31
「ごめんよ。君の仲間、のびちゃったみたい」
申し訳なさそうに、シレンと名乗ったスピノサウルスは謝った。
スピノサウルス、と聞いた瞬間から、圭太は、心のどこかで、安心していた。
この恐竜は、魚を主食としている。
だから、圭太もおねえちゃんも、食べられる心配はない。
普通、肉食竜の歯は、ナイフのような形をしている。この場合、歯を横に切ってみると、断面は、楕円形になる。
ところが、スピノサウルスの歯は、ナイフというより、たけのこのような形だ。断面は、円い。
これは、肉食であっても、魚を食べていたからだろうと言われている。
また、普通の肉食竜は、歯の横に、ぎざぎざの鋭い突起が並んでいる。もちろん、獲物の肉を、容易に引き裂く為だ。だが、スピノサウルスには、その鋸の歯のような突起がない。
積極的に獲物に襲い掛かっていたのではない証拠だ。
陸の上では。
魚の他には、せいぜい、水辺に寄ってきた小動物を食べるくらいで……、
あれ?
僕って今、随分小さい……。
「だいじょうぶだよ。君らを食べたりなんかしないから」
うっすらとスピノサウルス……シレンは笑った。
「君らに、仕事を頼みたい。だから、呼んだんだ」
ぶるぶるぶる。
おねえちゃんの体が震えた。
「仕事」と聞いて、目を覚ましたらしい。
「ハッピーだいちゃん♡ は、迅速第一。素早い対応が、お客さんに好評です」
まだ半分、寝ぼけたような声で、おねえちゃんが宣伝する。
圭太が尋ねる。
「それで、君の依頼って?」
「うん。海まで連れて行ってほしいんだ」
「海!」
今度こそ本当に、おねえちゃんも目を覚ましたようだ。
「……どうしよう、おねえちゃん。僕、海へ行く道なんて、知らない」
こそこそと、圭太は囁いた。
国道○号線とかが、あるといいのだけれど。
「馬鹿ね。海と言ったら、川下よ! 川に沿って、流れていけばいいのよ」
「えっ! だってそれ、いつ、海に着くかわからないよ?」
そんなにも長い時間、恐竜がおとなしくついてくるだろうか。
「大丈夫よ。この川、随分大きいから。川幅も広いし。海が近い証拠よ」
ちょっとだけ、圭太はおねえちゃんを見直した。
知らない川で水遊びするような無謀な人だけど、案外、観察力があるんだ。
「おばあちゃんの家が、海の近くだったのよ!」
尊敬のまなざしを浴びて、おねえちゃんは、まんざらでもなさそうだ。
スピノサウルスのシレンは注意深く、2人の会話を聞いていた。
「連れて行ってくれるんだね、海!」
嬉しそうに、背中の大きな突起をはためかす。
まるで、船の帆のようだ。
思わず圭太はつぶやいた。
「やっぱり君らは、水棲だったんだね?」
「本当はね。海で暮らしているんだよ」
シレンは嬉しそうだ。
スピノサウルスには、まだ、謎が多い。
最近になって、水の中で暮らしていた、という説が出てきたばかりだ。
……まさか、海で暮らしていたなんて。
……でも。
かねがね圭太は、疑問に思っていた。
スピノサウルスは、大きな恐竜だ。いくらジュラ紀の川が大きくたって、仲間と一緒に遊ぶには、狭すぎるんじゃないかな。
川の魚だって、あっという間に食べつくしちゃうだろう。
……そうか。海にいたのか。
海なら、大丈夫だ。
「現代」には、巨大なシロナガスクジラだって、生き残っているじゃないか!
「なるほど。海か!」
「何一人で感心しているのよ!」
おねえちゃんが、圭太をこづいた。さっきと違って、すごく、不機嫌そうだ。
圭太は何とか、自分の感動を、おねえちゃんに伝えようとした。
「あのね、おねえちゃん。僕達は今、世紀の大発見をしたんだよ! スピノサウルスは、海で暮らしている、ってね!」
「そのスピノが、なぜ、川にいるのよ?」
意地悪く突っかかってくる。
答えたのは、シレンだった。
「それはね。お母さん達が、川で僕らを、産卵したからだよ」
「まるでシャケじゃん!」
おねえちゃんがつぶやいた。
「シャケ?」
「食べるとおいしいの」
「君が食べるの? ぼくが君らを食べるのではなくて?」
「あの、シレン君。食べる話は止めようよ」
なんだか危険を感じ、圭太は遮った。
「それで、君のおかあさんは?」
「とっくに海へ帰ったよ。また次の産卵まで来ないと思う」
けれど、魚より遥かに大きい恐竜は、何度も産卵する体力があるに違いない。
……そうか。だから、スピノサウルスの化石は、少ないんだ。
圭太は思った。
スピノサウルスの親は、産卵が終わるとさっさと海へ帰ってしまう。
残された子どもたちも、海へ向かう。
もちろん、中には、不幸にも死んでしまう子もいるだろう。けれど、子どもの骨は、後世に残りにくい。
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