65


 ブルブル、ブルッという重いエンジンの響き、湧き上がるアスファルトの暑さ、吹きかけられる排ガス。


 あまりの息苦しさに、もう一度、気を失いそうになった。



 ……「午前8時14分、登校途中の神崎理沙は、交差点で信号無視の車にはねられて死ぬ」



 角の建物の時計が目に入った。

 8時13分。



 慌しい人の流れ、行き交う制服の群れ。


 向こうから見覚えのあるセーラー服が来る。少し太めの、短いスカートの。


 やはり茶髪の女の子が、一緒に歩いていた。

 2人は、にぎやかにおしゃべりしながら近づいてくる。


 「現代」のおねえちゃんは、友達より先に、歩道から降りた。

 交差点に入ろうとしている。



 ……「未来を変えるのは、お前だ」



 頭より、体が先に反応していた。

 圭太は交差点に飛び出していった。


 何も見えない。

 セーラー服のえりの、白いラインの他には。



 歩道の内側に倒れこんだ圭太たちの、顔をこするようにして、黒っぽいワゴン車が走り去っていった。



 時計の針は、8時14分を指していた。



「君、大丈夫か? 怪我はない?」

「そっちの女の子は?」

「なんて乱暴な運転なんだ」


集まってきた人々が、口々に騒いでいる。



「ありがとう」


 セーラー服の女の子が、半泣きの顔で、圭太を見た。


 それだけしか、言えなかった。


 わんわん泣きながら駆け寄ってきた友達が、圭太を押しのけた。おねえちゃんを、がっしりと抱きしめる。



 圭太は、はっとした。

「ここ、どこ?」


「君、大丈夫か?」

アタッシェケースを持ったサラリーマンが心配そうに聞く。

「どこか、ぶったか?」


「ぶってないよ。それより、ここは、どこ? 本町? 西町? 希望が丘は、どっち?」


「あっちだよ」

おじさんは指差した。



 圭太は走り出した。

 走って、走って、走った。


 でも、いくら走っても、見慣れた道は見えてこない。

 息が切れ、喉がからからだ。


 駄目だ。遅れちゃう。

 諦めることは、絶対出来ないのに。


 目の前が、ふうーっ、と暗くなった。




 「次は、お前の番だ」

 確かに、そう言う声を聴いた。




 1班に指名されて譲が着席すると、全員の目が、圭太に集まった。


 たった一人だけ突っ立っている、圭太に。

 最後まで、誰からも指名されなかった、圭太に。


 恐ろしいくらいの無言の時間が流れた。


 沈黙が肌に突き刺さって痛い。膝頭ががくがくと震えた。


 いっそ泣こうか。


 けれども、圭太は思った。


 ……モーモは一度だって泣かなかったに違いない。

 ……あれから、きっと。


 そして立派な恐竜になった。群の、リーダーになった。



 先生が、気まずそうに、咳払いした。


「えー、藤原圭太君は6班ということで。いいですね、6班さん」


 ぼそぼそと、いいです、という声があがった。



 圭太は、胸をそらせ、轟然と椅子に腰掛けた。



「じゃあ、席替えを」


 皆いっせいに立ち上がり、机と椅子を引きずって、自分の班の所へ移動し始めた。



「藤原には、友達がいないんだな」


 がたがたという音をつんざいて、ナツキの甲高い声が、教室に響き渡った。


 みんなの動きが止まった。



 圭太は、ゆっくりと目をあげた。


「それ、悪いこと?」

静かな声で、圭太は尋ねた。


「友達がいないって、悪いことなの?」


静かな声だった。けれど、その声は、クラス中に響き渡った。



 教室中が、しん、とした。


 マフラの吼える声が、時空を超えて響き渡ったような気がした。


 負けないよ。

 圭太は、轟然と胸をそらせた。







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