第百二十八話 胸襟を開く
◆◇◆
『こちら北方向は問題ない、オーバー』
『こちら東も問題ない。オーバー』
「ああ、二人ともお疲れ……さて、と。これで終わりか」
見張りをしている仲間たちと定時通信をしつつ、呪紋で浄化した水で女子たちの服を洗い、空中に浮かせて水分を抜き、さらに熱風を当ててパリっと乾燥させるという作業をしていた。
「……いいのか、これは。いや、いいんだな」
服だけ洗って下着は洗わないというのはバランスが悪いので、俺がしていることは間違いではない――と自分に言い聞かせなければ、レースの下着とは向き合えない。
男子の服を洗うのも俺なのか、いや、そこは気にするところではない。そんなことを考えていると、洗濯を手伝ってくれていたハルがこちらにやってくる。
「これで一通り終わったな。ハルも風呂には入るのか?」
「あ……え、えっと、ボクは入らなくても平気なので……見張りに戻りますね」
「いいのか? まだ探索は続くんだし、今入っておいた方が……」
「だ、大丈夫です。服もそんなに汚れてないので」
「そうなのか……もし一人で入りたいとかなら、そうできるようにしようか?」
「……そうしてもらえると助かりますけど、ボクのためにお手間を取らせるわけには……」
「いや、大事なことだからな。まあ、絶対入れってことでもないけど」
ハルは自分の服を確かめる――カエルの粘液を浴びて時間が経ったからか、やはりそのままでは厳しいようだ。
「……少しだけ入ってもいいですか? もし時間がかかったら置いていってもらっても大丈夫なので」
「ああ、それなら服は洗っておくけど」
「あっ……そ、その、上着だけで大丈夫です、他はそのままで……」
「分かった、上着だけ洗えばいいんだな」
「……どうしてとか、そういうのは聞かないんですか?」
「聞いた方がいいのか?」
「ひぁっ……い、いえ、大丈夫です。ありがとうございます、神崎さん」
勢いよく頭を下げると、ハルは言っていた通りにいったん見張りに戻った。
『玲人様、ご友人が増えて何よりですね』
『まだ会ったばかりでそう言うのもな……まあ、協力できる人だとは思うが』
『ハル様の感情バイオリズムからは、玲人様に対する好意が見受けられます』
『そ、そうなのか……イズミ、そういうのを分析するのはほどほどにな』
『承知しておりますが、玲人様は自己評価を低めに見積もられるところがございますので。周囲の評価はそうではない、と申し上げておきたいのです』
『……イズミって、何だか最近姉さんみたいになってきたな』
俺に姉はいないが、いたらこんな感じだろうかと思うことがある。弟に対して世話焼きな姉というのが実際どれくらいいるかは知らないが。
『玲人様と私は主人と所有物の関係でございますから、きっと気のせいではないでしょうか』
『AIにも「きっと」っていう概念はあるんだな』
『はい、ございます。先程のお話に結びつけるなら、ハルさんはきっと玲人様を信頼しておられます、と言えるでしょう』
言い方でだいぶ印象が変わる――と、イズミと話して和んでばかりもいられない。
『幾島さん、聞こえるかな』
『はい、どうぞ』
『現状、マップに目ぼしい反応はない……ってことでいいんだよな』
『そうなります。新しい情報が得られたら、その地点に向かうのが効率的にも良いと思います』
『分かった、もう少しここで待機することになりそうだから』
『了解しました。引き続きエリア内の探査を続けます』
そろそろ皆が入浴を終えて温泉から上がってきたらしく、話し声が聞こえてくる。
視線を遮れるような岩はあるが、全方位から見えないわけではないので、俺たち男子は『ジャミングルーン』を使って認識を阻害している――何もないように見える空間を隔てて、その向こうに女子たちがいるわけだ。
『玲人、お疲れ様。見張りを交代するわね』
雪理からの通話については許可なしで繋いでもらう設定にしたので、声が聞こえてくる。
「風呂上がりですぐに見張りは大変だから、俺たちがそのまま続けるよ」
『レイ君たちも入ってきたら? めっちゃいい温泉だよ』
『私たちが入った後なので入れない、ということだったりするの? ふふっ、ゾクゾクするわね』
『鷹森さん、そういった嗜好を口に出すと神崎様に敬遠されてしまいますよ』
『ますますいいわね、彼に冷たい目で見られたらと思うと……ああっ、駄目、雪理ちゃんに冷たい目で見られるのは普通に傷つくから』
『あなたのキャラクターは確かにタレント向きなのかもしれないけれど、玲人を変な想像には使わないでね』
