第百十八話 特別探索許可

 翌朝になり、朝食を摂ったあとで妹たちは出かけていった。今日の昼も一緒に遊んで、コトリの家に泊まることになっているらしい。仲が良いのはいいことなので、何かあったら連絡するようにとだけ伝えておく。


『――昨日、朱鷺崎市西部の管理特異領域F19において一時的にB級警報が発令された件について続報ですが、付近住民の避難勧告が解除されました」


 交流戦の試合会場周辺では、そんなことになっていたらしい――討伐隊はイオリの出現を重く見ていたので、当然といえばそうだ。


 B級警報と言われているが、討伐隊の隊員は暫定でA級と言っていた。情報が統制されているのか、あくまで暫定だったのか。現時点ではどちらとも言えない。


『関連するお知らせですが、公示されていました一部特異領域における特別探索許可期間は予定に変更なく開始されます。安全確保のため、該当する区域周辺では交通の混雑回避のために皆様のご協力をお願い致します』

「……特別探索許可、か」


 民間で魔物討伐を行う人たち――討伐者バスターは、特異領域に自ら入って魔物を討伐している。だが、常に全ての領域が出入り自由ではないようだ。


 特異領域から魔物が出てきてしまったりするのを防ぐために、管理下に置かれている。それならば、特異領域自体を無くしてしまうことはできないのだろうか。


(旧アストラルボーダーでは、クリアしたダンジョンのモンスター発生を止めて通常エリアにすることもできた。それは、この現実でもできたりするのか?)


 魔物を倒すことは訓練にもなるし、得られるものもある。しかし特異領域が存在する限り周辺に危険があるなら、数を減らすに越したことはない――と、考えている途中で電話がかかってきた。


 雪理かと思ったが、名前欄には灰島先生と表示されている。何かあったのだろうか。


「はい、神崎です」

『やあ、おはよう。昨日の話は聞いたよ、大変だったみたいだね』

「……その話なんですが。灰島先生は、あの特異領域で起きたことについてどれくらい把握していますか」

『一般に出ている情報ではB級警報となっているが、あれはA級……いや、討伐隊に基準が設定されていないだけで、それ以上の敵が出現したと言えるだろう。データを受け取った綾瀬さんも深刻に受け止めていたよ』

「灰島先生、俺はあの時出現した相手と、もう一度会わなければいけないんです。魔物として判別されたとしても、本当は戦う必要はない……そう思っています」


 灰島先生はすぐには返事をしなかった。俺の言葉の真意を測っている――それは仕方のないことだ。


『実は、戦闘中の映像が残っている。撮影できる範囲ギリギリだったから、かなりぼやけているけどね。神崎君、君が戦った相手は人型だった』

「……はい。彼女は、人間です。俺は、彼女があんな姿じゃなかった頃のことを知っています」


 どこまで灰島先生を信頼できるのかは分からない。まだ会ったばかりで、話した機会も少ない――だが何もかもを隠していたら、灰島先生と共有できる情報は少なくなる。


『そういうケースは初めてじゃない。君ももう分かっていると思うが、ウィステリア・藤崎さんのように、人間が魔物によって操作、あるいは利用されてしまうということは少なくないんだ。いわゆる『憑依』現象だが、これについては前から問題視されている』

「ウィステリアの時は、助けることができました。でも……俺が今持っている方法で助けられないようなことがあるなら、違うやり方も探しておかなければいけない」

『力比べで倒せば大人しくはなるが、依代よりしろから自主的に出ていくなんて期待はできないからね。憑依した魔物を引っ張り出し、魔石の類に封印する……魔物が強力であるほど、強力な媒体が必要だ』

「灰島先生は『錬魔石』以上の媒体について知っていますか? できれば、今のうちに入手しておきたいんですが……」

『それは僕よりも詳しい人間がいるね。民間で「祓魔師」をやっている人だが、良ければ紹介しようか?』


 祓魔師ふつまし――そういう職業の人には旧アストラルボーダーでも会ったことがない。悪魔系の魔物に対抗する力を持っているという意味では、ミアの『聖女』もそうだったが。


