第12話 赤い少女
更新です
マイフェアロリ()登場
―――
■
【『理想世界』】
理想に最も近い場所で、彼らの執念が渦巻いた。
暗雲よりもなお暗い、赤黒く滲んだ怨嗟の色。
『環境系:―――未踏破―――』
・理想を我が手に
ただそれだけを求める醜悪なる彼らの意思。
いつしか募り募った重厚なる悪意は、本来有り得ないはずの現象を引き起こす。
ぎぢぎぢと。
世界が、歪む。
景色にヒビが入る。
黒いモヤのようなものが伸びて、そのヒビを叩きつけた。
何度も、何度も、何度も、何度も。
そしてついには、世界が、砕け散る。
穴が、空いた。
空中にぽかりと。
空間にぽっかりと。
四方八方どこから見ても、穏やかな光の溢れる穴。
角度を変えればその向こうの景色は変わるが、どれも同じように、穏やかな光に包まれた静かな森が広がっている。
彼らは迷わず、押し合うようにしてその穴を目指した―――
そんな所で時が止まる。
【物語の分岐点に到達しました。】
『理想世界』
*『環境系:―――未踏破―――』の討滅
*『環境系:―――未踏破―――』の侵入を許さない
ちょうど『追憶の欠片』が浮かんでいたのと同じ辺りに浮かぶ穴。
その周囲、山頂のみが時の歩みを許されていた。
時間の止まった空間で、穴を目指して伸びていた煙のような闇を見る。
どう見ても物理攻撃の効かなさそうなその姿に、レインは顔を顰めた。
環境系ミストと、戦えというらしい。
そもそも実体すらない相手と戦うというのは、流石に想定していなかった。
せめてもう少しまともに情報を読んでおけばと後悔してみるものの、そこに意味はなかった。
やれやれとため息をつき、それからレインは覚悟を決める。
負けたところでさして問題がある訳でもない。
もっとも近い闇に向けて、レインは時間の境界を踏み抜いた。
そして物語が始まる。
「っ、そがぁ!」
眼前に迫る闇を殴り飛ばす。
想定よりも遥かに重い手応えをミストでぶちまければ、闇は呆気なく散って消えた。
しかし闇はなおも色濃く周囲を囲んでいる。
ぐるりと素早く周囲を見回せば、レインになど目もくれず穴を目指す闇がある。
即座に突貫してすんでのところで殴り飛ばす。
振り向けば四方から穴を狙う闇。
いらだちと共に駆けつけ片っ端から消し飛ばす。
それから、さすがにこれは穴の周囲を固めた方がいいと確信し、向かってくる闇を迎え撃つという形にシフトする。どうやら穴はレインが触れても素通りするだけのようで、移動にあたって不都合はない。
もはや狙いをつけることは二の次、どのみち四方八方から来るそれを網羅することなどレインにはできないからと、飛び跳ねるように動き回りながら遮二無二拳を振るう振るう。
やがて闇から、どろりと山肌にこぼれ落ちる闇色の雫。
自然を汚し殺し尽くしたそれらは、みるみる形を成した。
それは、辛うじて人型と、そう呼べなくもない姿をしている。
異様なまでに足が短く、上半身からはいくつもの手と頭が生えている。
個体によって、腕の一部が大剣のようなものと癒着していたり、腕の先が大きな球体となっていたりと、なにやら形が異なっていた。
そんな怪物は口々に怨嗟の声を上げながら、のそりのそりと山頂へ向かってきた。
「ちっ」
舌を打ちながら、迫る触手を払い除ける。
そこへ到達する怪物。
ある一体が、その口を大きくかっぴらき、次の瞬間闇色の液体を撒き散らしながらなにかがレイン目掛けて飛翔する。それを間一髪のところで回避し、しかし次の瞬間ほかの個体から同じように吐き出されたものを回避できず腹に受ける。
ぞぶり、と。
レインの腹を貫通する、歪な槍。
じくじくと、傷の周りが痺れとともに黒く腐敗してゆく。
慌ててそれを抜き出せばどろりとその場に落ち、じゅわぁと蒸発して消えた。
腹を押えるレインの口から、ごぼり、と、闇色の液体が吐き出された。
視界が黒く滲む。
レインの全身の血管が黒々と染まっていた。
「……ちっ」
ばぢゅっ。
■
《Tips》
『プレイヤーの死亡』
・プレイヤーが死亡した場合は、最寄りの『追憶の欠片』、またはなんからの理由で別で設定されたリスポーン地点に復帰する。物語の中で喪失した場合では、物語によってはリスポーンして継続ということも可能だが、その時点で失敗となって元の世界に戻されてしまう場合もある。ちなみに、死亡の際の感覚に関しては設定からかなり大幅に変更可能となっている。もっとも軽度なものだと、致死ダメージを受ける、死亡演出に入るというその瞬間に暗転する。
■
全身が血管から弾け飛ぶ感触。
一体全人類の何割が経験したことがあるのだろうか全く疑問なそんな感触に、レインは顔をしかめる。
ちなみにレインは、似たような経験をしたことがないでもない。
そのときは内臓から膨れ破れるような形だったが、似たようなものだろう。
どっちにしてもあまり心地よいものではないと、レインはひとつ息を吐いた。
完膚なきまでの、敗北だった。
まあそんなに甘くないかと思いつつ、ふとレインは、周囲にプレイヤーの姿が見えないことに気がつく。
そしてなんとなく、空気が、暖かいような―――
「そこのおまえ―――レイン」
「……」
後ろから呼びかける声。
名前まで明確に呼ばれれば、完全に無視をするというのにも一瞬ためらいが生まれる。
その一瞬の隙をつくように、声の主はレインの前に回り込んだ。
そこに居たのは、少女。
真紅のロングドレスを身に纏う、髪から瞳まで赤い少女。