雪理が鷹森さんを牽制している――嬉しいような、冷たい目とはどんななのか見てみたいような、怖いような。様々な感情が入り混じっている。
『玲人さん、先にお風呂をいただきました。服もありがとうございます、後で「転身」させてもらってもいいですか?』
「ああ、もちろん」
『レイ君うらやましい? あーしお風呂でこよこよと一緒にめっちゃ仲良くしてたよ』
『あ、姉崎さん、それは……』
「それは良かった。姉崎さんはトレーナーだから、お風呂でマッサージとかしてもらうと効きそうだよな」
『へぁっ……レイ君めっちゃ落ち着いてる。あーしがこよこよにマッサージしてたのばれちゃってるし』
『えっ……あああのっ、通話はつながってないですよね、コネクターはつけていましたけど』
「あ、ああいや、聞こえてないよ。何となく言ってみただけだから」
『そうだよねー、何のためにマッサージしてたかとかは分かってなさそうだしね。あ、分かっててごまかしてる?』
「そ、それは……」
黒栖さんはある理由で肩が凝りそうだから、マッサージは効果がありそうだ――なんて言えるわけもなく、普通に言葉に詰まる。
『……ていうかバディなんだから、レイくんがしてあげてもよくない?』
「い、いや、トレーナーの姉崎さんだから言ってみただけで……」
『じゃああーしは誰に肩こりを治してもらえばいいの? 大して凝ってないけど。あははー』
『姉崎さんの話を聞いていると、私は人生を真面目に生きすぎではないかと思えてきますわね……きゃんっ』
『うわ、めっちゃ可愛い声出た。みゆみゆってなんでそんなお嬢様口調なの?』
『それは一応、子供の頃からのことですから……本来であれば、折倉さんこそこういった口調がふさわしいのですが』
『そう……? 玲人次第ね、それは。私が急にですわ、なんて言い出したら変でしょうし、非合理的でしかないわ』
それはそれで別の良さがあるのでは、と思ってしまうあたり、俺は雪理が何をしても好意的に評価する傾向があるようだ。
『その気になればみゆみゆもあーしみたいに喋れるってこと? 仲間増やしたーい』
『姉崎さんはそれで個性が出ていますから、私がそこに参入する必要はないんじゃない? ていうか、みたいな……という感じですの?』
『わーめっちゃ適当だけど可愛いー。みゆみゆって結構面白いね、こうして話すと』
『そうなんですよ、めっちゃ面白いんですよー。美由岐さんの良さをもっと知るべきですよね、みんな』
『また適当なことを言っていますわね、社は。あなたこそ面白いですわよ、急に神崎さんを先生なんて言い出したり』
『私、心から尊敬できるなって思った人にはそうなっちゃうみたいですねー。自分でも分かってなかったんですけどね』
みんな女子更衣室の中のような感覚で話しているんじゃないだろうか――こうして聞いているのが申し訳なくなってきた。
『何か、惚気を聞かされているみたいなんだが……』
『あ、忍君お疲れー。忍君も好きじゃなかったっけ、温泉』
『木瀬はキャンプの際に、入浴には温泉を利用すると言っていたな』
『ああ、入湯料を支払ってな。風情があっていい』
木瀬君は温泉に入るのはやぶさかでないようだ。唐沢も同じらしいので、そうなると入ってもいいだろうか。
「ハルが一人で入りたいみたいなんだけど、俺たちは待ってようか」
「あっ……え、ええと……そうですね、時間のことがあるので」
『温泉の中にも岩があるから、ハルさんはその向こうに行くといいんじゃない? なんて、知人としてアドバイスをしておくわね』
「あ、ありがとうございます、葉月さん」
やはり鷹森さんとハルはそれなりに親しいようだが、関係性ははっきり見えてこない。ハルは少し鷹森さんに対して恐縮しているようには見える。
「じゃあ念のために、俺たちも『ジャミングルーン』でハルのことが見えないようにしておくよ」
『すごい、そんなことができるんですね。玲人さんは凄いです、何でもできて』
『あら……ハルさん、いつの間に神崎さんとそんなに仲良くなったの?』
「あっ……ち、違います、今のは……ごめんなさい神崎さん」
「俺もハルって呼んでるし、気にしなくていいよ」
『っ……そ、それでしたらその……玲人さんも私のことを……』
『あーしも優って呼んでいいよ……あっ、やっぱやめとこ、めっちゃ恥ずかしくなってきた』
『湯冷めするから早く着替えてしまいなさい、私はもう終わっているわよ』
『雪理ちゃん、髪を上げてるとうなじが……ああ、いけない。神崎さんたちに想像させてしまうわね』
『鷹森さんはテンションが上がりすぎです、状況についてお忘れなきよう』
坂下さんが鷹森さんを諌めてくれて、何とか話は落ち着いた。
