第百話 トレーニングタイム

 風峰学園の構内にあるトレーニングジムは、一階がプール、二階がトレーニングルームとなっている。


 ジャージに着替えてトレーニングルームに行くと、雪理、坂下さん、黒栖さんの三人が話をしながら待っていた。


「せつりん、揺子ちゃん、こよちゃん、お待たせー!」

「姉崎さん、凄く上機嫌ね……何かあったの?」

「あーしも今日早めに来てたんだけど、駐輪場の近くでちょっとね」


 今は姉崎さんではなく、英愛がフワリを連れているのだが――雪理たちに紹介する前に。


「きゃっ……えっ、あ、あの、この子は……っ」

「やっぱり人懐っこいよね。魔物っていうイメージもあんまりないし」

「魔物……一体何をしてきたのか、まず聞いておく必要があるわね……こら、おいたは駄目よ」


 黒栖さんの胸にしがみついていたフワリを、雪理はこともなく後ろからむんずと掴むと、特に抵抗されることもなく抱っこする。


「えへへー、あーしがこの子見つけたんだけど、そのままにしておくのも心配だから飼うことにしちゃった」

「魔物研究部に行って、飼えるように調教テイムっていうのをしてもらってきたから。俺たちの言うことはよく聞いてくれると思うよ」

「そうなのね……魔物なら油断できないと言いたいけれど、見た目はリスみたいで……」

「可愛いですよね。名前はフワリちゃんっていうんです」

「……可愛い名前なのだけど……何か意味があるのかしら、前足で胸を押してくるのだけど」

「なんだろうね、あーしもされたんだけど、習性か何かじゃない?」

「……お嬢様、私も抱かせていただいてもよろしいですか?」

「え、ええ。そんなに切実な顔をしなくてもいいけれど」


 雪理が坂下さんにフワリを渡すと、坂下さんは恐る恐るという感じで受け取る――彼女は可愛いものに弱いというか、そういうところがあるようだ。

 

