第13話 トドイタ
彼女の家の前に着き自転車を降りる。
疲労から足は震えていた。
いや、嘘だ。疲労じゃない。
着くまでは会いたいと思っていたのに、いざ会うとなると急に怖くなったんだ。
僕は太ももにナイフを刺すかのように拳を振り下ろした。
覚悟を決めドアの前に行き僕はインターホンを押した。
ぽーーーーん。
僕はふぅーーっと息を吐いた。心臓の音がうるさくなる。ああ、うるさい。落ち着け。
ガチャ
「……入って」
掠れた声だったが懐かしい落ち着く零菜の声だった。僕は零菜の後ろに続いて部屋に上がった。
零菜は後ろ向きのまま「飲み物を入れるてくるから適当に座って」といった。僕はリビングにある小さな机の前に座った。
キッチンでポコポコとお湯が沸くがする。近くにある時計がカチカチと時間を刻む。二つの音にもう一つ小さな音があった。零菜の鼻をすするような音だ。
しばらくすると零菜はコップを一つ持ってきて僕の前に置いた。そして、僕から少し離れて膝を抱え顔をうずめる様にして座った。
零菜が最初に話してくれた内容は衝撃的だった。
「……私ね……記憶がないの……」
記憶が……ない? 世界がスローモーションになった。
「どう……して?」
声に出したつもりはなかった。頭の中に出てきた言葉が無意識に声となって出ていた。
「私ね……癌なの……。それがね転移しちゃって、意識を失って、頭をうっちゃってその後遺症で……記憶が……記憶が……」
泣きながら、声をからしながらも必死に零菜は説明しようとしてくれていた。僕はそんな零菜抱きしめた。彼女の包み込むようにすると彼女は僕の服を力なく掴み、顔を僕の胸に当て泣き叫んだ。
「うわぁぁぁあああああ」
僕は零菜の背中を何度も何度も何度もさすった。
「何を覚えていて何を忘れているのかも分かんないの! 覚えている友達に言っても信じてくれなかったり怒られたりして! ねぇ何で怒ってるの! ねぇ何で! 何も分かんないの! 分かんない! 分かんない! 分かんない!」
零菜は全てを吐き出すようにして話す。話すというよりは叫びだ。悲しみに満ち溢れた咆哮だ。
「大事な友達と話したことも全部忘れちゃったんだ! なのに何で怒ってるかも分かんないの! 最低だ! 最低なんだよ! 私なんてもう生きている価値がないんだ! 最低最悪の人間なんだ!」
「……そんなことないよ」
「君の事だって分かんないんだよ! 名前くらいしか分かんないよ! ドアを開けるまで顔だって忘れてた。 ほら! 最低でしょ!」
僕の事を忘れている。そりゃ、そうだ。僕と零菜が出会ったのは去年だ。それから遊んだりしたのもたった半年間の付き合いだ。大切な友達の事も忘れてしまっているのだったら僕の事なんて覚えているはずがない。
「最低なんかじゃないって」
「親は大学辞めろっていうの! 先生は大学辞めないでほしいっていうの! 何で私の話誰も聞いてくれないの! 何で誰も私を分かってくれないの! 病気扱いしないでよ! 特別扱いしないでよ! 普通がいいよ……ご飯を食べて、学校に行って、友達と会って、笑って、遊んで、お風呂に入って、眠って、そんな風に過ごしたいよ!でも、もうできないよ! お腹が減らないの! 学校も今年で辞めるの! 友達もいなくなった! お風呂も倒れると危ないから入れないの! 怖くてまた何か忘れるんじゃないかって不安で眠れないの! 怖い怖い怖い怖い怖い! 怖いよ! うわぁぁああああああああああぁぁぁ!」
零菜は小さい体をさらに小さくするかのようにして僕の腕の中で泣き続けた。
半年間の付き合いしかけど、零菜の性格はある程度知っているつもりだ。零菜はきっと今まで周りに強い自分を見せてきたのだと思う。誰にも不安な自分を見せることが出来なくて、一人で苦しみ続けていたのだと思う。
そう思うと、零菜を抱きしめる腕に力が入った。
気づけなくてごめん。強がらせてごめん。もう、一人にさせないから。
零菜はしばらく泣き続けた。
そのまま一時間くらいが経って零菜は泣きやみ顔をあげた。僕の顔を見上げるようにして一度見た後離れようとしたので僕はもう一度抱きしめた。零菜も僕に腕を回していたが、また僕の顔を見て離れようとした。
「やだ?」
やっぱり僕が抱きしめても意味がないのかと思い僕は腕の力を緩めると零菜は首を振った。
「そんなことないよ。でも……」
「……悠翔君の服……鼻水でべとべと……」
「えっ!?」
急いで自分の服を見ると零菜が泣いていたところが濡れていた。零菜は申し訳なさそうに鼻をすすりながらティッシュで拭った。
「怒った?」
不安そうに聞いてくる零菜をもう一度強く抱きしめ、ティッシュで零菜の涙を拭いた。
「……あったかい」
「あったかいね」
「私達って友達だったんだよね」
「そうだよ」
「急に連絡してごめんね」
「ううん。嬉しかった」
「理由は分からないけど何故か気が付くと電話してたの。それでその日はすぐに切ったの。後でLINEを見返して付き合ったことがあったんだって知ったんだけど全然……覚えて……なくて」
また泣きそうになる零菜の背中をポンポンと叩き落ち着かせる。
「ほんと最低だよね。全部忘れちゃうなんて」
「そのことなんだけど、多分零菜は全部は忘れてないよ」
「何で何で?」
零菜はキスするんじゃなかってくらい顔を近づけた。僕は零菜の頭を優しく撫でると零菜は僕の方に顔を置いた。
「零菜はお客さん来たら飲み物何出す?」
「紅茶かな? 私紅茶好きなの」
「やっぱそうだよね」
僕は零菜の背中をポンと今度は一回叩き、先ほど出されたコップを指さす。
零菜はコップの中身を覗くとあっ! と何かに気づいた。
「紅茶じゃなくてココアだ」
「うん。何で紅茶じゃなくてココアを入れたの?」
「だって、悠翔君は紅茶はあんまり好きじゃない……から……? 悠翔君は………………甘いものが……好き……だよね? 悠翔君は甘いものが好きなの!」
「うん。合ってるよ」
零菜は今日初めて見せる笑顔で僕に抱きついた。何度も「悠翔君は甘いものが好き!」といいながら喜び続けた。
笑顔も、足をバタバタさせる様子も、顔をうずめる様子も、声も、香りも、温かさもすべてが懐かしかった。
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