「できれば、一度お話を伺いたいです」


 そう返答すると、パソコンのキーを叩く音が聞こえてくる。灰島先生はノートパソコンを使いながら電話しているようだ。


『すまない、ちょっと状況確認をしてみた……彼らは賞金稼ぎのようなことをしていてね、特異領域ゾーンに出入りしている。今日もその予定だろうね』

「特異領域……というと、今特別探索許可っていうのが出ているところですか?」

『さすが神崎君だ、そういう方面にアンテナが立っているね。うちの学園の生徒も自主的に行く人はいるんじゃないかな? 浅い階層までなら危険は薄いし、学園管理のゾーンとは違う収穫が得られるからね』

「俺はAランク討伐参加資格を持っているので、その範囲で探索できる……ということになりませんか?」

『魔物の強さに対応できるか、それで潜れる範囲は変わるからね。神崎君の言う通りだが、ゾーンに入るなら奥まで行かないと気がすまないとか?』

「いえ、学園のゾーンでも奥までは行ってませんから。祓魔師の人が奥に行っているのなら、浅いところまででは困るので」

『ルールを遵守するその姿勢に敬意を表するよ。Aランク討伐参加資格を持つ人は、事実上その行動を制限できないからね。君が憑依される危険があるから、なんて言って引き止めることもできないんだ』


 そう言われてみて理解する――『憑依』の能力を持つ魔物がいるとは限らないが、遭遇したときは俺だけでなく、同行者に危険が及ぶ。


「そういう危険があると分かっていれば、対策は打てます。祓魔師の人と話すのも参考になると思いますし……錬魔石より強力な媒体は、どうしても必要なんです」

『うん、了解した。管理特異領域G04、そこで行われるフリー探索に参加しているはずだ。入場は15時まで、退場については適宜となっているので実質制限はない』

「え……Gって、危険度みたいなものを示してるんですよね? 学園の『洞窟』と同じくらいってことですか?」

『浅い層はね。その領域は『遺跡』とも呼ばれているんだが……ここから先は、綾瀬さんからも話を聞いてもらいたい。彼女は現地にいるから、そこで話を聞いてくれるかな』

「は、はい……分かりました。灰島先生はどうされるんですか?」

『僕も可能であればG04に行くが、その前に野暮用が入っていてね。祓魔師については斑鳩いかるがという人で、姉妹二人組と少年の三人で組んでいる』

「斑鳩さん……分かりました、ありがとうございます。俺も可能なら行ってみます」


 灰島先生との通話が切れる。イカルガという名前はスマホのメモに書き込んでおくが、特徴的なのでそうそう忘れることはないだろう。


 続いて雪理からも電話がかかってくるので、すぐに出る。


『っ……お、おはよう。1コールで出るなんて、早いのね』

「ああ、ずっと待ってたからな」

『……あなたのことだから、本当に言葉通りの意味なのでしょうけど。ちょっと心臓に悪いわね』

「だ、大丈夫か? 動悸がするとかだったら……」

『いえ、お陰様で元気だし、昨日言っていた通り訓練でも実戦でも、どちらでも出られるけれど……玲人の希望は?』

「ああ、ちょうどさっきテレビで見てたんだけど、今って市内の特異領域ゾーンに入れるみたいだな」

『そうね、うちの生徒でも行く人はいるかもしれないわね。外部での討伐実績も成績に含まれるし、そのうち実習でも行くことにはなるから……玲人、今日はそこに行きたいの?』

「ああ、ちょっと会いたい人がいて。『祓魔師』って職業の、斑鳩という人を探しに行きたいんだ」


 俺は斑鳩さんのことを灰島先生に聞いた経緯を雪理に伝える。彼女は興味深そうに相槌を打ってくれていた。


「というわけなんだけど……錬魔石以上の媒体が手に入るとは限らないけど、準備はしておきたいんだ」

『事情は把握できたわ。入場時間までにはまだ余裕があるとして、メンバーはどうする? 黒栖さんはもううちに招いて、居間で坂下とお茶を飲んでいるけれど』


 黒栖さんもかなりの早起きだ。そして坂下さんと一緒に和やかに過ごしている光景――今までそこまで親しくしている感じでもなかったので、とても気になるし、どこか嬉しくもある。


