第百十三話 プレイヤーネーム
マイクロバスが自宅の前に到着し、皆に挨拶をして降りる。辺りは夕日に染まっていて、もうすぐ日が落ちそうだ。
玄関のドアを開けて気づく――今日も
「ただいまー」
「お兄ちゃん、お帰りー。試合はどうだった?」
「ああ、なんとか勝てたよ」
「ほんと? すごーい! 良かったー、夕食もお祝いしようと思って豪華にしてたんだよね。ねー、さとりん」
「はい、お兄さんのために腕によりをかけちゃいました」
「っ……紗鳥、そういうのってあんまりはっきり言うと……」
長瀬さんが自分のことのように照れているが、妹とその友達がお祝いをしてくれるというのに喜ばないわけもない。
「ありがとう、どんな料理か楽しみだな」
「うんうん、楽しみにしてて。お兄ちゃん、お風呂が先なら入ってきていいよ」
「試合の後にシャワーを浴びたから、俺は後でいいよ。いったん部屋に行ってるから」
「はーい。さとりん、いなちゃん、完成までがんばろー!」
「おー!」
「うん」
三人がキッチンに戻っていく――と思いきや、長瀬さんだけが何か思い立ったようにこちらにやってきた。
「あの、『アストラルボーダー』なんですけど、私も紗鳥も今日もゲーム機を持ってきてて……それで……大事な試合の後なので、お兄さんも疲れてると思うので、無理はしなくても大丈夫なんですけど」
「ははは、まあ結構大変だったけど、俺もゲームは……」
好きだから、と言いかけて思う。俺は『アストラルボーダー』に対して警戒心を忘れすぎている。
「その……面白いですよね、こういうネットゲームって。ゲームの世界を歩き回るだけでも、ずっとやっていられそうっていうか……まだ慣れてないので、ちょっとVR酔いはしちゃうんですけど」
――このゲームって、全然VR酔いとかしないですよね。
――慣れるのが早いというか、ゲームの中でも違和感がなかった。
――ゲームの中だってことを忘れている人もいる。街の外に出れば魔物がいるのに。
「あ……す、すみません、私だけ喋りすぎちゃって……」
「ああ、いや。VR酔いは、ゲーム機の設定を調整すると楽になることがあるから。後で一緒に設定しようか……って、最初にやっておくべきだったな」
「はい、よろしくお願いします」
長瀬さんは嬉しそうに頷く。
ふとした拍子に蘇る記憶。こうして戦った今でも、俺はイオリがどんな人だったのかを忘れていない。
「……そうだ。絶対に取り戻してやる」
俺が生き残り、俺が呪紋で蘇生させた三人も生きている――そうであって欲しいと願うことが強欲でも、知ったことじゃない。
仲間たちと旅をしたのは、全員で生きて
◆◇◆
ダイブビジョンを起動してロビー画面に入ると、ゲームを始めなくてもメールチェックなどができる。
《新着メールが二通届いています》
メールの内訳はイベントの告知が一通、そしてもう一つは――。
「サツキ……?」
しばらくログインできなくなると言っていた彼女からのメール。何か事情が変わったのか――とにかく、開いてみなければ。
《件名:初めてメールします》
《レイト君、こんにちは。あんな思わせぶりな話しておいてごめんね》
《私はこのゲームを、やっぱりまだ続けたいって思ってます。お母さんともちゃんと話して、なんとか分かってもらえました》
《それと、できればレイト君と一度会って話したいです。私は毎日夜にログインしてるから、よかったら連絡ください》
サツキがログインしているかはロビーでも分かる。夕食の後で時間を取った方が良さそうだが、すぐログアウトしてしまうかもしれない――考えるより行動ということで、俺はログインゲートを開いた。
《―Welcome to Astral Border World―》
ネオシティ外れに出たあと、ワープに使う『ウェイポイント』で都市の正門前に転移する。そこでサツキにコールしてみると、すぐに反応があった。
