第13話 連合

 首都高速を高井戸で降りると、すぐに久我山の屋敷についた。

 車から降りると見事な庭が目の前に広がる。一面に芝生が広がり、洋館の近くは花壇が囲むように設置されている。青々とした緑の中で黄色いバラが夕日に照らされ、鮮やかに輝いている。手前の花が咲いてない花壇はつつじのようだ。冬はこちらが咲き乱れ、屋敷の前を薄紅色に染める。

 屋敷と芝生を取り囲むようにユリノキ、桜、ハナミズキと様々な庭木が植えられている。中木に交じって、一本だけひときわ背の高い楠にはツノがいる。

 都会の住宅地の一角にこれほどの敷地を持つこの屋敷は、主の財力と権勢の大きさを示している。

 屋敷に目を向けると、三角屋根の見事なチューダー様式の洋館が現れる。玄関の上にはバルコニーが張り出し、石柱が支えている。


 明良は一人で待っている綾香が心配で玄関に走り寄る。

 ドアを開けると意外な人物がそこにいた。

「少弐智成!」

「おう、無事に帰って来たか」

 智成の横には唐木田礼美がいる。

「どうしてお前がここにいるんだ」

「お前とは何だ! 俺はお前と同じ高校の三年生だぞ」

「くっ」

 智成に一喝されて、明良は唇を噛みしめる。

「ちょうど明良が出て行った後に智成君が挨拶に来たので、綾香が一人になるから、私がいてくれるように頼んだんだよ」

 背後でやっと追いついてきたコーマが答えた。

「えっ?」

 明良は智成がここにいる意外な理由に、少しばかり混乱した。

 そんな明良を見て、智成は楽しそうに笑っている。


 リビングに全員で集まり、これからを協議することにした。

「コーマ、橋本さんの話をする前に、一つ聞きたい。少弐家のねらいと、智成先輩と礼美さんがここにいる理由を説明してください」

 明良はまだこの事態が飲み込めてない。

 これからの戦いに備えて、敵味方の区別をはっきりとさせておきたかった。

「俺が説明しよう」

 智成が自ら説明役を買って出た。


「説明の前に、とって付けたように、先輩とか、さんとかつけなくていい。俺は智成、こいつは礼美と呼んでくれ。俺も明良、樹希と呼ぶ」

 呼び方などどうでもいいと思い、明良は素早く頷いた。

「知っての通り、我が少弐家は大陸との交易が経済的な柱と成っている。素目羅義の爺さんが言ってる鎖国などとんでもない! これが合理的な面での目的だ」

「合理的な面? 他にも目的があるのか」

 智成は明良の疑問に、今日一番のまじめな表情を見せた。

「俺はな、あの爺が嫌いなんだ。どうも顔が嫌いみたいだ。だから嫌がらせも入っている」

――嫌がらせ?

 よっぽど間の抜けた顔をしてしまったのか、隣の樹希が思わず噴き出した。

 樹希だけじゃない。コーマや綾香も笑いを堪えている。あのいつも厳格なセバスチャン迄、笑いを堪えて顔が引きつっていた。

 が、当の本人の智成は大まじめな顔をしている。


 大爆笑になる一歩手前で、場は何とか治まり、少しだけ憮然としながら、明良は言った。

「目的は分かった」

 途端に樹希がまた笑い始める。明良をそれを無視して言葉を続けた。

「それが目的なら、反素目羅義の代表である里見に行くべきではないのか? なぜ北条なんだ?」

「里見は素目羅義との争いに政治を巻き込んでいる。九家の争いは九家だけで行うべきだ」

 後頭部を思いっきり殴られたような気がした。

 明良自身、零士はやりすぎだと感じていたが、一方で勝つためには仕方ないと、自分を納得させていた。

 だが、智成は違うらしい。拘りがあるのだ。

 どちらが正しいとは、明良は言えない。智成はどこまでも高く続く絶壁だ。方や零士は裾野が広い高峰だ。言えることは、どちらもクライマーを魅了するが、その頂に立つことは難しい。


「悩むことはないよ。明良は自分が進むべき道を自分で見つければいい。私に遠慮をする必要もない」

 ある意味突き放したコーマの言葉だった。まだ中学を卒業したばかりの明良に、自分で判断することを強いている。

「言っておくが別に里見と敵対しようと思っているわけでない。我々は我々のやり方でやるというだけで、目的は同じだ。ここにも共に戦って欲しいと、お願いに来たわけではないぞ」

