第百十一話 限界の先
建物をいとも簡単に破壊する、女魔人の射撃――それはもはや狙撃というレベルのものではなく、破壊を撒き散らす超広範囲攻撃だった。
『――玲人さんっ……!』
磁場が乱れている状態なのか、ブレイサーを通じて聞こえる黒栖さんの声にはノイズが混じっている。
俺は崩壊を免れたビルの陰で、黒栖さんと通話していた。幾島さんから送られてくる映像では、女魔人が射撃を止めて周囲を睥睨している。
「黒栖さん、今この特異領域に強力な敵が現れた……どこから現れたかは分からないが、俺たちを狙って攻撃してきている。そこに響林館の選手はいるかな」
『はい、速川さんが……』
「彼女を連れて脱出するんだ。敵は北西の方向、上空から俺たちを狙ってきている」
『……駄目……私は、逃げられない……』
『速川さんっ……いけません、外に出たら……っ!』
「速川、そこにいるなら聞いてくれ。俺は風峰学園の神崎という。君とは後で話したいことがある……けれど全ては、この場を生きて切り抜けてからだ」
黒栖さんのコネクターを通じて、速川が逡巡するのが分かる――彼女は震えるような息をしたあと、かすれた声で言った。
『……神崎君……この子が、君のことを「れいと」って……』
「神崎玲人、それが俺の名前だ。今はそれよりも……」
『……分かった。必ずこの子と一緒に外に出るから、玲人君も気をつけて』
「黒栖さん、俺も必ず後から行く。みんなと一緒に特異領域の外で待っていてくれ」
黒栖さんはすぐに返事をしなかった。その葛藤が俺を残して行くことに対するものだと、痛いほど分かっている――それでも。
『……分かりました。速川さんと一緒に、脱出します』
「ありがとう」
《玲人様、運営委員会より避難警告があったため、折倉班、伊那班はすでに脱出を開始しています》
通信でそれぞれを説得している時間はない。雪理、そして伊那さんの判断は正しい――女魔人と戦って生き残れる可能性があるのは、今この領域にいる中では俺だけだ。
『――地形が大きく変化しています。マップを再度共有します』
幾島さんから送られてきたマップのデータを見て俺は絶句する――試合が始まったときとはまるで違う。
「とんでもないな……攻撃した方向全部が瓦礫の山だ」
《……玲人様、笑っていらっしゃるのですか?》
俺の正気を疑うようにイズミが聞いてくる。無理もない、俺の頭にある考えは、恐怖とはかけ離れた感情だからだ。
「魔女神がイオリの姿に似せた、全く別人の悪魔を送り込んできたのかもしれない……だとしても、あの能力は俺の知っている仲間の面影がある」
――私が理想とするのは、超長距離からの一方的な攻撃による完封。
――イオリ、それはFPSでいうと塩試合ってやつじゃ……。
――相手の攻撃を受けずに一人でも多く倒せば勝ちが見える。ただ、それだけ。
ソウマの指摘にも揺るがずにイオリはそう言っていた。
女魔人の戦術もまた同じだ。交流戦の準備段階から、俺たちは狙撃手の速川を警戒して作戦を練った――今の状況もまた、敵からの攻撃が段違いの威力ではあるが、やるべきことは変わらない。
(俺の呪紋が届く間合いに入る……『フォースレイクロス』の射程が約1マイル。千六百メートル以内にどう近づく……?)
