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 それは、素晴らしい経験であるはずだった。恐竜界のスター、ティラノサウルスの上に乗って、太古の世界を走るのは。


 でも実際は、圭太は、何も見ることができなかったし、何も聞いている余裕はなかった。


 ごうごうという風を切る音の他は。



 圭太は、両目をしっかりつぶり、体を低くして、無我夢中で、ダンの首の後ろにかじりついていた。ごつごつとした肌は、つかみどころがない。いつ振り落とされてもおかしくはなかった。


 その上、恐竜たちは、2本足で走っていた。バランスをとる為に大きな頭を、低く高く振りながら走る。



 圭太は、ただでさえ、乗り物酔いしやすい。すぐに、気持ちが悪くなってきた。


 まるでジェットコースターに乗っているようだ。それも、たかだか1分かそこらのアトラクションではなく、えんえんと続く、命懸けのジェットコースターに。




 「絶対つかまえるぞ。肉を、持って帰るんだ」


 風に乗って、ダンの声が流れてきたように思った。いや、それは、ダンの声ではなかった。ダンの首の後ろにしがみついている圭太に、ダンが、心の中で考えていることが、じかに、伝わってきたのだ。


 「自分は何日も食べていなくても、スーが考えていることは、おれたちの将来のことだ。狩りができないままでは、おれたちは、生き残れないから、だから、便利な道具に頼った。スーは、親に捨てられた俺とフォードを拾って、ここまで育ててくれた。守って、食わせてくれた。俺らの他に、チビどもも、たくさん、引き取っている。スーの期待に背くことはできない。断じて。俺は、肉を持って帰る。新鮮な肉を、たくさんたくさん、持って帰る」



 「スーが、好きなんだね。お母さんみたいに。お母さんよりも」

目を固く閉じたまま、圭太はつぶやいた。




 静かに、ダンが止まった。


 少しも息を切らさず、ゆっくりと、圭太と木の箱を降ろした。フォードの上から、おねえちゃんも降ろされた。



 圭太たちが降ろされたのは、ごつごつした大きな岩の上だった。2枚の岩が、ちょうど大型の恐竜がゆうゆうと通れるくらいの間を空けて並んでいる。



 「あそこを見ろ」


 フォードが、短い手で示した平地、カンガルーを巨大化したような恐竜たちがたくさんいた。のんびりとシダ植物を食べている。


 「イグアノドンだ」



 恐竜たちの手を見て、圭太にはすぐにわかった。親指が、上向きに、まるでスパイクのようになっているのだ。



 「そうだ。あの親指にだけは気をつけろ。尖っていて、突かれたら、大けがをする。だが、あとは、まるで身を守ることのできない、おとなしい植物食の恐竜だ」


 イグアノドンの大きな群れをじっと睨みながら、フォードが言った。


 「ここは、おあつらえ向けの場所だ。おれとフォードがこの、2枚の岩の間に、イグアノドンを一頭、追い込むから、君たちは、そいつを、なんとか、倒してほしい」


「スーのように?」


圭太が言った。ダンが、目を吊り上げた。


「スーのように。だが、スーは、優れたかりうどだ。本当に君らに、それが、できるのか?」


「命懸けだから」

圭太は言った。


 失敗すれば、自分達が、食べられてしまう。

 ダンは、ちょっとだけ笑った。


「できたら、君たちを食べたりは、したくない。毛だらけで、おいしそうじゃないし、あまり腹の足しになりそうもないから」



 フォードは、遠くのイグアノドンの群れをじっと見ている。

 低く、うなった。


「風の向きが変わった。ダン、行くぞ」



 岩の上の圭太とおねえちゃんは、ダンとフォードが、左手の林の中を大きく迂回して、イグアノドンの群れの後方に回り込むのが見えた。身を低くして、まるで這うように進んでいく。群れにみつからないようにだ。


 2頭は、うまく風下に入り込んでいた。イグアノドンの群れは、忍び寄る死の脅威に、まるで気がついていない。







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