第百五話 微睡みの中

 俺が風呂から上がると、英愛が姉崎さんからの電話を受けていた。話し終わると、今度は俺自身にかかってくる。


 「お兄ちゃん行ってくるね」と英愛は小声で風呂に行く旨を伝えてきて、俺は頷きを返す。居間のソファに座ると、フワリが膝の上に乗ってきた。


『ごめん、あーしが知らない間に妹ちゃんのバッグに入っちゃってたみたい』

「ああ、それなら明日学校に連れていって、武蔵野先生に預かってもらっておくよ」

『ほんとにごめんねー。はー、今日フワリちゃんと寝ようと思ってたのに』

「姉崎さんも今日はお疲れ様。ゆっくり休んで」

『うん。レイ君めっちゃ優しい、怒られると思ってたから安心しちゃった』

「俺もフワリを見てるのは嫌いじゃないしな……今膝の上にいるんだけど」

『えー、可愛すぎない? 自撮り送ってくれたりしない?』

「はは……自撮りってしたことないんだよな」

『じゃあ今度やり方教えてあげる。あーしんち、配信に使うカメラとかあるよ。動物とか人気だから結構見てもらえるかも』

「配信か……可愛いとはいえ、魔物の姿を流すっていうのもどうなのかな。でも興味はちょっとあるよ」


 話しているうちに英愛がフワリを呼ぶ。フワリは俺の膝から降りて走っていく――爪の音がしないので、肉球がクッションになっているらしい。


『これであーしんちにもレイ君が来る用事ができちゃった……ってコト? なんて、レイ君忙しいからね。あーしはみんなと一緒の時に参加できたらいいかな』

「姉崎さんと会ってから、結構一緒にいる気がするな。まあ、みんなまだ知り合ったばかりなんだけど」

『こよちゃんもそう言ってたよ。レイ君と会ってから友達が増えて嬉しいって。レイ君と一緒にいられるのが一番楽しいって言ってたけどね。まあ他にもいろいろと……あー、言いたーい、でも言えなーい』


 これは――たぶん、黒栖さんが姉崎さんにマッサージをしてもらったと言っていたので、その時に話したことなんじゃないだろうか。黒栖さんは恥ずかしがっていたので、これ以上聞いてはいけない。


「姉崎さん、あまり黒栖さんを困らせるのは駄目だよ」

『うん、分かってる。こよちゃんめっちゃ可愛いから、今度あーしがメイクしてあげよっかって言ったんだけどね』

「っ……黒栖さんがギャルメイクを……?」

『あーしだってナチュラルメイクだってできるし、普通に可愛くできるよ。そんなわけで、交流戦が終わったら今度はあーしらと遊ぶ……っていうのは駄目?』


 勢いで押し切るわけでもなく、急に弱気になる姉崎さん。


 緊張している息遣いが伝わってくる――実を言うと、姉崎さんのようなタイプが今まで周りにいなかったので、なぜこうも仲良くできているのかと自分で不思議になる。


「俺は大丈夫だけど……って、だいたい誘われたらOKしてるみたいだけど、節操がないとかじゃないよ」

『あはは、あーしもまだレイ君と会って全然経ってないけど、レイ君のことちょっとは分かってきたつもりだから。遊び人とか全然思ってないよ?』


 遊び人は成長すると賢者に転職するらしいのだが――と、それはゲームの話だ。


『あ、ほんとに思ってないです、レイ君みたいな人だとみんな安心できるよね。あーしたちのこと、見守っててくれる感じっていうか……』

「それはどうかな……って、せっかくの信頼を落とさないようにしないとな」

『……今のちょっとなんてゆーか、あーし的には良かった。レイ君って、実はワイルド系の方が……こら、服脱ぎっぱなしにしない! お姉ちゃん電話してるからちょっと待ってて!』


 どうやら『お姉ちゃん』と声が聞こえたので、姉崎さんが妹さんに話しているようだ。


『あーごめんね、妹がお風呂入るから入れてこなきゃ』

「そうか……姉崎さん、お姉さんって感じがしたよ」

『えー、それって褒められてるのかなあ……まいっか、おやすみレイ君』

「ああ、おやすみ」


 電話でも姉崎さんのバイタリティは凄かった。話しているだけで圧倒されてしまう。


 妹はまだ風呂にいるようなので、一度自室に戻ることにする。フワリは本当に大人しく風呂に入れられているようだ――英愛には魔物使いの才能があるのかもしれないが、実際の職業はまた別なのだろうか。


   ◆◇◆


 英愛が風呂から上がったあと『アストラルボーダー』に少しログインし、今日も今日とてレベル上げをする。ベータテストでもデイリーボーナスがあるので、それを逃さないためというのもある。