「せっかくの休日だけど、ゾーンに行きたいって人は結構いたりするのかな」

『少しでも腕を磨きたいという人はいるわね。伊那さんもできる範囲で同行したいと言っていたし……そうなると、彼女の仲間たちも友達甲斐があるのよね』

「ははは……みんな自主的に集まるってことか。俺はやることがあるから、ちょっと自由に動かせてもらうけど」

『私と黒栖さんもついていくわね、そういう心積もりでいたから。置いていったりしたら怒るわよ』

「ああ、勿論。怒られるのは、怖いからな」

『……なんだかあやされているみたいなのだけど。私とあなたは同い年だっていうこと、忘れないでね』


 念を押すようにそう言われたあと、通話が切れる。今日の予定は決まった――しかし民間の討伐者バスターが出入りするゾーンには、どんな装備で行くのが適切なのだろう。


 そんなわけで、俺は恥を偲んでイズミに頼み、もう一度雪理に繋いでもらう。


『装備……そうね、私はプロテクターを着けるつもりでいるけれど』

「プロテクターの下は訓練服か、それともスーツか……」

『民間では装備はこれという決まりはないのだけど『強化服』を着ている人は多いみたいね。特殊素材のスーツでもいいし、防御面ではそちらが上だけれど。軍用のものも密着型のスーツタイプだものね』


 身体のラインが思い切り出るあのスーツで、学園外部のゾーンに入る――それは何というか、少し葛藤がある。


『職業によって性能を引き出せる装備にも違いがあるから、黒栖さんはあのレオタードが適切ではあるのだけど……学園外に出るのは少し気になるわね』

「っ……お、俺の考えてることって、そんなに分かりやすいかな」

『私の中でも個人的に懸案としてあったことなのよ。剣士の装備はそれほど……その、恥ずかしくはないのだけど、スーツ自体は、自分では気にしていなかったけれど、玲人と手合わせをしていると……』

「くっ……ご、ごめん。これからはそういう視線では絶対見ないし、雑念を魔法で常に封じていようと思う」

『っ……そこまではしなくていいの、責めているわけじゃないのだから。必要な時はこれまで通りスーツを装備するけれど、他の装備も用意しておきたいということね』

「そうなるとファクトリーに行った方がいいか。装備の類は町では買えないし」

『学校以外でも購入できないと民間で手に入らないから、販売はされていると思うけれど。それについては調べておくわね……今日のところはファクトリーで相談しましょうか』


   ◆◇◆


 ファクトリーというと古都先輩に相談できるといいが、休日なので迷惑がかからないだろうか――と思いつつ電話をすると、彼女は今日も学園にいるとのことだった。


 俺も自転車で学園まで行き、そこで雪理と黒栖さん、坂下さんと合流する。ファクトリーを訪ねると、正面入口は休日なので鍵がかかっていたが、古都先輩が裏口から出てきて案内してくれた。


「外部のゾーンに行く時の装備品ですね、かしこまりました。加工生産ではなく、在庫品でよろしいですか?」

「はい、お願いします。プロテクターはそのまま使えるので、下に着るもののバリエーションが欲しいと思っていて」

「そうですね、スーツタイプの防具は特殊素材ですので斬撃・衝撃・熱・冷気・電気に耐性がありますが、問題点は成長期にはサイズ調整がこまめに必要になるということです。伸縮性があるので多少は平気なんですが」


 古都先輩が見ているのは雪理と黒栖さんの胸――まさかこの短期間で成長しているというのだろうか。


「え、ええと……そうですね、少し……で、でも、ワイバーンレオタードは凄く良い装備なんです、それは間違いないんですけど」

「常にレオタードよりは、選択肢があった方が良いですよね。こちらは通常の制服をベースにしたタイプの強化服になります。足についてはタイツで露出部分をカバーしますが、こちらのタイツは魔物素材の繊維でできています。肌触りはシルクに近いですね」


