☆人間やめます



 十八歳になると、肉体を捨てて魂という名の気体になるか、朽ち果てるまで所持しつづけるかを、選べるようになっている。去年世界政府から発表されたデータでは、男性五十四%、女性五十三%の人間が、肉体を捨てることを選択したらしい。ちなみに世界法で定められているので、抗うことはできない。環境汚染による食料の減少、それに反比例するように増えつづける人口に対し、地球規模で施行された政策なのだ。いつからそうなったのかなんて僕は知らない。だいいち、学校でもそんなことはひと言も教えてもらえないのである。僕の両親はどちらも肉体を捨てているのだが、気体として漂っているときに出会って結婚し、そして僕が生まれた。僕には肉体があるけれど、仕組みは不明だ。やはり誰も教えてくれないからだ。


 早生まれの僕は、十八歳の誕生日を迎える前日、気体友達二人と肉体所持友達二人を呼び集め、ネット会議をした。最近は気体に色を着ける技術が発明されたので、だいぶコミュニケーションが取りやすくなっている。一人はショッキングピンク、もう一人は白地に金色のメッシュを入れていた。どちらも生前の二人が好んで身につけていた色だ。彼らは言った。


「見た目で判断されない社会は超楽勝。おかげで一流企業の秘書室で毎日昼寝してるよ」「焦るととんでもない失敗をする俺には顔色がばれないことは大変ありがたいね。おかげで公務員になれたよ」


 家族も大喜びさ、と飛んで回って見せるのだ。社会にでて働くことに不安しかない僕は、二人が仕事ありきで話すことが面白くなかった。僕は彼らを呼び出した理由を置き去りにして言った。


「そもそも論、なぜ気体になってまで働かなくてはいけないんだろうね。そんなこと肉体所持者にだけ任せておけばいいのに」


 ハッとして口をふさいだが遅かった。すっかり気分を害した肉体所持友達二人が、モニターの向こう側で顔を真っ赤にして激高していた。


「君には俺たちが肉体を持ち続けることを選んだ理由なんてわからないだろう」「話しても無意味だし、もう友達だと思わないでくれ」


 呼び止めても、結局みんな次々と通信を切ってしまった。本当は、両方の立場から、彼らが満足しているのか後悔しているのか訊ねたかったのだが、連絡してもきっと有益な返答は得られないだろう。僕は途方に暮れ、一週間前に届いたプランニングデータを表示させた。


 川のせせらぎに日の光が射し、バックミュージックに小鳥の鳴き声が流れている映像に、「あなたは十八歳ですか?」というテロップが重なる。YESを選択すると、遷移した次画面から今後の生き方についての説明が始まる。何度見ても実感がわかないのは、しょせんマニュアル通りに作られたものでしかないからなのだろうか。そして沸き上がる感情はいつも同じだ。なぜ僕たちはたった十五分の映像で、いわば死ぬか生きるかという大切なことを決めなくてはいけないのかと。それを横暴だと感じている人間は、他にいないのだろうか。だとしたら僕は、こんな世界なんていらない。気づいたら僕は、両親の目を盗んで家を飛び出していた。地球にいる以上、逃げても絶対に見つけられてしまうことはわかっていたけれど、僕は衝動を抑えられなかったのだ。


 行くあてもなくさまよい、結局僕は子供のころさんざん遊んだ都市公園にやってきていた。もうすぐ日が暮れる。おなかもすいてきた。夜まで家に戻らなかったら失踪届がだされて僕は捜索されることになる。そのあとどうなるか、僕は知っている。いやおうなくもっともつらい労働を強いられ、一生、太陽の光を見ることなく死んでいくのだそうだ。もしそうなったらきっと両親は悲しむだろう。泣いている姿なんて一回も見たことがないし見ることなんてそもそも不可能なんだけれど、ショックで死んでしまうかもしれない。いや、死んでいるのだから逆に生き返るのかもしれない。かといって彼らの肉体が戻ってくることなんて絶対にないのだが。


 やがて無邪気に遊んでいた子供たちもみんな家に帰ってしまった。迷っているだけで一歩も動けないでいる僕の前に、スカイブルーの気体が現れたのはそんなときのことだ。


「どうしたんだい、君」


 声から、中年のおじさんであることがわかる。僕が黙っていると、おじさんはつづけた。「もしかして、旅立ちの前日かい?」


 別に隠す必要もないだろうと僕ははっきり答える。


「そうです。おじさんは気体歴何年ですか?」


 おじさんは僕の隣に来てベンチに座った。


「かれこれ四十年かな。あともう少しで定年なんだ」


「そうなんですか。おつかれさまです」


「ありがとう。役に立てていたのかどうかわからないけれどね。点数をつけるのは私ではなく周囲の人だから」


 僕はあいまいに笑ってから、どうせ二度と会うこともないだろうとやぶれかぶれで訊ねた。


「おじさんが気体になることを選択したのはなぜですか?」


「なぜだったかな。忘れてしまったな」


「そうですか」


 確かに四十年も前に考えたことを覚えているのは難しいのかもしれない。僕ががっかりすると、おじさんはくるくるとその場で複雑に回り、言った。


「代わりに気体になったメリットの話をしよう。このとおり、身軽であることはもちろん、病気知らずだし、望めば結婚することもできる。毎朝髪をセットしなくていいしスーツもいらない。雨が降っても傘をささなくていい」


「身近なことばかりですね」


「それが大人の日常だからね。さてここからはデメリットの話だ」と、おじさんは声に神妙な雰囲気を漂わせる。「私たちには感情がない。喜びも悲しみも味わうことができない。あるのは無機質なうわべだけの愛だ」


「それはどういう意味なんですか?」


「すべては地球上の生命を次につなぐため人工的に作られたシステムだということさ。私たちは肉体という媒体を失った時点で死んでしまった。その事実はなにも変わらないんだよ」


「ごめんなさい。難しくてよくわかりません」


「ハハハ、そうだね。じゃあ別の視点から語ろう。私たち人間は地球寿命を伸ばすために情報操作され、人口を半分にされているのさ。それに気づいた大人たちは、既にたくさんこの世の中に存在している。さてこの事実をどうとらえ利用するのかは君次第だ」


 僕の胸のなかには、熱い思いがうずまいていた。僕は顔を上げ、おじさんに向かってまっすぐに言った。


「おじさんありがとう。僕、決心がつきました。さようなら」


「さよなら、元気でな」


 僕は走り出した。この世界の誤ったシステムを破壊するために。





END

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