小学校に通っていてもおかしくはない幼げな容姿をしていながら、腕を組み犬歯を剥き出して笑う堂々たる佇まいに少しだけ脳が混乱する。
その赤い少女の名は、レッド=クリムゾン。
だから初めレインは、その名前が赤く染っていることをまったく自然なことと捉えた。
なにせ、なるほどと頷く他ないほどに、極めて
とはいえ、さすがに一瞬で気がつく。
そのプレイヤーは、PKなのだ。
レインの社交性のなさに、警戒が混じる。
「そう
黙って睨みつけるレインに、レッドは両手を広げて笑う。
そんな仕草が、なんともレインの苛立ちを誘う。
なにより口調が若干シズクっぽいのが腹立たしかった。
「付き合ってる暇ないから」
「そうかい。ま、知ったこっちゃねえ―――『
さらりと言って、笑う。
向けられるのは、ぴんと揃った人差し指と中指。
太陽の音と裏腹に、背筋を震わせる悪寒。
想起するのは、あのPKのこと。
だからレインはなにひとつ言葉を返すことなく、なにひとつ反応をすることなく、ただ冷めた目を、彼女に向けていた。
「は?」
唖然とするレッドの顔が、消える。
炎。
煌々と輝る、非自然的な真紅だけの炎。
一息すら焼き付くし身を包んだ超高熱。
そうしてレインはあっさりと死んだ。
当然、リスポーン地点はすぐそこである。
リスポーンしたレインは、足元に落ちていた硬貨をしれっと拾い、そしてなにごともなかったかのようにレッドへと視線を向ける。
「で?」
無関心以外有り得ない、酷く冷めきった視線。
レッドはそんなレインにぱちくりと瞬き、それから―――笑った。
「くはっ!そうきたかよ。なるほどそうか。そりゃそうだ」
堪えられないとばかりに、なんとも楽しげに笑う。
レインは理解できないとばかりに眉根をひそめ、なんにせよもうどうでもいいかと視線を切った。
「―――ならよお、手伝ってやるよ、おまえのそれ」
「……要らないし」
ほんの一瞬の静止、次の瞬間には吐き捨てたレインは、いらだたしげにウィンドウを操作する。
リトライ。
光に包まれるレインを、レッドの笑い声が見送った。
それからレインが戻ってくるのは、ほんの数分後のことだった。
当然、リ、エラー。
全て分かっていたとばかりににやにや笑って待ち受けていたレッドに、レインは舌を打つ。
「手伝ってやってもいいぜ?」
「うるさい」
リリトライ。
リリエラー。
「今ならバトル一回でこのオレ様を使い放題だ」
「死ね」
リリリトライ。
リリリエラー。
「今の暴言通報したら警告くらうぜー?」
「は?すれば?」
リリリリトライ。
リリリリエラー。
「オレ様のミストが使えそうだってことくらい分かってんだろぉ」
「要らないし」
リリリリリトライ。
リリリリリエラー。
「どうだ、そろそろオレ様が欲しくなってきただろ?」
「もうクリア目前だから」
リリリリリリトライ。
リリリリリリエラー。
「ちなみに小型の群れまだまだ序盤だからな」
「は?ほん……っ」
リリリリリリリトライ。
リリリリリリリエラー。
「やれやれ、オレ様がいれば一瞬でクリアなのによぉ」
「ちっ」
「おっ?オレ様とやる気になったか?」
「別に……あんたがそこまでやりたいならやってあげてもいい」
「ああやりてぇ。なんせそのつもりで来たんだからな」
「……」
人に助力を乞うという行為が心底嫌すぎるレインが、精神的優位性を確保するためのくだらない言い分。
それをレッドにあっさり笑い飛ばされ、レインは自分が酷くガキっぽく感じられた。
今からでも拒絶してやろうかと思うその眼前に、フレンド申請のウィンドウが飛んでくる。
「……」
それを払い除けようとして、ためらう。
パーティで十分だろうとそれを拒絶することは、レインからすれば極めて理にかなったことだ。
実際、フレンドにならなくとも一緒に物語はプレイできる。
視線を上げれば、レッドはわくわくとした様子で手元のウィンドウを操作し、今度はパーティ申請を飛ばしてくるところだった。
並ぶふたつのウィンドウ。
はく、と空気を噛む。
レインの手が、ととん、と流れるようにウィンドウをタップする。
(別に、どっちでもいいし)
ただの気まぐれ。
ウィンドウが並んでいて、普通に受諾する方が指の流れが自然だから。
そんな理由によるもので、大した意味などそこにはない。
「んじゃ早速行くか」
「は?……ちっ」
(先に戦うんじゃないんだ……)
どうせ先に戦えなどと言ってくるに決まっていると、そんなふうにおもっていたレインである。
そうでないと約束を反故にされるかもしれないと、レインならそう思うし、なんなら思っている。
ここまできて用が済んだらさようなら、というつもりはレインにはなかったものの、あくまで強気に先手を奪ってやろうというくらいは決意していた。
それが、まるで当然とばかりに、レッドはレインを優先した。
レインが裏切るなどと、欠片も疑ってないみたいに。
「準備はいいか?」
「聞くまでもないし」
「最高」
殴りつけるようにウィンドウを叩き、笑う。
そんなレッドから、レインはふいと顔を背けた。
■
《Tips》
『リトライアンドリエラー』
・トライアンドエラー→リトライアンドリエラー。当然リエラー(reerror)などというものは英単語として存在していない。もちろん、レラー(rerror)になったところで同じ。
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