「では、なぜ来たのですか?」

「友達に成りに来たのだよ。コーマ殿はもちろん、明良と樹希は同じ学校だ。友達に成るのは普通ではないか」


――友達か……

 自分の器の小ささに明良は愕然とした。

 家の存亡がかかった戦いを前に、何の見返りを求めることなく、胸の内を晒す懐の大きさと行動の大胆さは、いずれも明良に欠けてるものであった。

「焦ることはない。君はこれからだよ」

 コーマが明良の心の内を察して、気を使ってくれた。

 樹希は何のことか分からず、両者の間で視線を揺らしている。

 樹希には今自分が感じた劣等感を気づかれてないと分かり、明良は少しだけホッとした。


「ねぇ、前置きはもういいでしょう。 そのおじさんがどうしたのか早く教えてよ。九家が出て来たんでしょう。」

「こら、礼美。コーマ殿の前で失礼だぞ」

 さすがに智成が礼美をたしなめた。

 樹希、綾香、そしてこの礼美と、女性の神樹は曲者が多い。

 だが橋本のためには、早くこれからについて話した方がいい。


「失礼しました。では、橋本さんの話を始めます」

 明良は、公園通りで橋本を救った後で武田綜馬に襲われたが、コーマの助けを借りてなんとか退けたこと。帰りの車で橋本自身から聞いた、狙われる理由を説明した。

 智成はため息をついた。

「それで、橋本さんのご家族はどうした?」

「里見に保護を依頼した。もうすぐ零士がここに連れてくるはずだ」

 依頼人であるコーマが明良に代わって答えた。

「綜馬の爺さんが出て来たとなると油断ならぬな」

「私、あいつ嫌い。爺のくせになんかエロイんだよね」

 綜馬の名を聞いて、礼美が顔をしかめて嫌悪を示した。

「私も嫌い! さっき抱き寄せられて匂いをかがれて、すごく気持ち悪かった」

 樹希も同調する。この二人気が合いそうだ。

「犀の防御力は凄いからな。噂では拳銃の弾も効かぬと聞く」

「外部からの攻撃は何をやってもダメだろう。ただ、思念干渉で内部から攻撃する手段はある。そうだろう明良」

「ええ、サキヨミと組み合わせれば、理論上は可能です。ただ、筋肉じゃなくて内臓へ影響を与えるとなると、相当熟練しないと難しいと思います」


「コーマ様、里見様が橋本様のご家族を連れて、お越しになりました」

 セバスチャンの報告を聞いて、橋本が飛び上がるようにして立ち上がった。

「無事だったか、良かった。では綾香、橋本さんと一緒に出迎えてくれ」

「はい」

 綾香が立ち上がって玄関に向かう。まだ四か月だが、元々細身なのでお腹に膨らみを感じる。

 もう一人、守らなければならない人がいる。明良は使命感で武者震いした。


 橋本が奥さんと娘を連れてリビングに入ってきた。明良と樹希が席を立って、三人がけのロングソファに座らせる。

 零士は相変わらずエネルギッシュだった。

「コーマ、武田とやり合ったんだってな。絶対防御はどうだった。やはり固いのか?」

「まだ、さわりしか見せてないという感じか。だが明良の投げが決まったがノーダメージだった」

「やはり体の内部にダメージを与えるしかないか。明良できるか?」

 零士は対九家の戦い方を、普段から頭に描いていたのだろう。さすがだと感じながら、明良は頷いた。

――今はできなくても、必ずできるように成ってやる。


「あの、主人がお世話になったみたいで申し訳ありません」

 橋本の奥さんがおずおずと礼を言った。私生活も優雅そうな橋本に対し、意外なことに地味で控えめな感じの女性だった。

「ありがとう」

 橋本の娘もたどたどしい口調でお礼を言った後に、ぴょこんと頭を下げる。

「家族まで世話を掛けてしまって本当に申し訳ない」

 自ら招いたことから、家族まで危険に晒してしまった男は、なりふり構わず頭を下げる。

「頭を上げてください。我々もいつかは対決しなければならなかった相手です。橋本さんはきっかけに過ぎない。ただ私個人としては奥さんと娘さんに会って、あなたには何としても生き抜いて欲しいと思いました」