「一時間だけ借りてあるから、早速始めましょうか。玲人、私と同じメニューで大丈夫?」

「えっと……実は俺、こういうところでトレーニングするのは初めてなんだ」

「そうなの……? その筋力をトレーニング無しでつけるのは大変だと思うのだけど」


 VRMMOの中でレベルを上げたら筋力も上がっていた――といっても俺の筋力はDランク相当なので、物凄く高いわけでもないが。


「まず、あちらのトレッドミルで軽く走って身体を温めましょう。そのあとは下半身の筋力からつけていくのが良いと思います。英愛さんもトレーニングはされますか?」

「はい、せっかく来たので。お兄ちゃんが頑張ってるところを応援するのも妹のつとめですけど」

「ふふっ……妹さんはお優しい方ですね、神崎様。では、私が指導にあたります」

「揺子、ちゃんと手加減してあげてね。あなたはトレーニングとなるとストイックすぎるところがあるから」

「じゃあ、あーしは全体を見ててあげる。あーしって見てるだけでも意味があるんだよね、トレーニングが捗るっていうか」


 まずトレッドミルに乗って十分ほど走る――姉崎さんも普通に参加しているが、走り終えると少し息が上がっていた。黒栖さんもだ。


「姉崎さん、疲労はすぐに回復してもいいのかな」

「ふえ? あ、あーしなら大丈夫だよ、これくらい負荷かけないとトレの意味ないし」

「玲人は回復魔法を使えるからということね。姉崎さん、どうかしら」

「レイ君ってそんなこともできるの? トレーニングって回復まで時間をかけて待たないといけないんだけど、魔法でできたらヤバいよね……ふぁっ……」


《神崎玲人が強化魔法スキル『マルチプルルーン』を発動》


《神崎玲人が回復魔法スキル『ヒールルーン』を発動》


「え、な、なに……身体が、熱っぽいっていうか……いきなり温泉入ってるみたいなんだけど……っ」

「っ……疲労がなくなってます。さっきまで息切れしていたのに……」

「あなたがいると、トレーニングというものの常識が変わってしまうわね……ありがとう、玲人」


 普通なら筋肉が疲労するまで追い込み、超回復を起こして筋力を上げていくのだろうが、『ヒールルーン』で回復しても効果があるならそれに越したことはない。


「はー、走ってる時より熱くなっちゃった……レイ君の魔法って……せつりん、こよちゃん、なんかムズムズしない……?」

「え、ええと……それは、回復をしているということなので、気のせいだと思います……っ」

「黒栖さんがそう言うのなら、私もそうだと思うわ。回復しているだけで、変な感じなんてしていないし」

「あははー……じゃあそういうことにしとこ。レイ君、もうばんばん回復しちゃって。あーしは覚悟できてるから」

「疲れた時は言ってくれたらすぐ回復するよ。雪理、次はどうする?」

「大きな筋肉から鍛えていきましょう。下半身から……まずは大腿筋、レッグプレスね。私から見本を見せるわ」

「っ……」


 雪理がジャージを脱ぐ――このままトレーニングを続けるのかと思っていた俺は、不意を突かれて固まってしまう。


(スパッツ……それにしては長い。ロングスパッツっていうのか? というかへそが出てしまってるんだが……)


 昨日見た水着ももちろん衝撃を受けたが、それとはまた別の落ち着かなさがある。雪理だけでなく黒栖さんもジャージを脱ぐが、彼女は雪理と比べると肌をあまり出していない。


「あーしとみんなでウェア選んだんだけど、レイ君のもまた今度選んであげよっか?」

「い、いや……俺は今ので問題ないよ」


 姉崎さんもジャージを脱ぐと、雪理と近いデザインのトレーニングウェアを着ていた。髪を左右で束ねて、ここからが本番という装いになる。


「黒栖さん、髪は束ねておいたほうがいいわね」

「ありがとうございます」


 雪理と黒栖さんも髪をアップにする――トレーニングとはこんなに動揺させられるものだったのかと、心構えのできていなかった自分を反省する。


「姉崎さん、マシンの調整をお願いできる?」

「はーい。ちゃんと自分に合わせてセッティングしないと効果出ないからね」


 姉崎さんが調整したマシンに雪理が座る。かなりウェイトを重くしても、雪理は特に苦にしていないようだ。


 続けて黒栖さんがレッグプレスを始める。彼女の場合はウェイトを軽めにしても、少しプルプルと震えていた――やはり雪理の方が筋力は高いということか。


「ふぅっ……ん……な、なんとか、できました……っ」

「うんうん、ちょっとエッチな感じになっちゃってるけどいい感じだよー。こよちゃん意外と筋肉あるね」

「い、いえ。折倉さんと比べたら、全然負荷が軽いので……」

「やっぱり大きいおっぱいには支える筋肉も必要なんだよね。バランスよく鍛えていこうね、肩こりとか軽くなるし。あ、レイ君に治してもらえばいいか」

「あ、あのな……」

「……支える筋肉……あまり意識していなかったけれど」


 雪理が言いながら、該当しそうな部分の筋肉を自分で触っている――全くとんでもないトレーニングになってしまったものだ。


「レイ君どうしたの、なんかいい笑顔だね」

「いや、もっと自分を追い込んでいかないといけないと思って」

「あ、そんな感じ? じゃあ後でめっちゃヘビーなやつやろっか。バーベルスクワットっていうんだけど」

「ああ、やってみるよ。難しそうならスキルを使うかもしれないけど、いいかな?」

「いいよー、もう回復魔法使ってくれてるし。レイ君がいるとトレーニングが捗るよね、インターバルとかとらなくてもいいし」


《姉崎優の恒常スキル『経験促進』が成長》


『っ……イズミ、今のは……?』


《姉崎優様のスキル効果が強化されました。スキルレベルが2に上昇したということです。代わりに彼女は『成長傾向』を消費しています》


『成長傾向……俺の知識の中でいうと、スキルポイントみたいなものかな』


《そう考えられます。私は玲人様のステータスを参照したことで『スキルポイント』という概念を理解しておりますが、一般的にはその存在は知られておりません》


『そういうことか……その成長傾向っていうのは、やっぱり自分で制御できるものじゃないのかな』


 イズミは即答しなかった――俺も順番が回ってきたのでレッグプレスを始めると、しばらくして答えが返ってきた。


《玲人様の視点を介することで、私は姉崎様のスキルレベルが上がったことを観測することができました。そして玲人様はこれまでにスキルポイントを使用して、能動的にスキルレベルを上げておられます。これらの現象の延長上で、他者のスキル情報の閲覧、スキルポイントに対する干渉が可能かもしれません》


