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 「ごめんよ。君の仲間、のびちゃったみたい」


 申し訳なさそうに、シレンと名乗ったスピノサウルスは謝った。


 スピノサウルス、と聞いた瞬間から、圭太は、心のどこかで、安心していた。


 この恐竜は、魚を主食としている。

 だから、圭太もおねえちゃんも、食べられる心配はない。



 普通、肉食竜の歯は、ナイフのような形をしている。この場合、歯を横に切ってみると、断面は、楕円形になる。


 ところが、スピノサウルスの歯は、ナイフというより、たけのこのような形だ。断面は、円い。


 これは、肉食であっても、魚を食べていたからだろうと言われている。



 また、普通の肉食竜は、歯の横に、ぎざぎざの鋭い突起が並んでいる。もちろん、獲物の肉を、容易に引き裂く為だ。だが、スピノサウルスには、その鋸の歯のような突起がない。


 積極的に獲物に襲い掛かっていたのではない証拠だ。

 陸の上では。

 魚の他には、せいぜい、水辺に寄ってきた小動物を食べるくらいで……、


 あれ?

 僕って今、随分小さい……。



「だいじょうぶだよ。君らを食べたりなんかしないから」

 うっすらとスピノサウルス……シレンは笑った。


「君らに、仕事を頼みたい。だから、呼んだんだ」



 ぶるぶるぶる。

 おねえちゃんの体が震えた。

 「仕事」と聞いて、目を覚ましたらしい。


「ハッピーだいちゃん♡ は、迅速第一。素早い対応が、お客さんに好評です」


 まだ半分、寝ぼけたような声で、おねえちゃんが宣伝する。

 圭太が尋ねる。


「それで、君の依頼って?」


「うん。海まで連れて行ってほしいんだ」


「海!」


 今度こそ本当に、おねえちゃんも目を覚ましたようだ。


「……どうしよう、おねえちゃん。僕、海へ行く道なんて、知らない」


 こそこそと、圭太は囁いた。

 国道○号線とかが、あるといいのだけれど。


「馬鹿ね。海と言ったら、川下よ! 川に沿って、流れていけばいいのよ」


「えっ! だってそれ、いつ、海に着くかわからないよ?」


 そんなにも長い時間、恐竜がおとなしくついてくるだろうか。


「大丈夫よ。この川、随分大きいから。川幅も広いし。海が近い証拠よ」


 ちょっとだけ、圭太はおねえちゃんを見直した。

 知らない川で水遊びするような無謀な人だけど、案外、観察力があるんだ。


「おばあちゃんの家が、海の近くだったのよ!」


 尊敬のまなざしを浴びて、おねえちゃんは、まんざらでもなさそうだ。



 スピノサウルスのシレンは注意深く、2人の会話を聞いていた。


「連れて行ってくれるんだね、海!」


 嬉しそうに、背中の大きな突起をはためかす。

 まるで、船の帆のようだ。


 思わず圭太はつぶやいた。


「やっぱり君らは、水棲だったんだね?」


「本当はね。海で暮らしているんだよ」


 シレンは嬉しそうだ。



 スピノサウルスには、まだ、謎が多い。

 最近になって、水の中で暮らしていた、という説が出てきたばかりだ。


 ……まさか、海で暮らしていたなんて。

 ……でも。


 かねがね圭太は、疑問に思っていた。


 スピノサウルスは、大きな恐竜だ。いくらジュラ紀の川が大きくたって、仲間と一緒に遊ぶには、狭すぎるんじゃないかな。

 川の魚だって、あっという間に食べつくしちゃうだろう。


 ……そうか。海にいたのか。


 海なら、大丈夫だ。

 「現代」には、巨大なシロナガスクジラだって、生き残っているじゃないか!



「なるほど。海か!」


「何一人で感心しているのよ!」


 おねえちゃんが、圭太をこづいた。さっきと違って、すごく、不機嫌そうだ。

 圭太は何とか、自分の感動を、おねえちゃんに伝えようとした。


「あのね、おねえちゃん。僕達は今、世紀の大発見をしたんだよ! スピノサウルスは、海で暮らしている、ってね!」


「そのスピノが、なぜ、川にいるのよ?」

 意地悪く突っかかってくる。


 答えたのは、シレンだった。

「それはね。お母さん達が、川で僕らを、産卵したからだよ」


「まるでシャケじゃん!」

おねえちゃんがつぶやいた。


「シャケ?」


「食べるとおいしいの」


「君が食べるの? ぼくが君らを食べるのではなくて?」



「あの、シレン君。食べる話は止めようよ」

なんだか危険を感じ、圭太は遮った。


「それで、君のおかあさんは?」


「とっくに海へ帰ったよ。また次の産卵まで来ないと思う」


 サケシャケは、川に帰って卵を産むと、力を使い果たして死んでしまう。


 けれど、魚より遥かに大きい恐竜は、何度も産卵する体力があるに違いない。


 ……そうか。だから、スピノサウルスの化石は、少ないんだ。


 圭太は思った。


 スピノサウルスの親は、産卵が終わるとさっさと海へ帰ってしまう。

 残された子どもたちも、海へ向かう。


 もちろん、中には、不幸にも死んでしまう子もいるだろう。けれど、子どもの骨は、後世に残りにくい。






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