもないです!」
「京子さんかわいい〜」
そんな口任せの言葉を受け取っていると、ドアからノックが鳴る。
「失礼します、ミズキさん入られま〜す」
ドアの向こうから、先ほど私を案内してくれた男の声がした。
ミズキさん。その声を聴くなり、私に付いていたスタイリストや、同じ部屋で待機していた他の女優やスタイリスト、ヘアメイクの女達が姿勢を正し、ドアへ向け一斉に一礼する。
「ミズキさん、おはようございます!」
ドアが開き、一人の女性が入ってくる。私がこの部屋に来た時とは全く違う、緊張した雰囲気が一気に部屋を埋め、私も倣って頭を下げた。
「おはよ」
その三文字だけ言い、部屋の一番真ん中の鏡台へ陣取る。マネージャーと、専属のメイクアップと思われる二人の女もその人へ付いていた。
知らなかった。今日のメイン、ミズキさんだったんだ……。
何を隠そう、私が目標としている、そして憧れの女優の、あのミズキさんだった。こういう仕事では、メインとなる人物の名を『有名女優』等と伏せてよく募集を掛けている。そしていつもその正体を知るのは、現場に来てからだった。
他の役者やスタッフも恍惚の目で彼女を見ていた。ディレクターの男も入ってきて、今日の撮影の流れや、CMのアピールポイントを早口で並べ立てていた。
その男が出ていくや否や、他の女優達が「〇〇と言います! 今日はよろしくお願いします!」などと可愛げな声を上げ深々と頭を下げている。なんだか媚びている様で、自分には出来ないと思った。でも話しかけたい。憧れのヒトが目の前に居る。
だが、当の本人はどうだろう。気怠そうで、仕事でここに来ました感丸出しの、私が憧れていた女性はそこには居なかった。
軽い昼食を摂り、午後から撮影が始まった。白い壁とスクリーンに覆われた巨大なスタジオのセンターに立っていたのは、私が憧れていたあのミズキさんだった。これがお仕事モードというものなのだろうか。私は淡い幻想を壊された様で、なんだか気が沈んだまま撮影は続いた。
この新発売らしき、どこでも売っている様な女性用スーツの宣伝文句を謳い上げ、ミズキさんを中心に他の女優が横に並び決めポーズを取る。そんな在り来たりな画を撮り、撮影は終わった。
「えーでは、以上をもちまして、えーナレーションを残してミズキさんオールアップです! お疲れ様でした!」
ディレクターが読み上げ、監督がミズキさんへ花束を受け渡す。
「おつかれさまでした、ありがとうございました〜! ナレーション収録もがんばります〜!」
と愛嬌タップリで笑うミズキさんは、どこか滑稽に見えてしまった。
ミズキさんが楽屋に戻ったのを見計らい、私達も着替えに戻った。それと同時にスタジオの撮影や照明機材の撤収作業が始まり、一気に慌ただしくなった。
「アンタさ、朝ミズキさんに挨拶しなかったっしょ?」
そそくさと着替え出て行こうとした時、後ろから声を掛けられる。
「え?」
「アンタマジ常識ないね、もう仕事ないよ」
同じく”モブキャラ”で出ていた女優の一人だった。他の女優達もこちら見ている。
「……なんであなたにそんな事言われなきゃいけないの?」
「アンタみたいな挨拶すらしない”芸能人モドキ”が、この世界で残れるわけないじゃん。忠告してあげて――」
そう彼女が言い終わりそうになった時、パンッと乾いた音が響いた。無意識に彼女の左頬を叩いていた。その女が呆然と立ち尽くしている。私は咄嗟に部屋から飛び出してしまった。キャリーバッグを乱暴に引き摺りながらスタジオを出て、早歩きで駅を目指す。
「ただいまー……」
暗い部屋に上がり、電気のスイッチを入れる。
溜息しか出ない。電車の中で事務所から電話が三回来ていた。恐らく私の起こした暴力沙汰についてだろう。もう仕事は来ないか……等と考えていると、リビングの机の上に開きっぱなしのノートが目に入る。白紙のページの真ん中に一文が殴り書きされている。
『ユキは居ない。』
ハッとリビングのソファで目を覚ます。しまった、寝坊した。バイトに遅刻だ。とiPhoneの時計を確認する。月曜日。なんでまた寝坊するんだ私は……。
いや、今日はCMの撮影、月曜日だ。え?
寝坊した故のパニックか、思考が意味不明だ。私は役者で生活をしている。私はアルバイトで生活をしている。え?
ソファに座り、机の上に開きっぱなしで置いてあるノートを見た。
真っ白な空間。木製の椅子に私が座っている。目の前に雪が座っている。既視感。
「雪は居ない……?」
私はノートに書いてあった文章を溢す。
「うん。私は居ないよ」
「じゃあ私は、私はここに居る?」
「そうよ。京子が私を必要としたから」
雪が優雅に両手を広げ、滑らかに地面を滑っている。
「私は、何をしていたんだろう……」
黒のパンツとパーカー、それにブーツを履いた私が一人カフェの席に座り、ミルクティーとコーヒーを交互に飲みながら話している。
「雪に頼ってもダメ」
一人とんかつを食べながら誰かに話している京子。
「私は何をやってたんだ……」
一人テレビを見ながらノートに何かを書く京子。
部屋の契約は二年で終わっていた。
ブランコを囲う様に設けられている、黄色のペンキが剥げかけている鉄パイプの柵。
その柵に雪が座っていた。
もう一度空を見上げると、今年最初の雪が降っていた。
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