 スキルポイントについて、俺の会った人たちは存在を知らない。しかし、確かに存在している――イズミが見せてくれた俺のステータスにも記載はあった。


「レイ君、お疲れさま。これくらいのウェイトだと全然余裕?」


 姉崎さんに、彼女のスキルレベルが上がったことを伝えるべきか――現状では、俺たちにトレーニングの指導をしてくれたことで成長傾向スキルポイントが消費され、レベルが上がった。つまり、自然に彼女が成長したということだ。


「ああ、まだいけるよ。もうちょっと重くしてくれるかな」

「うん、分かった。せつりんとこよちゃんは休憩終わった? 次はチェストプレスね」


 姉崎さんが皆に指示出しをしながら、俺のマシンに重りウェイトを追加する。


「……ちょっとでも力になれたらいいんだけど。あーしができることって、これくらいだから」


 ――そう、彼女が俺だけに聞こえるくらいの声で呟いた瞬間だった。


《姉崎優が新規スキルを習得可能》


 新規スキル――この状況で。取得したのではなく『取得可能』とはどういうことか。


《姉崎様が能動的に、皆様方に対する感情バイオリズムに基づいて、スキルを取得したいと希望されています》


『っ……そういうことなのか。そうやってスキルを覚えていくんだな……』


《何かのきっかけを得ることで、スキルを実際に取得することになると思われます》


 俺がここで何かをしなくても、いつか姉崎さんは、自然に今覚えようとしているスキルを習得するのかもしれない。


 しかしスキルポイントを振る方法がまだ分からないのなら。彼女がここで新たなスキルを覚えることは、きっとマイナスにはならない。自力で覚えたスキルを、皆は有効に使っているのだから。


「姉崎さんに指導してもらって、強くなれるように頑張らないとな」


 何気ない一言。それが最良なのかは分からない、思っていることを伝えるだけ――。


「あ……ありがと。ごめんね、今の聞こえちゃってた?」


《姉崎優が特殊スキル『ビルドメソッド』を習得しました》


(ビルド……メソッド?)


 これまで他の人がスキルを新たに習得したかどうかというのは、感覚的にそうなのではないかというくらいだったが、今回はイズミが明確に伝えてきた。


「レイ君、レッグプレスはあと五回で終わりね。腹筋を意識して、足を伸ばして、縮める……おお、腹筋板チョコみたいに割れてるね」

「っ……あ、姉崎さん、笑わせないでくれ……」


 臆さずに俺の腹筋に触れて楽しそうにする姉崎さん――ボディタッチの敷居が低いというか、彼女も結構距離感が近い。


「筋肉って褒めた分だけ伸びるから。あーしも上腕三頭筋トライセプスには自信あるからね、ここのとこ」


 姉崎さんがジャージを脱ぎ、筋肉を指し示しながら言う――彼女も雪理たちと同じ少し大胆なウェアを着ているとは不意打ちだった。


「あーしの家でもジムやってるからね、トレーニングのことならなんでも聞いて。お兄ちゃんお姉ちゃんなんてもっとキレッキレだから」

「スポーツ一家なんだな、姉崎さんの家は」

「あーしはみんながトレーニングしてるのを見るほうが好きだけどね。それで職業がトレーナーになったのかも……はいあと一回、頑張ってー」


 最後の一回はさすがに筋疲労を感じつつ、大腿筋に十分に負荷をかける。これでレッグプレスは1セット終了だ。


《神崎玲人が筋力経験値を220獲得》


《姉崎優が特殊スキル『ビルドメソッド』を発動 筋力成長+1》


《神崎玲人の筋力が2上昇 筋力経験値を2200消費》


「っ……!?」

 

 ステータスが上がった――トレーニングで筋力が上がったことを、イズミが観測した。


(筋力経験値……隠しパラメータか? それを日頃の活動やトレーニングで得て、消費して、ステータスが上がるのか……!)


