第百十四話 ダブルミーニング

 階段を降りる時からすでに食欲を誘う匂いがしていたが、ダイニングテーブルに並べられた料理を見て思わず感嘆の声が出た。


 手を洗ってから食卓に着く。俺の隣には英愛が、向かい側に友達二人が座った。


「今日のメインディッシュは、さとりんが家から持ってきてくれたパンで作ったパンシチューでーす。どう? お兄ちゃん」

「めちゃくちゃ美味そうだな……」

「ふふっ……お兄さん、すごく真っ直ぐな感想ですね」

「味見したので大丈夫だと思いますけど……えっと、パンが蓋になってるので、開けてみてくださいっ」


 パンシチューの蓋を開ける。ビーフシチューの香りが広がり、同時にAIのイズミが反応する。


《小平紗鳥が『料理』スキルを使用して作った『ビーフパンシチュー』の情報を取得しました》


《食事効果:体力回復促進小 体力経験値追加小》


 『アストラルボーダー』においてスキルで作った食事には食事効果がつくことがあるが、この現実リアルにおいても同じということか。普通の食材を使っていると効果がつく確率は低いはずだが。


 『体力経験値』は文字通り、ステータスに直接経験値が入るのだが、この方法でステータスを上げるのは難しい。『小』では加算される数値が小さすぎるからだ。


「お兄ちゃん、疲れてスプーンも持てないとか? じゃあ私が食べさせてあげる」

「ん、んむっ……」


 隣に座っている妹がスプーンからこぼれないようにしつつ食べさせてくる――美味いが、向かいに座っている二人にじっと見られていて落ち着かない。


「あ、あの、私は野菜を切る担当で、このサラダを作ったんですけど……作ったっていうか切って盛り付けただけなので、料理っていうのはおこがましいんですが」

「シチューはパンにつけて食べると美味しいんですけど……え、えっと、私が……」


 サラダを取り分けられ、小平さんまでこちらにやってくる――しかし途中で固まってしまい、首から顔まできゅうう、と赤くなってしまう。


「あっ、す、すみません、お兄さん、こんなに近づいたりして……」

「お兄ちゃん、さとりんのこと威嚇しちゃだめだよ」

「そんなことは全くしてないが……えーとその、小平さん、ぜひお手本を……」

「ひゃ、ひゃいっ……!」


 パンシチューの食べ方に手本も何もないが、おそらく小平さんが席を立ったのはそういうことだろう。


「あーん……ってしてください」


 小平さんの緊張がこちらにも伝わってくるようだが、ここは心をくうにする。


《小平紗鳥が専門スキル『サービング』を発動 食事効果上昇》


「んっ……!」

「やっぱりパンにつけたほうが美味しいんだね、お兄ちゃんさっきと違う顔してる」

「いかがでしたか……?」

「さ、紗鳥、それはちょっと近すぎ……」


 『サービング』――提供とか、奉仕とか、そういう意味があるんだったか。小平さんは料理関係のスキルを知らずに習得しているようだ。


「あ、ありがとう……えーと、自分で食べられるから」

「はい、お手本は見せられたので満足です。お兄さん、食べさせてもらうときは可愛いんですね」

「っ……げほっ、げほっ」

「すみません本当に、紗鳥はいつもは大人しい子なのに……」


 料理に関することでは大胆になるというか、そういうことだろうか。『専門スキル』といい、こだわりがスキル取得に繋がるというのは考えられなくはない。


 一つ思ったことは、何か特殊な食材が手に入ったら小平さんに料理を作ってもらい、さらに食べさせてもらうと効果が増すということだ。経験値増加効果に姉崎さんがいることで強化バフがかかるのなら――と、ついスキルの相乗効果シナジーを考えてしまう。


