第5話 約束
零士は駅までの道を外れ、国道沿いにある駐車場付きの喫茶店に乗り付けた。
席に着くと、すぐにウェイトレスが注文を取りに来る。零士はコーヒーを注文し、樹希は杏里紗が勧めるアフタヌーンティセットを頼んだ。紅茶に小さなスィートが三種類選べるセットだ。
「君の名前を教えてくれるか。俺は里見零士、杏里紗とは渋谷で知り合った友達だ」
「緒川樹希です。里見さんは何をしてるんですか?」
「サービス業かな。飲食店の経営や各種イベントの企画運営といったところだ」
「どこか会社に勤めてるんですか?」
「里見興業という会社を経営している」
「もしかして社長さんですか」
「一応な。ところで君は杏里紗と友達なんだろう」
友達? 今日初めて一緒に帰った仲だ。
困った顔をしていると、零士がにやりとして言った。
「喧嘩していて、やっと仲直りしたと言ったところかな?」
「どうしてそう思うんですか?」
「今、困った顔をしたのと、杏里紗は君のことをずっと緒川さんと呼んでいる。決め手は、杏里紗の我儘への対処がぎこちなく、最終的に従っている。長い付き合いなら、もう少しスムーズに断れるはずだ。まったく知らない男の車に乗るなど、少しまともな神経なら警戒するだろうからな」
「そういうもんなの」
杏里紗が不思議そうな顔で訊いてくる。
「杏里紗、お前も本当の友達が欲しいなら、我儘もほどほどにしないとな。今だってただ乗って欲しいと言うんじゃなくて、俺の素性や自分との関係を説明しないと、不安で乗れやしないさ。それでもダメな時はきちんと我慢するんだ」
「分かったわ」
「いい子だ」
樹希は素直な杏里紗の態度にびっくりした。それは恋愛というよりも、敬愛と呼ぶのが相応しいように感じた。
「じゃあ緒川さん、これからあなたのことを樹希と呼んでいい? 私のことは杏里紗でいいわ」
「分かったわ、杏里紗」
「ありがとう、樹希」
名前で呼び合う、たったそれだけの行為だが、二人の距離がぐっと縮まった気がした。
「仲良くなったことを祝して、俺の主催するパーティに一緒に来ないか?」
「パーティですか?」
大人のパーティなんて、結婚式以外行ったことがない樹希は、行くとも行かないとも返事ができない。
「ああ、中学生だとアルコールは飲めないが、華やかな世界に接することは今後の君たちのキャリアに損はないと思うよ」
「行きたい!」
杏里紗は即答して、促すように樹希を見る。
「樹希ちゃんはどうする?」
そのときの零士の目を見て、樹希は吸い込まれそうな感覚がした。
「行きます」
「良かった。後で招待状を杏里紗に送っておく。ところで、杏里紗のパートナーは俺でいいとして、樹希ちゃんは誰かパートナーとして、呼びたい人はいるのかい」
「いません」
頭の片隅に明良の顔が思い浮かんだが、慌てて消した。
「戸鞠君を誘えばいいじゃない」
杏里紗が樹希の頭の中を見たかのように明良の名をあげた。
「えっ、ダメだよ。そういう関りは嫌いだよ。きっと」
前に明良に言われた干渉されるのが嫌いだ、という言葉を思い出した。
「そんなことないって、戸鞠君は絶対樹希のことを気にかけてるよ」
杏里紗の言葉に確証がないことは分かっているのに、樹希の心臓は急にテンポを速め始めた。
「戸鞠君っていうのは、どんな男の子なのかな」
零士が興味深そうに訊いて来る。
「二学期から転校してきたんだけど、成績も断トツで学年トップだし、喧嘩も強い。それにとってもクールで、おまけにイケメンだよ」
対立していたはずの杏里紗が明良を絶賛する。もしかしたら杏里紗は明良のことが好きに成ったのかと思うと、更に心臓のテンポが速まった。
黙っている樹希に零士が提案した。
「じゃあ、樹希ちゃんのパートナーは俺が成るから、杏里紗がその戸鞠君を誘ってみろよ」
途端に樹希の心がカッと燃えた。
「いえ、私が誘います」
そう言い切った樹希を、零士と杏里紗がニヤニヤしながら見ていた。
恥ずかしい――樹希は耳まで赤く染めた。
「じゃあ、樹希ちゃんにお任せしよう」
零士の言葉に、樹希は力強く頷いた。
またダメだった――今日は朝から休憩時間になる度に、明良に話しかける機会を窺うが、なかなか近づけない。