「お疲れ様ー。次はレイ君もチェストプレスいこっか」

「あ、ああ……」


 姉崎さんがいると、訓練の効率が飛躍的に上がる。筋力上昇に+1の補正がかかっているので、彼女がいなければ1しか上がらなかったということだ。


「レイ君は回復魔法でいくらでもトレーニングできそうだけど、一日ごとにどれだけ成長するかは決まってるから、無理は厳禁ね」

「分かった、気をつけるよ。坂下さん、妹の調子は……」

「英愛さんはいいですね、基礎的な身体能力がとても高いので、私より少し軽めのメニューはらくらくこなせています」

「私もお兄ちゃんみたいな腹筋になれますか?」

「神崎様も鍛えていらっしゃいますので、簡単ではありませんが……私は腹筋を割らない方が可愛いのではないかと……」

「何を悩んでいるの……英愛さん、今のところはほどほどがいいと思うわ。筋肉だけで全てが解決するわけではないから」

「えー、筋肉は裏切らないよ? とか言ってみたりして。レイ君、あとで他の筋肉も触らせてくれる? 一箇所ずつむっちり鍛えてこ。それとも細マッチョがいい? レイ君もうかなり引き締まってるからなー」


 テンションが上がる一方の姉崎さんだが、俺だけ見てもらうのではなく、他の皆も順に見てもらう方が良さそうだ。もしくはこの場にいるみんなに姉崎さんのスキルが影響するようにトレーニングできるといい。


 黒栖さんはチェストプレスから次のマシンに移っていたが――なんとなく視線を移して、そのまま俺は目の焦点をぼかさなくてはならなかった。


「こよちゃん、ラットプルダウンやったことあるんだ。フォームが綺麗だね」

「は、はい、新体操をやっているときに少し……んっ……」


 吊り下がっているバーを両手で引き寄せるマシンだが――そのフォームは胸を張ることになるので、胸が大きい人は最大限に強調されることになる。


「……あれ? フワリちゃんどこいった?」


 姉崎さんに言われて俺も気がつく。さっきまで英愛の近くにいたはずだが――と、次の瞬間。


「きゃっ……え、えっと、そこは捕まるところじゃ……」


 フワリが黒栖さんの胸にしがみつく。トレーニングの邪魔をしてはいけない、しかし俺では取ってあげられない。


「ほいほい、駄目でしょおいたしちゃ。フワリちゃん、たぶん柔らかいものが好きなんだよね」

「ありがとうございます、姉崎さん」

「姉崎さんに任せてしまっていいのかしら……私も見ていましょうか?」

「ううん、だいじょぶ。みんな運動神経いいから、あーしが教えることってあんまりないんだよね。ムードメーカーしてるだけでもスキルが効いてるっぽいからいいのかな……こよちゃん、ここに効いてるから意識してー」

「っ……も、もう、そろそろ……限界……はぁぁっ……」

「OKOK、背筋は痛めちゃうと大変だからね、大事にしてこ。せつりんは全然汗かかないね」

「そんな、ことは……無いの、だけど……ふっ……ふっ……」

「お嬢様がトレーニングされている姿は、何時間でも見ていられますね……」

「な、何を言ってるの……あなたも、ちゃんと、やりな、さいっ……」


 そろそろ回復魔法をかけた方がいいのか、もう少し追い込むべきなのか――と葛藤していると、ふっと目の前が暗くなった。誰かに目を塞がれている。


「お兄ちゃん、あんまり女の人をじーっと見てたら駄目だよ? 私の方も見てて」

「あ、ああ……しかし英愛も熱心だな、プール前にちょっと身体を動かしたいってくらいだったのに」

「みんながやってるのを見るとつられてやる気が出ちゃうよね。お兄ちゃんはトレーニングする女の子が好きみたいだし」


 だんだん俺の困らせ方が上手くなっている――そして、あながち否定はできない。


「何事も一生懸命な姿ってのは、いいよな」


 考えた末に出てきた無難な答えだったが、みんなそれからトレーニングにやたら身が入り、俺以外のメンバーも全員手応えを感じたようだった。

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