「二人とも、お兄さんにかまってばかりいたらシチューが冷めちゃうでしょ」

「はーい、いなちゃんお母さん」

「はいはい、お母さんですよ。紗鳥も……えっ、すごく汗かいてない?」

「そ、そんなことないよ? 私全然汗っかきとかじゃないから」


 俺に接近してから小平さんの様子が確かに変わった気がするのだが――ちょっと冷房をかけた方が良いだろうか。


『小平紗鳥様の体温上昇について、感情バイオリズムの関連が推測されます』

『っ……イズミ、その情報は俺には教えなくて大丈夫だからな』

『かしこまりました。適宜ご報告はいたしますが、情報開示については都度決定をお願いいたします』


   ◆◇◆


 夕食後、部屋に戻ってきて思い出す。


 今日は連休の初日だ。妹の友達が泊まりに来たのもそれが理由なのだろう。


 明日からの予定は特に決まっていないが、何をするか。考えていると、雪理からブレイサーに通信が入った。


『こんばんは、玲人』

「こんばんは。雪理、身体は大丈夫か?」

『ええ、能力を使って疲労するのは分かっているから。それに、今日戦ったことで少し強くなれたような気がするの』


 イオリのレベルはおそらく100か、俺と同じように限界突破している――そんな相手との戦いに参加すれば、得られる経験は多いだろう。


『私もあなたの仲間としてふさわしいくらい、強くなりたいと思っているから……トレーニングもいいけれど、実戦の経験を積むべき?』

「実戦か。雪理、連休は予定とかあるかな」

『家のことで一日は出ないといけないけれど、それ以外なら空いているわ。できれば一日はあなたと同行したいのだけど……』

「俺もそれは助かるな。実戦の経験を積むか、休日らしいことをするかは悩みどころだけど」

『……両方するというのは、考えとしてはないのかしら?』


 少し雪理の声が上ずったような気がするが――言っていいものか迷った、ということだろうか。


《折倉雪理様の会話音声を解析 感情バイオリズムの変動を――》


 緊張しているということだな、とイズミの報告をやんわりシャットアウトする。


 そして俺も緊張してくる――両方するって一体何を、なんてとぼけてしまったらもちろん地雷を踏み抜くだろう。


「訓練か実戦をする日と、最後はリフレッシュの日にする……っていうのは?」

『っ……え、ええ。私も何をするか考えておくわね、黒栖さんにも聞いておかないと』


 雪理の中には俺と二人という考えはないということか――と、そんなふうに考えたりは(少ししか)しない。黒栖さんも一緒に行けるならそれがベストだ。


『……それとも、二人というのも考えられるかしら』


 俺の考えをまるで読まれたかのように言ってくる雪理。遠慮がちだからか囁くような声になってしまって、響き方がくすぐったい。


《雪理様の感情バイオリズムが大きく変動していますが、接続を維持いたしますか?》


「い、いや、接続はしてくれないと困る……っ」

『っ……せ、接続? 玲人、接続というのは……その、私が二人と言ったから……』

「違う違う、いや、違わないんだけど、ナビがちょっと気を遣いすぎてて……」

『そ、そうなの……?』


 会話が噛み合っているのかも分からない、全く冷静になれる状況ではない。


『……っ、今何か変なことを口走ったかもしれないけれど、それは空耳よ』

「そ、空耳ってそういう……」

『空耳よ』

「わ、分かった……えーと、そうだ。雪理の予定がある日っていつかな」

『5月5日の金曜日ね。明日の予定についてはまた朝に連絡してもいいかしら』

「ああ、早起きして待ってるよ」

『ふふっ……いいのよ、ぐっすり眠っていてもモーニングコールしてあげるから。おやすみなさい、玲人』


 おやすみ、と返事をすると通話が切れる。モーニングコールはホテルなどに泊まった時のサービスだと思うが、バディの女の子がやってくれるとなると話は違ってくる。


「お兄ちゃん、お風呂上がったよー……あ、すっごいニヤニヤしてる」

「ニヤニヤなんてしてないぞ、人聞きの悪い」

「そんなこと言って、雪理さんと通話してたんでしょ。それとも恋詠さんかな?」

「ぐっ……ど、どちらかといえば雪理だけど……」

「ほんとに仲良しなんだね。お兄ちゃん女の子とか苦手そうだったのに、学校に通い始めてからいっぱい友達が増えちゃって」


 苦手というか、ミアとイオリ以外とは気を楽にして会話はできなかった。『旧アストラルボーダー』では男性プレイヤーを警戒している女性も多かったし、それ以前にリアルではあまり女性に接点が――と、振り返ると今の状況が改めて信じ難い。


「あ、今日は私たちは違う部屋でログインするね。さとりんが変になっちゃったから」

「あっちから来たわりに照れてたからな……俺のことはそう気にしないでくれ。喋るジャガイモくらいに考えてくれればいい」

「……お兄ちゃんのことそんなふうに思える人、いるのかな?」

「その返しは俺も反応に困るというか……普通に照れるな」

「お兄ちゃんてクールそうに見えて、そういうとこあるよねー。ときどき弟みたいっていうか」

「あ、あのな……」


 妹は悪戯な笑みを残して出ていってしまった。俺をからかうのが楽しいようだが、いつも翻弄されているばかりではないと教えてやりたい――だが妹も小平さんも良い子なので強く出られない。


「さて、俺も始めるか……」


 別の部屋でログインできるのはネトゲのいいところだが、あまり人数が多くなると回線に負担がかかりそうではある。まあ四人程度なら問題はないだろうが。

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