明良は特にいつもと変わらず、休憩時間はタブレットを見ているだけだが、いざ話しかけるために近寄ろうとすると、樹希の方が意識しすぎてしまい、なかなか足が前に進まない。逡巡を繰り返すうちに休憩時間が終わってしまう。
そうこうしているうちに、ついに昼休みになってしまった。明良はいつものように持参したサンドイッチを食べながらタブレットを見ている。明良のサンドイッチはなかなか凝っている。挟んでいる食材も工夫を凝らしてそうだ。明良が食べるのをぼんやり見ているうちに、樹希はアイディアが閃いて席を立った。
「ねぇ、いつもサンドイッチだけど、よっぽど好きなのね」
明良は誰だと言わんばかりの顔をして、タブレットから目を離し顔を上げた。
「ああ、君か。そうだね。サンドイッチだと、片手で食べれるから」
「そのサンドイッチ、凄い凝ってるわよね。お母さんが料理上手なのかしら」
「食べる」
明良は質問には答えず、サンドイッチの一切れを差し出した。
「ありがとう」
手に取って食べてみると、とてつもなく美味だった。薄切りのハムとチーズが、絶妙のハーモニーを奏でながら口の中に広がり、レタスのシャキシャキ感がアクセントを与えている。
「すごい、ホテルのサンドイッチみたい」
「もっと食べる?」
「悪いよ」
「いいよ、もうお腹いっぱいだから」
樹希は明良の好意に甘えて、もう一切れいただいた。いささか図々しいかなと思ったが、その美味しさが羞恥心を打ち負かした。
「もう凄い、薄ーくジャムも塗ってるんだね」
「結構工夫してるよね」
明良は目を細めて、夢中で食べている樹希を見ている。
「僕に何か用かい?」
食べるのに夢中になって、本来の目的を忘れていることに、樹希は気づいた。
「何で?」
「今日は朝から何度も僕の方を見てたでしょう」
気づかれていた――そう思うと、いきなり顔が熱くなった。
「あのう……お願いがあるんだけど」
「何?」
「友達のパーティが週末にあって、それに一緒に出て欲しいんだけど……」
「友達って誰?」
「杏里紗の友達」
「杏里紗!」
明良がいきなり声を殺して笑い出した。
「まったく君たちは、まさしく昨日は敵は今日の友だね、ククク――」
明良が笑うのを止めないので、樹希は腹が立って来た。
「何よ、仲良くすることはいいことじゃない」
怒ってはみたものの、自分でもこの展開は呆れるばかりだ。
「まあ、いいけど。その杏里紗の友達ってのはどういう人なの?」
まだ、目は笑っている。もう樹希はかまわず続けた。
「すごいお金持ちみたいなの。名前は里美零士、里見興業っていう、飲食業やイベントの企画をやっている会社の社長さん」
「里見興業……」
明良の顔が真剣になった。目つきも鋭くなっている。
「どうしたの?」
「いや、ところで里美零士の前で僕の名前を出した?」
「私は言ってないよ。でもパーティに誘われたとき、パートナーが必要だって言われて、杏里紗が戸鞠君がいいんじゃないって」
「杏里紗が口にしたのか……」
「里見さんは知り合いなの?」
「直接会ったことはない。でも僕の周りで知らない者はいないよ」
「それって、どういう人なの?」
「里見興業は、日本のサービス業の裏の支配者である、里美グループの新興企業で、最も勢いがある会社だ。里美零士は里美グループのNo2なんだよ」
「すごい人なの」
「例えば日本の芸能界は、里美グループによって支配されてると思っていい。だからテレビ局や芸能系のマスコミは、ほぼ支配下にあると思っていい」
「……」
あのとき会った人がそんなすごい人とはとても思えなかった。気さくで親しみやすいお兄さんって感じだったのに……
「いいよ、君と一緒にそのパーティに出よう」
「いいの?」
「大丈夫だ。おそらく僕が行かないと意味がなさそうだからね」
「どうして?」
「まあ、今説明しても分からないと思う。時間もないし。そろそろ先生が来るよ。後でまた詳しく教えてくれ」
里美グループのことは気に成ったが、明良が一緒に行ってくれると言ってくれたことで、樹希の心はふわふわ浮いていた。
杏里紗と視線が交錯した。杏里紗はこれ以上ないという晴れやかな顔で笑いかけてきた。その笑いに乾いた感じがして、樹希は少しだけ不安が過った。
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