第百二十七話 迷宮の秘湯
唐沢と木瀬君も魔物に襲われていたが、物陰に隠れて射撃する方法で対処しており、接近して粘液を被ることは避けていた。
「やはり決定打がないのが我々の欠点だな……神崎、世話をかけたな」
「ああ、でも二人の攻撃は効いてたよ。カエルの体力が多いだけで」
「弱点を狙うことも意識しなくてはいけないな。僕のスキルではまだ精度が低い」
『フォースレイクロス』でクロックトードの2体目を倒し、今度は魔石を一つ見つけた。そしてカエル自体を見ていて気になることが一つあった――このカエルを鑑定したらどうなるのだろう。
《クロックトードの肉 ランクC 腐敗率0%》
《巨大なカエルの肉。食味は鶏肉に似ている。加熱調理が推奨される》
『玲人様、こちらの肉は身体能力を向上させる効果があるようです。「速さ」の経験が得られるようですね……1ポイント向上させるために大量に食べなければならないので現実的ではありませんが』
『食べようと思ったわけじゃなくて、もしもの時を考えて鑑定してみただけだよ』
『魔物食は探索に時間のかかる特異領域でも滅多に行われておりませんので、ごく一般的な意見だと思われます』
速さが上がるということなら、このカエルを常食にしたら――と考えはするが、イズミの言う必要な摂取量はとんでもない量だったので、試すのは現実的ではない。
脱出に数日かかるという事態にならなければ、魔物食に手を出さなくても携帯食料だけで持つとは思う。だがこのエリアは蒸し暑く、飲用水のほうは残量が心もとない。
「水は探索しながら探してみるとして、あとは姉崎さんだな」
『先程、マップの範囲に姉崎さんが入りました。付近に魔物は出現していません』
「姉崎さんは運がいいですねー、このエリアで魔物と戦うのはこりごりですよ」
「場合によっては戦闘は避けられないけれど……姉崎さんは何をしてるのかしら」
『……何かを見つけたそうです。その……おんせん? 温泉ですか? すみません、通話が繋がりましたので私を介して回線を接続します』
ゾーンの中でネットが使えるわけじゃないので、幾島さんの能力で俺たちの間で擬似的なネットワークを作ってもらっているという感覚だ。
『あ、みんなも繋がった? 良かったー、みんな怪我ないみたいで。なんか湯気がすごくて、近づいてみたら温泉が湧いてたんだよね。凄くない?』
『ゾーンの中の環境も不思議なもんだな……』
『……あ、あの。先生に、ちょっとお願いがあるんですけど』
『え?』
社さんがおずおずと会話に入ってくる。『先生』というのは俺のことらしいが、まだ返事をするのは慣れない。
それどころか、同行しているメンバーを見ると、みんな何か言いたげにしている――一体どうしたのだろう。
『温泉があるなら、このヌルヌルしたやつを落としたいなー……なんて思ったりしちゃったんですけど。こんなゾーンの中でお風呂とか、呑気すぎますか……?』
『あ……そ、そうか。でも、温泉って言っても入れるようなものなのかな』
『ちょっと熱そうだけど、ぬるくする方法があったら入れるんじゃない? っていうか、みんな入ろうとしてる?』
『それは……やむを得ない事情があるのよ』
『えー、めっちゃ気になるー。じゃあ、あーしはここで待ってるね。トウカちゃんは近くに魔物はいないって言ってくれてるし』
トウカと言われて最初誰のことかと思ったが、幾島さんの下の名前だ。
それにしても、姉崎さんが無事で良かった――それでも一人にしておくのは危険なので、通信が切れたあと、俺たちは足を速める。
確かにナメクジとカエルの分泌物なんて被ってしまったら、一刻も早く洗い落としたいという気持ちは分かる。ここは仲間たちの心情を考えるべきだろう。
「皆が温泉を利用するのなら、僕たちが見張りを務めなくてはな」