「サツキ、メールは読んだよ。続けることにしたんだな、良かったよ」
『っ……も、もー。レイト君って優しいよね、やっぱり。最初だって私のこと助けてくれたし……』
「いや、まあ……いい格好したいだけかもしれないぞ」
『そういうの、考えないでできちゃう人だよね。ヒーローっていうか……エース? って言った方がいいのかな』
「……?」
『やっぱり会ってから話したいな。ちょっとだけ時間ある? ネオシティのどこかを指定してくれたらすぐに行くから』
◆◇◆
前に会った『ネオシティ第三公園』でも良かったが、より近い場所ということで『隠れ家カフェしろ熊』を指定する。追加料金は払うことになるが、人目を気にせず話せる場所の方がいい。
個室に入っていくらも待たないうちに、ガラッとドアが開いてサツキが駆け込んできた。
「はぁっ、はぁっ……」
「あ、ああ……そんなに急がなくてもいいのに」
サツキは何も言わずにこちらを見ている。町中でスタミナが減るほど走るなんてプレイヤーはそうそういない。
「…………」
「……ん? ああそうか、猪の頭防具は外した方がいいかな」
「そ、そうじゃなくて……あ……」
《レイトが『暴走猪の兜』を装備解除しました》
猪頭のままで会話するのもシュールなので外しておくことにする。それでもサツキはなかなか席に着こうとしない。
「……レイト君、変なこと聞くけど……レイト君って、どこかの総合学園に通ってる?」
総合学園は『この現実』において、冒険科や討伐科などを備えている学校のことだ。それ自体は決して珍しくないので、答えても支障はない。
「ああ、この春から通ってるよ」
「……その……学校対抗の、交流戦の選手だったりはする?」
「っ……あ、ああ。一応、選手ってことになるかな」
今日まさに試合をしてきたばかりだが、それを言うと特定が容易になる――いや、それよりも。
「それを聞こうと思った理由は?」
「……やっぱり。聞き間違いじゃなかった……スナイパーだった私のところにやってきたあの子が呼んでた名前……」
「スナイパー……それって……」
「……じゃあ、今日の試合には、出てた? 首を振るだけで答えて」
言葉にすればログが残る。個人情報に関わる部分は検知されて自動的に伏せられるようになっている――『今日の試合に出ていた』というだけでは特定には至らないが、念のために言葉以外でやりとりをしたいということだろう。
どうすべきか考えたが、サツキの切実な様子を見ていると嘘はつけない。
首を縦に振る――その瞬間、サツキは感極まったように目を潤ませた。ゲームのグラフィックとはいえ、ここまで再現されるとは。
「……やっぱり。今日の試合の前に顔を合わせたのは、レイト君だったんだ」
「っ……ま、待ってくれ。サツキはどうやって俺のことに気づいたんだ?」
「その声。レイト君が話してる声で分かったの。ゲームの中だとちょっと違って聞こえるけど、でもやっぱり同じ……試合が終わったあとに、討伐隊の人たちと話してたでしょ? あのときも、私たちは少しだけ聞いてたの。すぐに撤収命令がかかっちゃったけど」
仁村と岩井さんの二人だけではなく、響林館のメンバーが様子を見ていたということらしい。
「いいのかな、こういう話しちゃって……」
「たぶん、住所とかを言わなければ大丈夫だと思うけど……スナイパーってことは、あの人だったんだな」
サツキはこくりと頷く。そして、俺の対面に座った――さっきから顔がずっと赤いままだ。
「ゲームの中だけだと大事なやりとりはできないから、後でSNSのアカウント教えるね」
「分かった、俺はSNSはやってないけど、そのためにアカウントを作るよ」
「ありがとう。レイト君……って、ゲームの中でも呼びすぎるのは良くないかな?」
「それは気にしなくていい、サツキみたいに気づく人の方はごく
