応援コメント

15 小説のテーマのはなし」への応援コメント

  • かっぱの彼方さん、確かに『友情』と『晩酌』イコール『ほっこり』( ´ ▽ ` )

    個人的には最後にびっくりしたので『どんでん返し』もアリかな。でもテーマではないですよね。ネタバレになっちゃう。

    私の好きな推理小説はワトソン役の書き手による一人称が主体ですが、途中で切り替わりますね。ちゃんと間に『章』で分けてありますが、一瞬戸惑います。

    web小説で見た物では、章の名前が語り手の名前になっている物もありました。誰々視点だけど話は進んで行く感じですね。何人称と呼ぶのか?

    職場のあれこれ読みたかったです^_^

    作者からの返信

    かっぱの雰囲気出てますでしょうか(*´∀`)
    そして、どんでん返しも情報として入れたいですねぇ。
    ネタバレになっちゃう部分もありますが、映画の宣伝でも「ラスト10分にあなたは驚愕する」とか謳っちゃったりしてますし。

    視点の移動は、読者さんが違和感や錯誤なく読み取れるようにしないと、読書を楽しめなくなっちゃいますよね。
    その辺りをどうするか、歴代の作家さんたちも試行錯誤を重ねてこられたと思います。
    それだけにいろいろなパターンがあって、とても把握しきれそうにないです。
    調べる分には、新しい発見があって楽しいんですが。

    職場のはなしは……いつか笑い話になったら聞いてください(笑)


  • 編集済

    微妙に不幸だけど、「いい感じで終わったね」みたいなのを、ビターエンドって言うと誰かが言ってました。

    テーマについては、タグというくくりというか、筆者が一番見てほしいところ、もっと言えば、『作者のアピールポイント』として、140文字(ツイートスケール)以下で作品に貼り付けられるような形式はどうでしょう。
    つまり、仕分けに使うのではなく、仕分けた後にそこを見て読者が最終判断できる仕組みというか……。
    でないと確かに自由項目過ぎる気もします。


    三人称小説中の一人称部分って、私は個人的にそれも三人称だと思ってます。
    例えば、
    『 湯の満ちた浴槽にとっぷりと漬かりながら、天井をぼんやりと眺めた井上は言葉を失った。一角にイモリが張り付いているのである。
     どこから入り込んだのか。ひょっとして俺があの時開けた穴から入ってきたのか。彼がとっさに思ったことはそれだった。 』

    こういう文章があったとして、これは彼が思案していることであって、それを『彼が思った』という三人称の文章が受けています。もし『彼がとっさに~』の一文が消えても、それはその部分を省略しただけで、三人称が受けている思案の部分であることには変わりません。
    ……というリクツは、世の中に通用しないんでしょうかね。
    自粛警察のような方に「それは作法がなってない」と言われてしまいそうですが、わたしは普通に使っているし、プロの作品でも普通に見受けられますけど、認めない人は認めないのかな……。

    逆に一人称で描かれた小説も、
    『 俺は沖田の振り下ろした刀に反応した。死ぬだろ、アブネーな。天誅食らわしたるわ。
    毒づきながら剣を抜き身構える。沖田は剣尖を突きつけたまま、局長近藤へと合図をした。 』

    これって、三人称的文章が入ってますが、それでも混同とは言わないんじゃないかと……。
    というか、これを混同というのなら、世の中の一人称作品は混同しなければ書けないんじゃないかとすら思いますけど、どうでしょうか。

    個人的には主人公が己視点で書かれてるものはあくまで一人称。そうでないものはあくまで三人称なのでは、と。
    上記二例の混同?を見比べれば、どっちがどっちというわけでもなくなるのですが、己視点で書かれているものと一度突き放してかかれたものは、個人的には、まったく雰囲気が異なります。(浅田次郎作品は個人的には"一度突き放しているので"三人称です。あれはあくまでセリフです(物語があのセリフの部分だけで完結しているのなら一人称です(あくまで主観))。
    というか、自粛警察(比喩)が彼の作品をどういうのかを聞いてみたいですね)

    三人称~~視点みたいな細かい分類はいりませんが、己の目から書かれている作品か全体を俯瞰された作品かくらいは分けてもらえたらなぁとは思いますね。技術的な部分は筆者側の都合なので置いておいたとしても、雰囲気の違いは読者の好みに関係するじゃないかなと……。
    世間はそこは興味の外でしょうか。書いていて、だんだん「そんなに意地を張る場所でもないな」と思えてきました(笑)

    作者からの返信

    >ビターエンド
    要る? 要る? 欲しい? 加える?
    ハピエンとメリバの間ぐらい?
    そうすると、ベターエンド(まあ、こんなもんだよね、と感じる結末)とかもあり?
    それとも、ハッピーエンドとバッドエンドを“すべて”じゃなくて“80%ぐらい”の幸不幸とかに定義しとけば事足りる?
    あるいは、結末に関しては、「100%ハッピーエンド保証」と「非保証」と「うやむや」の3タイプでいける気がしてきました。

    >テーマについて
    ジャンルの部分で切り捨てた、「恋愛小説」「青春小説」などの分類をここで拾おうとしてるだけなんですわ、実は。姑息ですいませんね。
    『作者のアピールポイント』も分類とは別につけてもいいかもしれないですが、作品外での作品補足はツマランとも思います。
    キャッチコピーとかでいいのでは?

    >三人称小説中の一人称部分って、私は個人的にそれも三人称だと思ってます。
    たぶん世間的にもそうだと思います。
    その人称は、文法上の人称の話で、小説の人称はあくまで視点のありかを指すので、文法としての人称が一人称か二人称か三人称かは直に関係しないはずです。

    >個人的には主人公が己視点で書かれてるものはあくまで一人称。そうでないものはあくまで三人称なのでは、と。
    世間的にもそうで間違いないと思います。
    で、問題は、その視点自体が(だいたい場面や章ごとに)切り替わる小説、です。
    まあ、これをタブー視する人は、けっこう多いんでないかな、と感じますが。文学史なんか考えると、普通にアリなんですよね。
    その辺の話は、関係ないので置いておきますが。

    浅田次郎は三人称……なるほど。すごい納得というか、すっきりしました。
    第三者の台詞を地の文にしているだけだから、三人称小説。確かに。それだ!

    >三人称~~視点みたいな細かい分類はいりません
    ok!
    ちょっとほっとしました。
    いや、でも、重要って人もいるかもなので、様子見ですね。
    >雰囲気の違いは読者の好みに関係するじゃないかなと……。
    一人称小説と二人称小説と三人称小説、または混合小説。そのぐらいの分類はしておけば、まあなにかの役には立つでしょうね。

    昨今のweb小説は、一人称小説に偏っていて、一般文芸は三人称小説に偏ってきました。
    それゆえでしょうか、webでは一人称じゃないと読まれない、なんて極端な意見を目にすることもあります。が。
    本当にそうでしょうか?
    読者は小説を選ぶ際に人称を基準にするんでしょうか?
    読みやすさは人称に関係するんでしょうか?
    たぶん、それは、別に人称の問題じゃあないよ。と常々思うたかぱしです。