「ああ、そうだな。あのハルという人を含めて四人なら、四方を見張ることができる」
「あ……え、えっと。その、ボクもできれば……」
「じゃあ、時間をずらして一人だけ入ることになるけど」
「……やっぱり身体を拭くだけにしておきます」
そんなふうに遠慮しているハルを、鷹森さんが見ている――知り合いだからなのか、ちょっと楽しそうな顔だ。
「鷹森さん、あの人……ハルさんと知り合いでも、一緒に入るなんて言わないでね」
「ふふっ……雪理ちゃんったら。大丈夫よ、心配しなくても」
「入浴した後に、ふたたびあの種の魔物と戦うことは避けたいですね……」
「あっ、そ、そうですよね……次からは私が偵察をしてきて、避けられるようにしましょうか」
「私も逃げ足には自信あるので、次は不覚はとらないですよ」
黒栖さんと社さんが斥候役を買って出てくれている――だが、今後の戦闘は事前のルート選択で避けられるだろう。
幾島さんの作成したマップ上では、魔物は赤い点で表示されている。それぞれの間隔はかなり広いので、避けて通るのは難しくはない。
◆◇◆
姉崎さんのいる地点に来ると大きな岩があり、その向こう側に湯気が立ち上っていた。
湯の溜まっている池――洞窟に湧いた温泉の周辺はかなりの熱気だが、『アダプトグラム』を使っているので高温多湿も気にならない。
「青い濁り湯か……こんな温泉もあるんだな」
「レイ君、どう? このままじゃ入れないよね……」
「温度もそうだけど、泉質についても調べないとな」
『イズミ、温泉も「鑑定」でいけるか?』
『はい、「未鑑定の液体」を鑑定することと同義です。ブレイサーで判別できるのは、すでに登録されている温泉の場合のみですので』
「それなら、私のスキルで温度を下げるわね。お湯の温度を調節することもできるでしょうし」
「その手があったか。頼むよ、雪理」
雪理が『スノーブリーズ』を使ってお湯の温度を下げてくれたあと、水面に手をかざして『鑑定』を発動させる――すると。
《神崎玲人が『鑑定』を発動 ?温泉の鑑定に成功》
《ナトリウム塩化物泉 人体に影響なし、入浴などに使用可能》
《肌の保湿に効果のあるメタケイ酸などの成分を含む》
「……普通にいい温泉みたいだな」
「レイ君、それだけで分かっちゃうの? ぺろっ、これは美肌に効く温泉! とかやったりしないの?」
「『鑑定』のスキルを持ってるから、温泉の泉質もわかるんだ。これだけお湯があれば俺のスキルで飲み水を作ることもできる」
「そのときも私が『スノーブリーズ』で冷ませばいいわけね……魔法の良い練習になりそうね」
「いいんですかそんな、風峰学園のスノープリンセスがウォータークーラーみたいな……っ」
「そこは素直に感謝するべきですわ。社、水の残量は十分ですの?」
「えーと、残り水筒の三分の一くらいです。お水~、お水をお恵みくださいぃ~」
「あ、あの、私はまだ残っているので、良かったら……」
「黒栖さん、社の冗談を真に受けると損をするぞ」
木瀬君に言われて社さんは「てへぺろ」としていて、黒栖さんは戸惑っている――彼女のその優しさは、有り体に言って尊いと思う。
「レイ君がめっちゃいい顔でこよこよのこと見てる……これが後方彼氏面ってやつ?」
「い、いや、俺がいる位置は前方だし……」
「……揺子、姉崎さんの言っている後方……というのは何?」
「お嬢様に申し上げますと、それはライブ会場などで後ろの方に立ち、アイドルに対して特別な人のような雰囲気を出す人を指します」
坂下さんはそう言って腕を組んで立ってみせる。彼女にそういう知識があるのは意外だが、日頃からネットに触れていればどんな情報が入ってきても不思議はないか。
「それは……黒栖さんのようにアイドルのような衣装なら、そういった視線で見てもらえるということかしら」
(なっ……!)