 先輩が出してくれたカタログは試作品のようだが、雪理と黒栖さんが今着ている制服と同じ型になっている。俺の制服についても用意されていた。


「防具としての性能に特化したものも開発する計画がありますが、これも一つの提案になります。通常の制服より高価ですので、生徒全員が装備するわけにもいかないんですが。これに比べると訓練用スーツは量産ができているので安価になっているんです」

「高級制服という感じですか。わかりました、これでお願いします」

「古都先輩、請求は私に回していただけますか?」

「いえいえ、こちらは装備開発のためにデータの収集をさせていただけましたら、代金などは必要ありません。玲くんには……いえ、神崎くんには、すでにファクトリーに対して投資をしてもらっていますし」


 『玲くん』という呼び方に雪理たちが敏感に反応する――俺は『穂波姉ちゃん』という呼び方は封印しているので、こちらに落ち度はないと思いたい。


「あの……古都先輩は、玲人と前からお知り合いとか?」

「あ……い、いえ。購買部で初めて神崎くんに会って、お昼のパンを買っていただいたのが初めてですよ?」

「それにしては少し、親密さが……いえ、何でもありません。一つお聞きしたいのですが、こちらは女子制服のタイプしかないのでしょうか?」

「はい、今のところは。坂下さんは男子制服だとサイズが大きくなってしまいますね」

「揺子はいつもの装いにこだわりがあるものね」

「坂下さんの着ている服をベースにした強化服をオーダーしておいて、今回は……どうしようか」

「とりあえず、今試着できるものを出してもらうのが良さそうね」

「かしこまりました」


 雪理に勧められ、三人が席を立つ――どうやら試着に行くらしい。水着のときといい、一人残されるとどうにも落ち着かない。


「ふふっ……ごめんね、つい玲くんって言っちゃった」

「……あっ。もしかして古都先輩、わざと言ったんじゃないですか」

「ううん、そんなことはないんだけどね。そうやって神崎くんの慌てるところは、見たかったかもしれないです」


 それはわざとだと言ってるようなものだが、古都先輩の笑顔を見ているとそれ以上何も言えなくなる。


 『旧アストラルボーダー』にログインする前の現実リアルにおける『穂波姉ちゃん』と、目の前にいる古都先輩は違う経緯を辿っている。


 それでも俺がデスゲームにログインする前と、この現実リアルとの間に繋がりが全くないわけじゃないと示してくれているのが、彼女の存在だ。


「中学校の時の神崎くんはどんなだったのかなって、気になったりもしてます。私が知ってるあなたとは、すごく変わったと思うから」

「ただのゲーム好きで、特に変わったこともなかったですよ。人付き合いは苦手だったし、今も本質的には変わってないんです」

「ゲームの中でも、学校でも、気が合う人を見つけるのは奇跡みたいなことです。でも、そういう出会いがあったら嬉しいですよね」

「……それは、確かにそうですね」

「私がこうして神崎くんと一緒にいるのも、それくらいのことだと私は思ってますから」

「はい……えっ?」


 何気なく返事をして、何か重大なことを流してしまった気がして――だが、古都先輩は人差し指を立てて、俺にそれ以上聞かせなかった。


「お姉さんは神崎くんに協力できることがあって、嬉しいな……と思っています。これからもよろしくお願いしますね」

「は、はい。よろしくお願いします」

「では……神崎くんも試着をしてみますか? ちゃんと着られているか、私が見てあげますから」

「……穂波姉ちゃん、それはまたからかってない?」

「ふふっ、ちょっとからかってます。私、先輩なので」


 俺が呼び方を変えても古都先輩は怒らなかった。そして普通に男子の試着室にまで案内してくれて、俺に強化服を渡してくれる。


「大丈夫ですよ、カーテンで仕切りますから。私は向こう側にいるので、忌憚のない感想を聞かせてくださいね」


 なぜ同じ部屋にいる必要があるのか。女子からも感想を聞いたほうがいいのでは――と思ったが、笑顔の古都先輩にはそれを言わせない圧力というか、そういうものがあった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る