『ハル、そういうわけだから。コネクターってつけてるか?』
『はい、防水なのでゾーン内では外さないようにしてます。鷹森さんの言ってた岩の向こうに行ったられ……神崎さんを呼びますね』
だんだん打ち解けてきたということか、ハルの声が明るくなってきている。
見張りを交代してもらう間に強力な魔物が出てくる可能性もなくはないので、いつでも出られるようにしなければならない。
『……これからしばらく、玲人様に話しかけない方が良いでしょうか? 具体的には入浴している間になりますが』
「ま、まあ……イズミの好きにしてもらっていいよ」
『かしこまりました。私の人格が女性をベースにしているために、少々疑問が生じました』
言われてみれば確かに、と思う。俺もブレイサーを入浴中に外すことはないので、そこは静かにしていてもらうに越したことはないだろう。
◆◇◆
「ふう……なかなかいい湯だな。青い濁り湯にこんなところで入れるとは」
「こう
木瀬君と唐沢は身体を流したあと湯に浸かり、揃って頭にタオルを載せている。唐沢はなぜかメガネをかけたまま入っており、湯船に浸かってから外して顔を拭いた。
「……神崎、このゾーンに何が起きていると思う?」
「そうだな……只ならぬ事態だとは思う。もしかしたら、このゾーンに何かが起きていて、それを調査するために綾瀬さんたちが来たのかもな。木瀬君は……」
「ああいや、俺のことは呼び捨てにしてくれていい」
「じゃあ……木瀬はどう思う?」
呼び方を変えると、木瀬は俺を見やって何か言いたげにする――とりあえず問題はないらしい。
「そうだな……討伐隊が事前に異変を把握していたなら、このゾーンは一般探索者が入れないように封鎖されていたんじゃないか? というか、そうするべきだったな」
「それだと俺たちはここまで来ていない。危険な場所ではあるけど、得られるものもありそうだと思ってるよ」
「それは確かにな。野山でキャンプをしていたら蚊帳の外になっていたところだ……今も神崎たちに引っ張られているだけではあるがな」
「二人がいてくれて助かってるよ。俺一人だと何ていうかな……女子が多いパーティで立つ瀬がないというか」
「神崎もそんなことを思ったりするのか……お前はいつも超人的で、悠然としていて。女子たちだけのパーティでも上手く緩衝材となって統率できる、そんなふうに見えていたが」
木瀬はあまり表情が変わらないが、これは褒めてくれているのだろうか。悠然としているなんて言われたのは初めてだ。
「僕もほぼ木瀬と同じ意見だが……というか、僕は一度ミスを犯しているからな」
「……悪魔の魅了を受けたことか」
唐沢は目頭を押さえる――泣いているわけではないが、悔いているという感じだ。
エリュジーヌの魅了を受けた唐沢は、それが完全に解けてはいないようだった。魅了されている間の感覚が残ってしまうことは、必ずしも無いとはいえない。『状態異常』を治療したからといって『心情の変化』が完全にもとに戻るとは限らない。
「スキルによる状態異常はある程度仕方がないんじゃないか。全ての耐性を事前に準備しておくなんてことは現実的じゃない」
「そうだな……状態異常について教えてくれる授業ってあるのかな」
「神崎より知識のある人は先生にも……居ないとは限らないか。何事も決めつけは良くない」
「そうだな、学園に来てから教わることもある」
「その向上心もまた才能だろうな、それだけ強くなったら満足してしまわないか」
「まだ強くなれるっていう感覚があるうちは、そうなれるように努めるべきだと思う」
『旧アストラルボーダー』でレベル上限に達したときは、成長の限界に辿り着いたという意識はあった。しかし今の俺は、レベル限界が130も上がっている。
レベル自体も30上がっているが、装備品などに差がある分だけ、この
「さて、俺は先に上がるか……みんなの服も洗って乾かすか?」
「いや、俺たちのものは大丈夫だ」
「あまり負担をかけるのもな。僕たちも少ししたら上がろう、熱くなってきた」
ザバッ、と唐沢が湯の中で立ち上がり、縁の岩に座る。ハルは大きな岩の向こうにいるようだが、気配をほとんど感じない――だが。
「……鼻歌……?」
「上機嫌だな。あの少年、俺たちと同い年くらいか? それにしては牧歌的な歌を歌うんだな」
「外国の歌だったか。カントリーソングというやつだな」
木瀬と唐沢は歌に耳を傾けている――俺もつい聞き入ってしまうが、ハルの服を洗うために先に湯から上がった。
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