思わず声を出してしまいそうになる。黒栖さんの『転身』はどちらかというと魔女っ子の変身を想起させるのだが、アイドル的な要素は確かになくもない。
「雪理ちゃんもそんなふうに見てもらいたいのなら、私が可愛い服を送ってあげましょうか。私は∨の身体を持っているから、自分がそういうものを着ることはないのよね」
「∨の身体……鷹森さん、急に新しい言葉を出されるとついていけないのだけど」
「そうね、無事に外に出られたら一度お話ししましょうか。ライバルのあなたと電話なんていけないと中学のときは思っていたけど、今は少し柔軟になれたから」
「あの、よろしければ鷹森さんと折倉さんのご関係について聞きたいのですが……風峰学園では、私が折倉さんのライバルですので……い、いえ、ライバルというには烏滸がましいですが」
伊那さんがおずおずと話に参加すると、鷹森さんは切れ長の瞳を細めて伊那さんを見る――上から下まで。
「伊那さん……いえ、美由岐ちゃん。金色の髪でツインテールなんて、可愛いを体現しているわね。坂下さんと同じようにメイド服を着てみたらどう? とても似合うわよ」
「か、可愛い……体現……? い、いえ、そんなにはっきり言われると、どう反応していいのか……私なんて全然可愛いとかでは……」
「美由岐さんは自信持っていいですよ、ツインテールが似合うってそれはもうアイドルみたいなものですから。素質ありありですから」
話し始めると全く止まらない――
『マップ完成率 4.5%』
『幾島さん、何か発見できたものはあったかな』
『今のところ、調査するべき
一時間近く経過してこの進捗なら、温泉で少し時間を使っても大局に影響はないだろう。
救助するべき人が見つかったときはすぐ動けるように構えておく必要はあるが。
「ん……そういえば、ナギって子は?」
「ナギさんなら、途中で見つけた果物を食べてると思うわ。ハルさんと一緒に」
雪理が食べられる果物だと教えたら、よほどお腹がすいていたらしく二人で食べ始めたらしい――果樹は進行方向にいくつか見つかっているので、足りなくなったら採取すればいいだろう。
「……この岩の向こうで着替えられそうだけど。あっちの方向からは普通に見えてしまうわね」
「ああ、それなら認識阻害のスキルを使って見えないようにするよ。『ジャミングルーン』って言うんだけど」
「そのスキルで本当に認識が阻害されているか、確認する方法は……い、いえ、神崎さんのことですから、信頼する以外にはありませんわね」
「私たちは見えていないと思っているのに、神崎さんからは見えている……いいわね、面白い企画だわ。雪理ちゃんもドキドキするでしょう?」
「わ、私は……玲人のことを信頼しているから、そんな疑いはかけないわ」
鷹森さんは冗談で言っているのだろうが、黒栖さんがあたふたしている――そんな反応をされるということは、俺もいわゆる狼であると思われているということか。
「とりあえず俺たちは北と東で見張りをする。何かあったら呼んでくれ」
「地図で見ると東に果実があるようだから、僕はそれを採取してくる」
「ああ、気をつけてな。俺は南で、ハルは西……西は見張らなくても俺から見えてるから、洗濯を手伝ってもらおうかな」
「はい、何でも言ってください。返しきれないくらいのご恩がありますから」
フードを深く被ったままでハルが言う。なぜ顔を隠しているのかというのは、あえて聞くべきではないか――それにしても気になるが。
「はい、ジャンケンで負けたので服のほう持ってきました。ぬるぬるべちゃべちゃですけどよろしくお願いします、先生」
「はは……結構大変そうだけど、承ったよ」
社さんが代表で運んできた服を『グラビティサークル』で重力制御して浮かせる。維持しているだけでオーラを使うが、それくらいは必要経費だ。
要件を終えて戻っていくかと思いきや、社さんが近づいてくる――そして、小さな声で言う。
「洗濯物の内容は人それぞれ違うんですけど、あまり気にしないでくださいね。先生にこんなことお願いするのは、ちょっと心苦しいですけど」
「え……あ、ああ。全然気にしなくていいよ」
「いえ、気にしなさすぎてもそれはそれで駄目なので……って、ふわふわした言い方しすぎですね。じゃあ行ってきまーす」
今度こそ社さんが立ち去り、脱衣所となっている大岩の向こうに向かう。
「……あっ」
「ん……?」
ハルが何かを見つけたというように声を上げる。俺も見つけた――ふわふわと浮いている、白くて小さい布。
ブラとパンツも洗わないといけない、そんな状態の人もいる。そんな当たり前のことを見落としていた――気を使って何も言わずにいるハルにも悪いので、俺は洗濯物と向き合う覚悟を早々に決め、心を無にして動き始めた。
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