《警告 名称不明の魔人が魔力集約開始 付近の大気中魔力枯渇》
「っ……!!」
超長距離からの一方的な攻撃。遮蔽物をものともしない破壊力による、文字通りの蹂躙。
マップを見て血の気が引く――女魔人の狙う方向は、西側のゲートに向いている。
身体が動いていた。防がなければならない、何としても――だが。
《名称不明の魔人の攻撃 スキル名不明》
スキル名不明――いや、俺は知っている。猟兵のレベル10射撃スキル『ウルティマレールガン』。
最長射程、最高速、最大単発威力を誇り、魔神アズラースの装甲を削ったスキルでもある。しかしそれに、建物を破壊する対物性能が追加されている。
(レベル10を超えた……
『ククッ……ハハハッ……アーッハハハハッ……!!』
まるで破壊を、俺という獲物を見つけたことを心から喜ぶかのような愉悦の哄笑。
「……それなら俺も超えなきゃな……今、ここで……!」
《神崎玲人が未登録のスキルを発動》
『呪紋創生』を発動し、ありったけの防御呪紋を融合させる――かざした手の先で、文字と紋様が重なり、新たな形を作る。
『スクリーンスクエア』『エンデュランスルーン』『シェルルーン』。複合した防御効果を持つ魔力の壁は、結界とも言える堅牢性を手に入れる――しかし。
『……私と同じ……因子を持つ者は、他に必要ない……!』
放たれたのは黒い滅びの光。着弾は一瞬だった――しかし『呪紋創生』で作り出した防壁は、俺に生き残るだけの
(これを防いでも……
俺の射程が届かない距離まで、女魔人は逃げるだろう。盲信に近くても、そうするだろうという確信があった。
倒す術のない射程外の敵を追い続ければ、いずれ反撃で疲弊し、力尽きる。今まで戦ってきた相手とは、一撃を受けて生き残るために使う
――それでも。
「諦められるかよ、二度と……!」
女魔人を倒す。そうしなければ何も始まらない――この戦いに、勝たなければ。
『――あなたが諦めないなら。私たちは、絶対にあなたの力になる』
《折倉雪理が固有スキル『アイスオンアイズ』を発動》
曇天の空の下。全てが白く染まる――幻の冷気とともに。
「――雪理っ……!?」
まだ領域内に残っていたのか。幾島さんもイズミもどうして知らせなかったのか。
『私も玲人さんの力に……あなたのために、私はここにいるんですから……っ!』
黒栖さん――頭をよぎるのは、一つの可能性。
黒栖さんが『セレニティステップ』を使い、合流した雪理を背負って、『アイスオンアイズ』の効果範囲まで近づいた。
『あ……あぁぁっ……ぁぁぁぁぁっ……!!』
雪理の瞳が持つ力は、俺も使われるまで知らないものだった。女魔人にとってもそれは同じ――しかし。
《名称不明の魔人が『アイスオンアイズ』を解除》
『――あぁぁぁぁぁっ!!!』
「くぅっ……!!」
空を引き裂くような絶叫と共に、『アイスオンアイズ』の効果が解ける。女魔人は力技で束縛を解き放った――しかしただでは済まず、その眼は真っ赤に染まっている。
『私に何をした……人間ごときが、私に……何をしたぁぁぁっ!!』
《名称不明の魔人の攻撃 スキル名不明》
視認された雪理と黒栖さんを狙い、女魔人が巨大な銃を構える――しかし。
俺は呪紋が魔人に届く位置まで、彼女の間合いの中に入り込んでいた。
「おぉぉぉぉっ……!」
《神崎玲人が固有スキル『呪紋創生』を発動 要素魔法の選定開始》
《回復魔法スキル レベル8 『ブレッシングワード』》
《特殊魔法スキル レベル10 『デモリッシュグラム』》
俺の足元から発生した『デモリッシュグラム』による結界が、女魔人の防御結界とせめぎ合う。
『――その目を、私に向けるな……っ!!』
女魔人の攻撃が発動するのが、一瞬早い――『呪文創生』が完成するまで、俺は全くの無防備になる。
しかしそれは『イオリが知っている俺』ならばの話だ。
《神崎玲人が『魔力眼』を発動》
――射撃をかわすには、着弾点から一歩でも横に動ければいい。
――それは撃たれた後に反応しなきゃいけないってことかな?
