35



 ふわり。

 ふわり。


 気持ちのいい、浮遊感。


 耳元にうるさく聞こえていた、風の音が、なくなった。

 圭太は恐る恐る、目を開いた。



「うわあ」



 滝の落下を、スピノサウルスは、無事、乗り越えていた。

 パラグライダーにいっぱい風をはらみ、青い水の上を、ゆっくりと流れていく。


 岸と岸の間を、川は蛇行していた。

 遠くで、首長竜が首を伸ばし、木の葉をむしり取っているのが見えた。


 その先に、青い水を満々とたたえた原っぱが見えた。



「海だ!」

「海!」


 圭太とおねえちゃんは同時に叫んだ。



 初めて見る海は、太陽の光を浴びて、一面に、きらきらと輝いていた。

 どこまでもどこまでも広がる、青い海原……。



 「すごい……」

思わず圭太は息を呑んだ。


 遠くから、確かに、潮の匂いがする。

 あまじょっぱい、どこか懐かしい、優しい匂いだ。




 「水面がぐんぐん近づいてくる!」

下を見て、おねえちゃんが叫んだ。


 水は、驚くほど澄んでいた。川底の小石までみえるようだ。


 「着水するよ!」

シレンが言った。


 静かに、優雅なほど静かに、スピノサウルスは、川面に降り立った。






 そこは、汽水域だった。

 川から流れ込む真水と、海の塩水が混ざり合う場所だ。


 「ここまで来たら、もう大丈夫。案内してくれて、ありがとう」

 体からパラグライダーを外すと、シレンは言った。


「でも、ひとりぼっちでしょ?」


 まだ、友達に会えていない。

 お母さんにも。


 圭太は心配でならない。



「大丈夫だよ。僕が、ほら……」



 鼻を膨らませ、頬いっぱいに空気を溜めてた。

 ゆっくりとそれを、口から吐き出す。


 ぶぉーーーーーっ。


 細く長く。

 けれど、はっきりと。

 まるで、船の汽笛のような響きだった。


 ぶぉー――――っ。


 同じ音が、遠くから聞こえた。


「仲間だ!」

嬉しそうにシレンは言う。

「お別れだね、小さなお友達。君らのことは忘れないよ」



 「ドウグドウグ! ベンリ ナ ドウグ!」


 不意に耳元で声がして、圭太は飛び上がった。

 カイバだった。



「迎えに来ました!」

頭上から、縄梯子が下りてくる。


 いつの間にか、スーパーおろち号が、空に浮かんでいた。

 圭太とおねえちゃんは、縄梯子にしがみついた。



「ドウグドウグ!」

相変わらず、カイバが連呼している。


「あの、シレン? パラグライダー、買う?」


 言ってしまってから、我ながら変な言い方だと、圭太は思った。

 シレンは、笑い出した。


「僕はもう、二度と、滝下りはしないつもりだよ! お母さんや他の大人たちにも、滝のことを教えるつもりだ。道具はいらない。だって仲間たちは、産卵場所を変えるだろうから」


「そうだよね……」



「シッパイカ? マタ、シッパイ?」

しつこく、カイバがつぶやいている。

「ケイタ、オネエチャン、クワレルカ?」



 そうだ。

 仕事に失敗したら、恐竜に食べられちゃうんだった。


 魚を食べるスピノサウルスだ。今の圭太くらいの小動物なら、簡単に食べてしまうことができるだろう。



「うへえ」

 おねえちゃんが首をすくめた。


「食べたりしないよ!」


 シレンが答えた。

 ものすごく、憤慨した声だ。


「だって君らは、僕を見捨てなかった。逃げようと思えば、逃げられたのにね! 言ったろ。君らは僕の友達だ。恐竜は、友達を食べたりしない」


「シレン……」

縄梯子にしがみついたまま、おねえちゃんがすすり泣いている。

「あんた、かっこいい。お別れするのが辛いわ……」


「僕が本当にかっこいいのはね、」

シレンが笑った。

「水の中を泳ぐときなんだよ!」



 ぶぉーーーーーーーっ。


 遠くの水平線から、再び、シレンを呼ぶ声が聞こえた。



「さあ、もう行かなくちゃ。見ててね!」


 そういうと、ざぶんと、水に潜った。


 縄梯子にしっかりつかまったまま、圭太とおねえちゃんは、足元に目を凝らした。


 海中を泳ぐ、スピノサウルスの全形が見えた。


 尾をゆったりと、くねらせている。右に左に、オールで水を掻きわけているようだ。


 背びれは、波打つように、動いていた。ついさっきまで、圭太とおねえちゃんがしがみついていた突起だ。まるで、水中を漂う、帆のようだった。船が海中を航行するとしたら、こんな風に、優美に、帆を立てているに違いない。


 僅かに首を曲げ、前足で水をよけるようにかいて、シレンは、方向を変えた。後ろ足の力は、完全に抜けていた。


 余計な力は一切使わず、漂うように泳いでいく。

 ゆらゆらと、スピノサウルスは、海底深く、消えていった。








◇:*:☆:*:◇:*:☆:*:◇:*:☆:*:◇:*:☆:*:◇


 スピノサウルスについては、2020年4月、ほぼ完全な尻尾が発見されました。これにより、水中生活をしていた、という説が、有力候補として浮上しました。しかし、この化石がスピノサウルスのものだという確たる証拠はなく、水中生活説は、未だ、決定打ではないようです。


 なお、サケのように、川を遡上して産卵する、というのは、私の想像です。


 この先の発見や研究によって、このお話は、根底から覆されるかもしれません。

 その時には、別のわくわくとともに書き直そうと思っています。



 もしかして。

 このお話は、スピノサウルス水棲説に基づく、世界で初めてのお話かもしれませんね!







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