第3話 ご誕生
身振り手振りを交えての熱演でした。熱演などとは、ご老人に失礼でした。しかしその話に皆さんが引き込まれていたのは確かでございました。ご老人が一息吐かれる度に、皆さんも一息吐くといった具合でした。
そしてお話が終わると同時に、ご老人と同じようにがっくりと肩を落とされたものでございます。まあ何にしろ、これで終わった、ご老人が退席されるものと、皆さん一様にほっとした表情を見せました。
が実は、これからだったのです。これからご老人の、哀しい物語りが始まっていくのでした。ふと気が付きますと、ご老人がさめざめと泣いておられました。最前列の貴子さんが「どうしました、大丈夫ですか? どなたかお家の方に連絡を入れましょうか?」と、声を掛けられました。と、かっと目を見開いて、怒ること怒ること。
「なに! 誰を呼ぶと言うんじゃ。妙子か、それとも小夜子を呼んでくれるとでも言うのか? おうよ、面白い。呼べるものなら呼んでみよ。おゝ、面白い。呼んでみよ!」
貴子さんも、唖然とされています。どんな気にさわるようなことを言ったのかと、思われているようです。
「いえそんな…あたしは、ただ…。ねえ、あんた。何とか言ってよ」。お隣に座られているご主人に助けを求められました。
「まあ、いいわ。皆さん、お騒がせして申し訳ありませなんだな。では、わたしの話を聞いて頂きましようかな。わたくしめと愛娘妙子との、それはそれは哀しいお話を」
穏やかな表情に戻られたご老人、静かな口調でございました。しかし皆さんはうんざりと言った表情でございます。
「たえこさん? さよこの法事と仰ってなかったかの」。どなたかがおっしゃられます。そう言えば、さよこと仰られました。しかしここでまた声をかければ、それこそ何を言いだされるか分かりません。やむなくご老人の話を聞くことになりました。
わたくしは、名前を梅村正夫と申しまして、生まれは石川県の田舎でございます。明治の終わりに、この世に生を受けました。十歳の折に上京しまして、和菓子店でお世話になりました。当時は住み込みの関係で、朝は午前四時から夜は午後九時頃まで働いておりました。
「二十年間辛抱したら暖簾分けをしてやる」
ご主人さまから有難い言葉を頂きまして、一生懸命働きました。わたくしが申しますのもおこごましいのでございますが、こまねずみのように働きましてございます。ですので、当初はチュー太と呼ばれておりました。
わたくしとしては有り難くない呼称でございますが、御主人さまの私に対する愛情だと受け止めております。が、その呼称も五年ほどののことでございました。実はお目出度いことに、御主人さまにお子様がお生まれになったのでございます。
ご夫婦になられましてから二十年近くが過ぎておられます。実のところ、もうお諦めになられていたとか。ですのでご誕生の日より三日の間、和菓子の大廉売を図られました。ご近所は言うに及ばず、他県からも、どっとお客様がお見えになりまして、大騒ぎでございました。
ハハ、失礼致しました。他県からと言うのは、ちと大袈裟でございますな。しかしお見えになられたのは確かなのでございます。お隣の大木さまが、ご縁者さまにお声をお掛けになられたからでございましたが。もっとも他県と申しましても、すぐお隣の町なのですがな。
「お前は、コウノトリじゃ。いや、ありがたいありがたい。もう、チュー太などとは呼べないね」
などと、過分なお褒めを頂きました。そして特別に一日のお休みを頂けました、更にはお小遣いまでも。とは申しましても、右も左も分からぬ土地でございます。どうしたものかと思案の挙句に、まだお嬢さまにお目にかかっていないわたくしでしたので、奥さまのご実家に行かせて頂きました。
奥さまに抱かれた赤子、それはそれはお美しいお嬢さまでございます。名を、小夜子とお付けになられました。そよ風の気持ち良い夜にお生まれになられたからとのございます。心地よい響きのお名前でございます。
奥さまはひと月ほどをご実家で過ごされましてから、お戻りになられました。その折の御主人さまのお喜びようときましたら、それはもうことの外でございました。夜の明ける前からお起きになられて、わたくしの仕事である掃除を始められたのでございます。寝坊をしてしまったのかと慌てましたのですが、「わたしが勝手にしたことだから」と、言ってくださいました。で、手分けして家中の大掃除でございます。年の終わりの大掃除以上に、あちこちを雑巾がけ致しましたですよ、はい。
奥様がお帰りになられたのは、もう昼時に近い頃でした。お店から奥の方までしっかりと磨き上げて、これ以上手を付けるところがございません。「こうなったら、隣の大木さん宅前でも掃きますかね」などと冗談とも本気ともつかぬ事をおっしゃられる始末で、危うくわたくしも「ではこれから」などと言いかける時でした。
「ただいま戻りました。長い間留守に致しまして、申し訳ありませんでした」
「おゝ、ご苦労さんだったね。さあさあ、疲れたろうに。うんうん、小夜子は眠っているのか。そうかいそうかい、いやほんとにありがたい。正夫、正夫。ほら、小夜子が来ましたよ。ありがとうな、ほんとうに。お前はコウノトリだよ、ほんとですよ」
破顔一笑とは、こういうご表情なのでしょう。わたくしまで、自然に笑みがこぼれましてございます、はい。
それはもうお幸せなご一家でございました。すくすくとお育ちになるお嬢さまは、まさしく観音さまでございました。
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