――そういうのって、動体視力が良ければできるんでしょうか。
魔力を集中させた瞳が、放たれた魔力の弾丸を知覚した瞬間に、俺はただ一歩だけ横に移動する。
髪を揺らし、すぐ横に弾丸が着弾する。女魔人の狙いが正確であるからこそ、こんな無謀な回避を成功させることができた。
上空の女魔人が眼を見開く。それすらも、『魔力眼』で強化された視界が捉えている。
《神崎玲人の攻撃魔法スキルが限界突破 スキルレベル11に到達》
俺が今必要としている力は、ただの呪紋師では到達できない『レベル11』のスキル。
そして
「――行けぇぇぇぇっ!!」
《攻撃魔法スキル レベル11 『アカシッククロス』》
ただ相手を倒したい、それだけが勝つことではない。
俺が求めた力は、魔人に変化したイオリにあるべき姿を取り戻させる呪紋。
「――あぁぁぁっ……!!」
ブレッシングワードを使うことで、呪紋に聖属性が宿る。女魔人の黒い魔力と、俺の魔法がせめぎ合い、白と黒の雷がほとばしる。
「玲人……っ、あの魔人の姿が……!」
「……人間に……あの人は、一体……」
『アカシッククロス』は、対象に起きている魔力的な影響を取り除く力を持つ。その過程で対象がダメージを受け、無力化されるために『攻撃魔法』に分類される。
それで女魔人が、もし人間に戻るなら――彼女もまた、ウィステリアと同じように、悪魔に操られていることになる。
イオリの白かった髪の色が、黒く変わり始める。
俺がよく知っている、ガンナーのイオリがそこにいた。
「イオリ、俺だ! レイトだっ……!」
魔力眼の映し出したイオリの唇の動きは、俺の言葉に応えているように見えた――しかし。
《警告 至近距離で特異現出発生》
イオリの背後の空間が歪み、そこから手が伸びてくる。攻撃魔法は放てない、無力化しているイオリは何の防御力も持っていない。
『――役目を果たす前に消えてもらっては困る。因子はいずれ全て回収する』
響いてきたのはひどく歪んだ、男とも女ともつかない声だった。
イオリの姿は消え、空に伸ばした手の行く先を失う。
握りしめた拳に、冷たい手が触れる。『アイスオンアイズ』を発動していた雪理の青色の瞳が、元の色に戻っていく。
魔人化したイオリの力は、俺が知っている彼女の力を上回っていた。そんな彼女に立ち向かい、貴重なチャンスを作ってくれた――雪理の勇気には、いつも心を動かされる。
黒栖さんは言葉もなく、ただ俺を見ている。その瞳から、涙が一筋溢れる――それを見て俺も気づいた。
気づきもしないままに、涙が流れていた。
ようやく会えたことに対する喜び。敵と味方として再会したことを、今も否定したくて仕方がない――そしてイオリを操っている何者かに対する憤りが、胸の中をかき乱す。
「あの人のことも、玲人は助けたいと思っているのね」
「……ああ。あと少しだったのに……元の姿に、戻りかけてたのに……」
黒栖さんが、雪理が触れた俺の手に、さらに自分の手を重ねる。涙に濡れた瞳を拭いながら、彼女は言った。
「必ず、連れ戻せます。ですから……玲人さんに、もし抱えているものがあるなら……」
「……私たちに、教えて。私たちもあなたの力になりたい、そのためにここに残ったの」
二人がいてくれなかったら、俺はイオリに近づくこともできないままだった。
だからこそ、言わなければならないと思う。
「二人を危険に巻き込むことになるかもしれない。それでも……」
「それでもいいと言っているでしょう。私たちのことを甘く見ないで」
「玲人さんと過ごす日々を、これからも続けたいから……だから、無理をしない範囲で、玲人さんのことを教えてください」
皆と一緒に強くなる。それはもう、上辺だけ取り繕った考えであってはならない。
前に進むには、雪理、黒栖さん、そして皆の力が必要だ。呪紋師ができることは限られていて、この世界でやらなければならないことは数多くあるのだから。
「まず、外に出ましょう。あなたを一人にしておくと不安だから……」
雪理と黒栖さんがそれぞれ俺の手を引く。それは過保護じゃないかと、いつもの俺なら言っているところだ――それでも。
三人で、荒れ果てた道を歩いていく。ゲートの外で待っていた仲間たちが、再び中に入ってきている――幾島さんと、姉崎さんまで。
「……交流戦、初勝利のお祝いもしないとな」
そう呟くと、俺の誰にでも誇ることのできるバディ二人は、揃って輝くような笑顔を見せてくれた。
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