「ふぁ……お兄ちゃん、お疲れ様」

「ああ、お疲れ」

「今日は『リズファーベル』出てこなかったね。すごく似てると思うから、フワリちゃんと比べてみたかったのに」

「レアモンスターだからな。ゲームの魔物と実際の魔物が似てるってのも、いいのかと思うところだけど」


 偶然かもしれないのでなんとも言えないが、現実と同じスキルを使えるシステムがある以上、現実の魔物を参考にしていないとも言えない。


 今の運営は一体どんな方針なのか、何のためにそんなシステムを実装したのか――このゲームと俺の経験したデスゲームが似て非なるものであっても、やはり考えずにはいられない。


「それじゃお兄ちゃん、私寝るね。おやすみー」


 すでにベッドの端で丸くなって寝ていたフワリを、英愛が抱き上げて連れて行く。


 『アストラルボーダー』のβテストに参加したのは、ただのゲームであることを確認するため――もしそうでないなら、仲間たちの手がかりを探すためだった。


 ログインを続けて理解したことは、このゲームは――憎らしいほどに出来が良く、時間を費やしたくなるような内容だということ。


 例えデスゲームでも、仲間たちと冒険したあの世界が、俺は憎みきれないということ。そんな考えは馬鹿げているし、ログアウトできずに死んでいった人たちへの裏切りだ。


「……ソウマ。ミア。イオリ……」


 仲間たちに再会するため、新たな手がかりを得るために何をすべきなのか。時間を浪費するわけにはいかない。


 ベッドに横になり、目を閉じる。短い眠りしか必要としなくても、睡眠は脳を整理してくれる――だから、今は少しだけ眠る。


   ◆◇◆


 ――薄く目が開く。


 まだカーテンの外は暗い。明かりを消した覚えはないが、部屋は暗くなっている。


 何気なく、横に視線を向ける。


 目の前に、妹の顔がある。目を閉じて、安心しきった様子で眠っている。


(完全に落ちてた……寝込みに侵入されるとは。俺もまだまだだな)


 冗談めいたことを考えつつ、俺は妹を起こさないよう、再び仰向けになって目を閉じる。


「……お兄ちゃん、起きちゃった?」

「ん……なんだ、寝てないのか」

「ううん、寝てたよ。まだ眠いし、もう少しここで寝たいな……駄目?」

「俺はいいけど、狭くないか?」

「えへへ、大丈夫。だってお兄ちゃん、隅っこに寄って寝てるんだもん」

「……隅の方が安心するとか、そういうの無いか?」


 英愛はくすっと笑って、少しだけ後ろに下がった。俺のためにスペースを開けてくれているらしい。


「……お兄ちゃん、あ、あのね……」

「……どうした?」


 さっきは下がったはずの英愛が、身体を起こす。そして、俺を上から見てくる。


「……兄妹って腕枕とかしないよね、普通は」

「ま、まあ……普通は、そうだろうな」


 仲が良い兄妹でもそれぞれの部屋が欲しかったりして、一緒に寝たりするのは子供の頃だけの話――それが俺の考える『普通』だ。


「お兄ちゃん、さっき狭くないかって言ったから……だから、駄目……?」


 それはもう少し寄った方がいいんじゃないか、という意味ではなく、自分の部屋で寝た方がいいとか、そういう意味で。


 しかしそれを言ってしまうのも、どうなのかと思う。普通ならこうするとかじゃなく、自分がどう思うかだ。


「……少しだけなら。いいのか、そんな甘えん坊で」

「えー……そういう意地悪言っちゃうんだ」


 それは照れ隠しのようで、英愛は俺が腕を差し出すと、そろそろと頭を預けてくる。


「……凄く落ち着く。フワリちゃんは足元のとこにいるよ」

「そうなのか……それにしても、急にどうしたんだ。怖い夢を見たとか?」

「ううん、そうじゃないけど。夢は見たんだけど、それは関係なくて、何となく……」

「……そうか。こうするのは時々だけだぞ、起きた時驚くからな」

「ごめんなさい。でもお兄ちゃんと一緒に寝てるとあったかいし、落ち着く」

「夏になってきたら、そう言ってもられなくなるけどな」

「それならエアコンで、冷蔵庫の中みたいに冷やして寝ればいいよ」

「エコの欠片もない話だな、それは」


 話しているうちに英愛がうとうとと目を閉じて、寝息を立て始める。少しだけと言ったのに、このまま寝るつもりのようだ。


「……起きたら部屋に戻るんだぞ」

「うん……もうちょっとだけ。おやすみ、お兄ちゃん……」


 噛み合っているようで噛み合っていない。それでも怒る気にはなれない。


 中学校での悪魔の襲撃から、それほど日が経っていない。ふとした時に思い出してしまうようなこともあるかもしれないし、落ち着くまではこうしていてもいい。


 朝までは時間がある。今日はいつもよりも長く眠る、たまにはそれも悪くはないと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る