「そうですよ。橋本さんが元気を出さないと。根性見せてください」

 樹希がいつものように強い口調で、橋本を元気づける。

「さあ、部屋を用意しましたから、奥さんと娘さんと一緒に少し休んでください」

 綾香が立ち上がって三人を先導した。セバスチャンが荷物を持って後に続く。


「どうやって橋本さんを救うか話す前に、お二人の意向を確認したい」

 コーマが零士と智成の二人の腹の内を訊いた。九家の者が相手でも、信頼を礎にしてことを為そうとするコーマのスタイルは変わらない。

「コーマ殿、我々二人の意志は固まっています。コーマ殿と共に戦いましょう。あの親子を見て、その思いはますます強くなりました」

 智成は当然と言わんばかりの顔で、味方につくことを宣言した。その隣で礼美が満足そうに笑っている。

「相手の黒幕が佐川というのは確かなんだな」

 零士は意志を示す前に、相手について確認した。

「そうだ。今のところ佐川官房長官が相手側のトップだ。ただ、この件が公に成れば、内閣が倒れる可能性が高い。依田総理が敵に回る可能性はあるぞ」

「うーん」

 零士は悩んでいた。防衛大臣、法務大臣、経済産業大臣など、現内閣の中に零士とつながる者は多い。

「時が来たということだな。いずれは依田総理には退場してもらおうと考えていた。これを機会に今こそ立つべきと思う。俺もこちらにつく」

 零士は元々さっぱりとした男だ。いったん決めた彼の顔に迷いはなかった。


「では明良から、対応策を話してください」

「相手は、怨恨で橋本さんを狙っているわけではないので、橋本さんが持っている情報を、取り消しできない形で世間に公表してしまえば、話は終わると思います」

「問題は発表の仕方だな」

 零士はさすがにこの手の話になると反応が早い。

「発表の仕方は大まかに考えて三通りあります。一つ目はインターネットによる資料の公開です。これは手っ取り早いですが真偽が問われやすいので、発表後にうやむやにされる可能性は否定できません。二つ目は検察の手に委ねて司法の手に委ねる方法です。こちらは裁判による決着に成るので、問題の長期化が懸念されます。最後はマスコミを使った発表です。インターネットとの併用も考えられますが、問題点は多々あります」

「橋本さんがこの話を秘匿するという条件で、佐川側と和解する方法は難しいかな?」

 念のためにとコーマが和解案を確認した。

「それは無理だろう。あの人種はリスクが残ることを最も嫌う。検察に目をつけられ、一度は取引に応じた以上、既にあの男はリスク認定されたと思った方がいい。和解したと思って暮らし始めた途端に、事故死の形で葬られる」

 零士は和解案を即座に否定した。

「なるほど、なんとも業の深いことだな」

 コーマはある程度零士の答えは予想していたのだろう。それほど落胆する様子でもなかった。

「では、三つの発表案以外に何か打ち手はないかお聞きします」

「依田総理の敵対勢力に情報を流す手もあるが、適当な勢力がないな。与党内は次を狙おうと思っても、今依田に敢えて敵対行動を取ろうと考える者はいない。野党はこの件で持って与党に代わって政権を取れそうな人がいない。せいぜい活動してますとアピールするためのせせこましい行動で終わるだろう」

「そうですね。そこは僕も考えましたが、効果ないと判断しました」

「一強政治の弊害だな」

 零士は残念そうだ。理想を実現するためには、与党内に食い込んでいくしか手がない閉塞感に、辟易としているのだ。


「俺はインターネットはあまり好きじゃない。自分は陰に隠れて好き勝手に批判する姿勢がどうも馴染めない」

 智成はどこまでも智成らしい。

「確かにそういう面もあるけど、それは使う人の問題だ。ツールとして考えたとき、本来つながりのない意志が、手軽に触れ合える点では革命的だと思うよ」

「明良の言う通り手軽だが、智成のような考え方も根強く存在し、効果としてはパンチに欠けるきらいはあるな。現実世界でプラスワンを加えて、初めて有効打と成りえると考えた方がいいだろう」

 今日の零士は頼りになる。さすがにこの手の話に成ると経験が違う。

「では、司法とマスコミについてだな」

「現時点では司法に引き渡すには気が熟してないように思う。あくまでも感覚だけど」

「ねぇ、検察が持ち掛けた話なのに、どうして橋本さんが襲われたとき、警察の護衛がついてなかったの?」

 樹希はそこが納得がいかないという顔をして、得意の質問をした。

「樹希ちゃん、そこに目をつけるのは鋭いよ。護衛の問題もそうだが、もっと大事なのは司法取引を持ち掛けて、橋本が承諾したことが漏れてることだ。考えられることは一つだけ、検察も一枚岩ではないということだ」

「官房長官の息が掛かっている人間が検察にいる。しかも司法取引を持ち掛けたチームにスパイとして潜り込んでいるということですか?」

「そうだ、あの世界では普通のことだけどな」

「やっぱり、俺は政治関係はすかん」


「では、マスコミに流して、次にインターネットで公表という手順をとる、ということでいいですね」

 成り行きを見守っていたコーマが決をとった。

「異議なし」

 明良と零士が賛同し、智成は言葉には出さず、頷いて意思表明した。

「じゃあ俺の方で、どのマスコミにリークするか任せてもらおう」

 零士がマスコミ対応を引き受けてくれた。

「それでは、ネット系への流し方は僕が受け持ちます」

 これは自分以外に適役がいないと最初から明良は思っている。

「ところで、九家の手は当然この屋敷に及んでくるだろう。いつ来ると思う?」

 智成の問いかけに明良はコーマと目を合わせた。

「今夜!」

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