第2話

大学に着いても気分は晴れなかった。

むしろ一層モヤがかかる。そんな気持ちのまま午後の講義が終わると、そんな私を見かねた友人が仕方なさそうに声をあげた。


「まだ悩んでるの?」

「ちょんちゃん…。」

「もう一日中暗い!そんな悩むんなら別れればいいのに。」

「簡単に言わないで。どんだけ頼み込んで付き合ってもらったか。」

「その時点で可笑しいからね。お分かりですか?木村有海さん。」


フルネームで呼ばれた自分の名前にため息をつく。

木村有海。19歳。いつかは金子有海になることを夢見てるけど。


「振られるのかな。」


そう呟いた言葉に、友人の千代子、通称ちょんちゃんは笑った。


「年上すぎるんだよ。10個上だっけ?」

「うん。」

「恋愛初心者の有海には少しハードル高いかな。」

「やっぱり?」

「抱いてもくれないんでしょ?」


痛い所をつかれる。返事をする代わりに机に突っ伏した。ちょんちゃんはそんな私に追い打ちをかける。


「彼氏の童貞でも奪えたら、有海の悩みも少しは緩和されるんでしょうけど。」

「‥‥彼氏の童貞?」

「そうでしょ?自分は抱いてもらえない上に、彼氏には忘れられない人がいる。」

「…。」

「なんか、可哀想。ねぇ、本当、別れたら?」

「…それ、いい。」

「え?」

「彼氏の童貞!それ、いい!」

「え?何言ってんの?」

「ちょんちゃん、最高のアドバイスありがとう!」


鞄を持って立ち上がる。

ちょんちゃんは私を見て、ぽかんと口を開けてるけど。


「過去に行く方法、調べてみる!」


元気にそう言い放った私に、ため息をつく。


「…ねぇ、本当に別れたら?彼氏のために。可哀想…彼女がこんなにアホで。」


その言葉を右から左に聞き流し、私は大学の奥深くにある実験室を目指す。

過去に行く方法があるとするなら、ここだ。


「失礼します!」


大きくドアを開けた私に、中に居た人は目を丸くして私を見つめた。


「えっと、木村さん…?」

「先輩。過去に行ける薬、ありませんか?」


我ながら、阿呆みたいな質問だ。挨拶もそこそこにそんなこと言う19歳はそう居るもんじゃないだろう。


先輩から言われる言葉は予想がつく。そんなもの“あるわけない”と。だけど、できることはしたい。そのうえで振られるなら、諦めもつく。


「なんで?」

「過去に行って、彼氏の童貞を貰いたくて。」

「彼氏の、童貞?」

「抱いてくれないから。」

「…君、バカなの?」


呆れたようにそういう先輩は、奥の戸棚から小さな小瓶を取り出した。


「…ない事もないけど。」

「え?」

「ただ、本当に行けるかは分からないよ?」

「いいです。」

「行けたとしても、君の希望する時代に行けるかも分からないし、帰ってこれるかも分からない。」

「わかりました。」

「本当にいいの?」

「このまま、何もしないで、いつか振られるかもしれないなら…。」

「…。」

「童貞くらい奪ってやらないと気が済まないです。」

「…本当にバカなんだ。」


先輩はそういうと、私に向かって小瓶を放りなげた。それを慌ててキャッチする。


「待ってて。帰る準備する。」

「はい。」

「何かあった時に、すぐ別のもの注射しないといけないから、今日は家に泊まってね。」

「わ!先輩の家久しぶりですね。鍋パしましょ。」

「お気楽だな、本当に。」


笑いながら先輩は白衣を脱いだ。


「彼氏に連絡しとかなくて平気?浮気だと思われたらそれこそ振られるよ?」

「あ、そうですね。嫉妬もしてくれないだろうけど、一応。」


スマホから、仁君の連絡先を出して発信ボタンを押す。

仕事中に連絡しても大丈夫かな?と、一瞬不安になったけれど、通話はすぐにつながった。


「あ、仁君?」

「どうしたの?」

「今日ね、先輩の家に泊まるから。」

「‥‥は?」


長い沈黙の後、機嫌の悪そうな仁君の声が聞こえた。


「先輩って誰?」


そして、続く不機嫌そうな声。


「あ、えっと‥この前鍋パした‥。」

「あの先輩、男性って言ってなかった?」

「え?うん…そうだけど。」

「はぁ…。」


ため息が聞こえて、思わず自分が悪い事でも言ってるのかという不安が襲う。


「どうしていいと思ったのかな?」

「え?」


しかし、いつもの声色に戻った仁君の声にほっとした。


「だめだよ。帰っておいで。」


優しい彼の声に、きゅんと心臓が鳴る。


「僕も早く帰るから。僕の家に居て。」


優しい言葉に、今日の悩みなんてどうでもよくなるから私はみんなが言うように“バカ”なんだろう。


「うん!」


元気に返事をして、電話を切るのを先輩は不思議そうに眺めていた。


「先輩すみません。やっぱり帰ります。」

「え?あ、うん。」

「それじゃ、失礼しました!」


ペコっとお辞儀をして、その場を後にする。


もう夕暮れになりかけた空はなぜか平穏な日常を感じさせて、仁君に早く会いたいという気持ちが強くなった。

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