「ふふっ……猪くんの兜は目立っちゃうけどね。それ、結構レアな装備じゃない?」
「MVPの報酬だけど、ネオシティ近隣のやつだからな……みんな取っても装備してないだけだと思う」
楽しそうに笑うサツキを見つつ、俺は再び猪頭の姿になる。ツボにはまったのか、サツキはしばらく笑っていた。
「良かった。前に会ったとき、元気がないように見えたから」
「あ、あれは……それは確かにそうだけど。でも、私にも良く分からなくて」
「分からないっていうのは?」
「……どうしてこのゲームをやってることを、お母さんが不安だって言うのか。私自身が、どうして始めてみようと思ったのか」
まだ、サツキの話は繋がってこない――だが、何かが見えてきている。
「でも……何故なのか分からないけど。今日の試合のとき、警報が鳴って……
今日の試合場となった特異領域でサツキは――速川さんは、何かを感じた。
警報が鳴った後に姿を現したのは、イオリ。イオリの名字は『ハヤカワ』だ。
その符合が意味するものは何なのか。なぜ、イオリはあの姿で現れたのか。
イオリのいない彼女の家は、今どうなっているのか。
「……まだ考えが全然整理できてなくてごめん、何言ってるか分からないよね」
「俺もサツキに話したいことがある。けど、ここではまだ話せない」
「うん……ゲームの外で。今日は親が呼んでるから、そろそろ行かないと」
「話せて良かった。それと……試合でのサツキは、強敵だったよ」
「あはは……ごめん、私全然愛想悪くて。試合相手にへらへらしてちゃダメだけどね」
――速川、どうした?
――何でもない。たぶん、気のせいだと思う。
――無理しないでね、私たちのチームは
確かに速川さんは、ゲーム内での『サツキ』と比べるとかなり違う印象だった。
「そうか……そのプレイヤーネームは、そこから来てたのか」
「あ、気づいてくれた? 気づいちゃうと単純なネーミングで恥ずかしいんだけど……」
速川鳴衣――『メイ』は英語で5月のことだ。5月、つまり
「俺も人のことは言えないからな」
「でも、そのおかげで気づけたから。レイト君が別の名前だったら、こうやって会ったりもできてないし」
「……じゃあ、俺も単純で良かったんだな」
「こうやって友達になれたしね」
そう思っていたが、ログアウトしてからの世界では、ゲームに対する関わり方自体が変わってしまったようだ。
「あ……私まだ夕ご飯食べてないんだ、実は。帰ってきてからずっとログインしてて」
「ああ、俺も。じゃあ……今日はおやすみかな」
「うん、おやすみ。私もレベル上げしてたんだけど、ちょっと疲れちゃって」
「今度のイベントに参加するためってことか? それなら、パーティでも組もうか」
「ほんと? 人数制限とかないんだったら、私の友達も連れてくるよ。今日の試合にも出てた子なんだけど……あっ、それじゃ、また後でね!」
母親に呼ばれているというのは本当のようで、かすかに音声が漏れていた――と、俺の方も妹が呼ぶ声が聞こえている。
「お兄ちゃーん……あ、聞こえてた?」
「お兄さん、ご飯ができましたよ」
「もう始めちゃってたんですね。後で私たちとも一緒に……いいですか?」
「少しログインして知り合いと会ってたんだ。後でまたやろうか」
三人に囲まれて様子を見られている状況に多少驚いたが、これくらいで動じる兄ではない――なんて冗談を言えるほど、俺は英愛の『お兄ちゃん』でいられているんだろうか。
「実はお兄ちゃんが全然返事しないから、顔に落書きしちゃおっかなって話してたの」
「えっ……わ、私は、やめた方がって……」
「紗鳥、こういうときは一蓮托生だから。お兄さん、すみませんでした」
この三人もなかなか侮れない。俺にできるささやかな抵抗は、それぞれ軽めにチョップをするくらいだった。
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