圭太をひきずりこむと、扉が、ぷしゅーっと音を立てて閉まった。


 ……扉?


 鉄の扉だ。

 多分。



 さっきまでの風と轟音が嘘のように、辺りは静まり返っている。

 そして圭太は、自分が、電車の中にいることに気がついた。車両と車両の間、デッキの部分に。


 圭太の目の前には、長さ10センチくらいの奇妙な物体が、ふわふわ浮いていた。尖った顔をしていて、腹の辺りが、ふくらんでいる。それに、何だかひからびているみたい。


「きっ、君が、僕を助けてくれたの?」

 だってほかに、誰もいない。


 そいつは、首をかしげただけだった。


 そのまま、圭太の顔の辺りまで浮かび上がった。ふにゅふにゅと、手のようなものが生えているのに、圭太は気がついた。


 まさか、この手で、圭太を引き上げた? 自分の何十倍もの大きさの?

 さすがにそれは、ありえない。



 その手は、圭太の方に向かって、伸ばされていた。


 「キップ、キップ」

甲高い、かすれたような声で、急かすように言う。


 ……キップ。

 ……切符!


 反射的に圭太は、着ていたヤッケのポケットを探った。折り曲げられた切符がそこにあった。


 生き物は、両手で抱えるようにして、切符を受け取った。



 「なにが起きたの?」

ようやく口がきけるようになって、かすれた声で、圭太は叫んだ。

「ここはどこ? クラスのみんなはどうなっちゃったの?」


「スーパーオロチ、スーパーオロチ」

甲高い声で、答える。


 咄嗟に、圭太は、切符に書かれていた文字を思い出した。



   特急スーパーおろち乗車券

   4月8日 午前10時 

   希望が丘発 タイコ行き

   特等席禁煙車輛 A―1番



 4月8日は、今日だ。そして今は、10時をとっくにすぎている。


 ということは、ここは、「スーパーおろち」号の車内?


 「スーパーおろち号」って、いったい……?

 「タイコ」って、どこ?  僕はどこへ連れて行かれるのだろう?



 干からびた生き物は、ふうっと浮かび上がった。


「ツイテクル、ツイテクル」


 言いながら、ゆっくりと、移動し始めたので、圭太は、ついていくことにした。



 生き物は、電車の進行方向に向かってふわふわ浮いて行く。その後をついて、圭太は、何両もの車両を通り過ぎていった。


 速度はゆっくりだったので、車両のなかをじっくり見ることができた。


 どの車両も、座席はふかふかした感じの高級そうなものだった。頭のところは、ぱりっとした白いカバーで覆われている。あそこに座ってくつろいだら、どんなに気持ちがいいだろう。座席と座席の間も広々としていて、圭太くらいの身長だったら、楽々足をのばして昼寝ができそうだ。


 すてきな電車だった。それなのに、どの席も空席ばかり。乗客が一人もいない。



 窓の外を見慣れた景色が流れていく。


 市役所。

 健康センター。

 圭太の好きなパン屋さん……。


 午前中の日の光の中で、町は、とてものどかだ。


 ……もう少し先に、図書館がある。


 けれど、図書館の手間で、不意に、外は真っ暗になってしまった。

 トンネルに入ったのだ。


 ……トンネル?

 こんなところに、トンネルがあったっけ?



 電車の中は、明るい電灯が灯っていた。

 急に、歩きにくくなった。


 どうやら、前方に、上り傾斜したようだ。


 でも、圭太の前の生き物は、おかまいなしだ。それどころか、スピードアップして、前へ進んでいく。


 ……こいつは、空中に浮いているから、上り坂になったって、関係ないだな。


 でも、圭太は大変だ。だって結構な傾斜なのだ。90度の上り坂? いやまさか。でも、それに近いと思う。


 「ちょっと待ってよ」


 圭太は、通路両側の座席の手すりにつかまった。後ろに引き戻されないように、懸命に体を支える。


 一生懸命、謎の生き物の後を追った。






 何両の車両を通り過ぎたろう。


 デッキの先には、革張りの、一段と豪華なドアがあった。

 革張りのドアなんて、圭太は初めて見た。いったいどういう、ぜいたくだろう。


 謎の生き物が前に浮かぶと、そのドアは、ぷしゅーっと、音を立てて開いた。目の前には、急な階段があった。電車の中だから、人ひとりがやっと通れるくらいの幅だ。


 小さな生き物に導かれるままに、階段をあがる。その先には、もうひとつ、今度は、すごく複雑な彫刻の、木のドアがあった。まるでどこかのお城のドアみたいだ。


 ドアは、圭太の目の前で、すうーっと開いた。


「うわ……」

 中に足を踏み入れて、圭太は、目を見張った。


 天井には、大きなシャンデリアが重そうにゆれている。壁は白く、立体的で、美しい花の模様が浮き出ている。


 そこは、「スーパーおろち号」の先頭車両、2階席だった。


 青く、ふかふかした感じのソファーが置かれていた。きっとトランポリンができるに違いないと、圭太は思った。


 そのソファーには、先客がいた。

 女の人が、くるっと圭太の方を、振り返った。


「あんたも、連れ込まれたのね」


 茶色い髪、みみたぶにきらっと光るピアス、目の上が青っぽくて、唇が異様にでかく見える化粧……。


「何見てんのよ、ここに来て座りなよ」


 ちょっと怖かったけど、圭太は、女の人の隣に行った。


 女の人は、小学1年生の女の子だってはかないような短いスカートのセーラー服を着ていた。ぶっとい足には、白いルーズソックスをまとわりつかせている。


 ひょっとして、中学生? 


 「連れ込まれただなんて、変な事言わないで欲しいですね」


 青いソファーの前には、丈の低いガラスのテーブルが置かれていた。そのテーブルを挟んで差し向かいに、もうひとつ、ソファーが置かれている。


 そこから、がらがらした声が聞こえて、圭太はびっくりした。


 誰もいないと思っていた対面のソファーに、白い蛇がいたのだ。話しかけてきたのは、その蛇だった。



「圭太君、”スーパーおろち”へようこそ。そして、太古の世界へ」


「えっ、僕? えっ、えっ、えっ?」


 蛇がしゃべった!

 驚きで、圭太が目を白黒させていると、突然、目の前がさーっと明るくなった。トンネルから抜けたのだ。



 「あーーーーーっ!」


 叫んだのは、圭太だけではなかった。隣のお姉さんも、一緒になって金切り声を張り上げている。


 だって、町が、目の下にあったのだもの。

 線路が急坂となってもりあがり、突然、切れた。


 スーパーおろち号は、空を飛んでいた。





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